第8話 ヒロインの交代。

 それはただの勘だった。

 この世界はあたしではなく、エチエンヌを中心に回っている。

 小説のストーリーが大きく変っているのは、エチエンヌに関する部分だ。

 そういう、物語の中心になる人のことをなんと呼ぶのかあたしは知っている。

 ”ヒロイン”だ。

 エチエンヌがヒロインなら、小説のストーリーは大筋では合っている。王子が溺愛するのは、悪役令嬢ではなくヒロインなのだから。

(でも何故、そんなことに?)

 一つ納得すれば、別の疑問が出てきた。

 そんな心の内を押し隠し、あたしもよろしくお願いしますと頭を下げる。

 にこっと微笑むと、目の前のエチエンヌがふらっと体勢を崩した。眩暈がしたらしい。顔が少し青白かった。

 貧血気味なのかもしれない。

「エチエンヌ様?!」

 あたしは声を上げた。

 神殿長と2人、さっと立ち上がる。エチエンヌに駆け寄った。

 エチエンヌはすでに体勢を立て直している。

「大丈夫ですか? 癒やしをかけますか?」

 神殿長が聞いた。心配そうにエチエンヌを見る。

「いいえ、大丈夫です」

 エチエンヌは小さく首を横に振る。

「このことは、夫には内密にしてくださいね」

 力なく微笑んで、頼んだ。心配を掛けたくないらしい。そんな強がりなエチエンヌが心配で、思わずあたしはエチエンヌの手を握った。

 エチエンヌは驚いた顔をする。それは少し気まずいようにも見えた。

「大丈夫です」

 エチエンヌはもう一度、繰り返す。

 だが、あたしは握った手を離さなかった。

(優しくされると、心苦しい。本来は真希が王子と結婚し、妃になるはずだったのに。私はその地位を奪ってしまった……)

 そんな呟きが聞こえる。

「えっ?!」

 驚いて、あたしはエチエンヌを見た。

「?」

 エチエンヌはあたしの声に驚く。小さく首を傾げた。

 目をまん丸く見開いたあたしを不思議そうに見る。

 呟きの内容にあたしは驚いた。エチエンヌは真希と王子が結ばれるはずだったことを知っている。

 だかそれ以前にもっと驚くことがあった。エチエンヌの呟きは耳にではなく、直接あたしの心の中に響く。

 おそらくそれはエチエンヌの心の声だ。口に出した言葉ではない。

「……」

 無言で、あたしたちはエチエンヌを見つめた。

「どうかしましたか?」

 神殿長は問う。

 手を握り、エチエンヌを見つめるあたしは異様に見えたようだ。

 心配な顔をされる。

 あたしはすっと手を離した。

「何でもありません」

 神殿長の心配を否定する。

 あたしはいろいろ迷った。

 エチエンヌは自分の心の呟きがあたしに聞こえたなんて、気づいていないだろう。

 このまま素知らぬふりをすることも出来る。

 だが、あたしは真希(ヒロイン)が王子と結婚するはずだったことを何故エチエンヌが知っているのか、気になった。

 彼女の心の声があたしに聞こえたのも不思議でならない。

(推しへの愛が生んだ奇跡……なわけはないか)

 自分で考え、自分で否定した。

 あまりに超常現象過ぎる。

 むしろ、無意識に魔法が発動したという方がありえる。

「あの……、エチエンヌ様。少し、二人でお話をしてもいいですか? その……、女同士でしか出来ない話があるのですが……」

 あたしはちらりと神殿長を見た。

 神殿長はちょっと顔を赤くする。下ネタ的な話を想像したのかもしれない。

「そうですね。女には殿方には聞かせられない話もありますからね」

 エチエンヌは微笑んだ。

 その笑顔は花が咲いたようで、あたしは見惚れてしまう。

 駆け寄ったので、距離も近かった。

 間近で見る美人の笑顔は破壊力が半端ない。

(ああ、尊い……。あたしの推しはマジ尊い)

 思わず、目が潤んだ。

「では、私は少し離れた所にいるとします」

 神殿長はそう言うと、部屋の隅の方へ移動する。壁に凭れて立った。何かあったら直ぐに駆けつける事が出来る体勢に、あまり信用されていないのを感じる。

 だが、信用するに足る事を何もしていないので、それも当然かもしれないと思った。

 あたしは勧められ、エチエンヌの隣に並んで座る。

 いい香りがして、思わずくんくんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎそうになった。

(美人で、性格も良さそうで、いい香りがして、声まで綺麗。……あたしの推しは完璧すぎるわ)

 顔がにやけそうになるのを必死で堪えた。にやにや笑っていたら、怪しすぎるだろう。

「こほん」

 あたしは一つ、咳払いした。気持ちを切り替える。

「手に触れても、いいですか?」

 エチエンヌに問うた。

「えっ……」

 エチエンヌは戸惑う顔をする。

「ええ、まあ」

 あまり良さそうな感じではないが、エチエンヌは頷いてくれた。

「失礼します」

 そう言って、エチエンヌの手に自分の手を重ねる。

(もしもし、聞こえますか?)

 心の中で呼びかけた。

(!?)

 エチエンヌが声にならない叫びを心の中で上げる。

 聞こえているのだと、あたしは確信した。

(どういう理屈かはわかりませんが、触れているとあたしたちの心の声は互いに聞こえるようです)

 心の中で、説明する。

(骨伝導みたいな感じで、触れた部分から何かが伝わっているのかもしれません)

 理解してもらうつもりはなく、ただ自分が納得するためにそう言った。最近は骨伝導を利用したイヤホンとかもあることを知っている。音が伝わるのと同じ感じでそういうのをイメージした。

(なるほど、骨伝導ね)

 意外なことに、エチエンヌは納得する。

 骨伝導という言葉を当たり前に受け入れた。

 あたしは驚愕に目を見開く。

(……あなたは、誰ですか?)

 問いかけた。

 ここに居るのはエチエンヌであってエチエンヌではないことを確信する。おそらく、中身はあたしと同じ世界の人間だろう。

 転生なのか憑依なのかわからないが、この世界の異端者はあたし一人ではないようだ。

(……)

 エチエンヌは目に見えて、動揺する。触れた手が震えていた。

 あたしはその手をぎゅっと握る。

 エチエンヌは戸惑うようにあたしを見た。

 そんなエチエンヌに、あたしは自分のことから話し始める。

(あたしは転生者です。バスの事故で亡くなって、この世界に来たばかりの真希に憑依したようです。前世は日本で暮らしていて、この世界が実は小説の世界であることを知っています)

 真っ直ぐ、エチエンヌを見つめ返した。

(……そう。あなたはこの世界が小説の世界であることも知っているのね)

 エチエンヌは今までと違う感じの笑みを浮かべる。口の端を微かに上げた。

(わたしもこの世界が小説の世界であることを知っているわ。バスの事故で死んで、この世界に登場人物として転生した時にはとても驚いた。だって、自分が書いた小説の中に転生するなんて、普通はありえないでしょう?)

 苦笑に、エチエンヌの顔はちょっと歪む。

(自分が書いた? じゃあ、あなたは作者様!?)

 予想もしない展開に、あたしは動揺した。


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