第9話 一つの真実。
驚きのあまり、あたしは手を離してしまった。
(ええーっ!!)
心の中で叫ぶ。
そんなあたしを見て、エチエンヌ(作者)は小さく笑った。
「黙っているのは変なので、普通に話しましょうか?」
そんなことを言う。
余裕がなくなったあたしとは対照的に、彼女は妙に落ち着いていた。
「なんか……、冷静ですね」
あたしはなんとも微妙な顔で彼女を見る。
「他に動揺している人がいると、自分は冷静になるわよね」
彼女はにこりと笑った。
その笑顔はやっぱり美しい。
「そういう笑顔、狡いです。全部、無条件で許したくなる」
あたしはぼやいた。
「あなたの推しはもしかしてエチエンヌなの?」
彼女は小さく首を傾げる。
「ええ、もちろん!!」
あたしは強く頷いた。
「作者を前にとても言いにくいですが、なんでエチエンヌが悪役なのか、意味がわかりません。あんなにいい子、いないじゃないですか」
少しばかり怒りが湧いてくる。
自分のことは二の次で、人のために頑張る子をいい子と言わずになんて言えばいいのだろう。少なくとも、悪役ではない。
「それ、すごく言われた」
彼女は苦く笑った。
「わたしもそう思う」
同意する。
そして打ち明け話を始めた。
「最初はテンプレの悪役にするつもりだったのよ。ベタな転生ものを書くつもりだったから。でも書いていると、どんどんエチエンヌがいい子になっちゃうの。家族のために人のために頑張っちゃうのよ。そうなるとどんどんエチエンヌに愛着が湧いてきちゃって。可愛くて、悪い子に出来なくなってしまったの。でも、ヒロインを不幸にすることも出来ないでしょう? 一応、主役だから。それで仕方なく、一巻はヒロインが幸せになる感じのエンドにしたの。エチエンヌのことは二巻で救済するつもりでね。でも、救済する前に死んでしまったんだけど」
困ったわね……という感じで、彼女は笑う。
作者の暴露話に、あたしのテンションは上がった。
「二巻では幸せになる予定だったんですね、良かった。あの結末、ナシだと思っていたから。エチエンヌは何も悪くないのに、なんでエチエンヌが不幸になるのか納得出来なかったんです。あの馬鹿王子が不幸になればいいのにって」
思わず本音が漏れる。
彼女は何も言わず、笑っていた。否定はしない。
同じ気持ちなのかもしれない。
「腹を割って、いろいろ話しましょう。わたしたちには、お互いに持っている情報をすりあわせる必要を感じます」
そう言った。
「ええ。ぜひ」
あたしは頷く。
知りたいことが沢山あった。
あたしたちはまず、本当の自分のことを話した。
女子高生で、バスに乗っていて事故に巻き込まれたと伝えると、彼女は考え込む顔をする。心当たりがある顔をした。
「そのバスってもしかして、○○行き?」
彼女の口から出た言葉に、声を上げそうになる。
「そうです。なんてわかるんですか?」
びっくりして尋ねると、彼女は苦笑した。
「なんとなく面影があるから。わたしもそのバスに乗っていて、死んだの」
答える。
「もしかして、20代後半のOLさんですか?」
まさかと思いながら、尋ねた。
「ええ、そうよ」
彼女は頷く。
(声、かければ良かった)
心の中で後悔した。
「あの朝、本を持っているのを見たんです。声を掛けたかったけど、出来なくて。2年近く同じバスに乗っていたのに、一度も話し掛けたことなんてなかったから。引かれるかなと思って……」
あたしの言葉に、彼女は苦笑する。
「実はわたしも声をかけたいと思っていたの。WEB小説を書くとき、主役を誰にしようか考えて、毎朝、バスで会う子をイメージしたの。でも、勝手に使ったことをずっと申し訳なく思っていて。いつか話し掛けることが出来たら、使ったことを謝ろうと思っていたのよ」
思いもしなかったことを聞いた。
ヒロインのモデルはあたしだったらしい。
「あたし、そんなにお気楽な女子高生に見えましたか?」
苦笑が漏れた。
ははっと彼女は乾いた笑い声を上げる。
「そう思うわよね。見た目のイメージだけで、中身はわかんないから勝手に今時っぽい子にしてみたんだけど。脳内お花畑にしてしまって、ごめんなさい」
謝られた。
「謝らないでください」
あたしは困る。責める気持ちはなかった。
「でも、不思議よね。わたしはあなたをモデルにしたけど、その話、誰にも話したことはないの。でも小説の挿絵が出来上がってきたら、ヒロインはあなたにちょっと似ていた。内心、びびったわ」
彼女は微笑む。
「あー、それは……」
とても心当たりがあるあたしはなんとも微妙な気持ちになった。
「挿絵を描いたの、あたしの母親です。2年くらい前から会っていないですが。お祖母ちゃんから写真はもらっているみたいなので、その写真を参考にしたみたいです」
説明する。
本を読んだ切っ掛けも、母から挿絵を描いたのだと単行本が届いたからだと話した。
「あら、まあ。世間は狭いわね」
彼女は楽しげに笑う。
あたしも笑うしかなかった。
「ところで、エチエンヌ様はいつから……、その……」
あたしは言葉のチョイスに悩む。
転生と言えばいいのか憑依と言えばいいのかわからなかった。
「いつ前世の記憶が蘇ったかということ?」
彼女が聞き返す。
「はい」
あたしは頷いた。
あたしがヒロインとして目覚めたのはいつこの前だ。だがきっと、彼女がエチエンヌになったのはずっと前だろう。エチエンヌの人生がこんなに変っていることがその長さを物語っている気がした。
「10年前。7歳の頃よ」
彼女は答える。
「10年……」
予想以上に長かった。
「あたしたち、元の世界には戻れないんですね」
それを実感する。
独り言のように、言葉がこぼれた。
別に戻りたいわけではない。戻っても、きっとあたしは死んでいるだろう。だが心のどこかで、元の世界に戻れるかもしれないと思っていた。
だがそれは気のせいだと知る。
10年経っても戻れないなら、きっともう戻れることはないだろう。
「……」
彼女は何も言わず、ただ優しい目であたしを見ていた。
沈黙が、優しくてちょっと痛い。
あたしは深呼吸をした。気持ちを落ち着かせる。
「ごめんなさいと、わたしが謝るのも違うけど。希望がないことを告げるしか出来なくて、ごめんなさい。この世界で幸せになるための努力をする方が、自分の為にはいいと思うわ」
彼女は諭すように言った。
「あなたはそうしたのですね?」
あたしは問う。
「そうよ。目覚めて、自分がエチエンヌであることを認めて。次に考えたのは、自分の人生を変えることだった。自分も、家族も、この国の人も。誰も不幸にしたくない。内戦なんて、起こしてたまるかって思ったの」
その結果が今なのは聞かなくてもわかった。
「だからこんなに小説のストーリーが変っているんですね」
あたしは納得する。
「ええ。王子との仲は良好で、とても幸せよ。でも、安心はしていない。エチエンヌが幸せになったからって、内戦が起きないとは限らない。……意味、通じるかしら?」
彼女は問うた。
「エチエンヌが幸せなら、公爵家が王家に反乱を起こすことはないですよね?」
あたしは首を傾げる。
内戦は起らないと思った。
「公爵家はね」
彼女は意味深に頷く。
「でも、公爵家は神輿として担ぎ上げられただけよ。はっきり言えば、利用されたの、旗印として。公爵家は貴族達の中で評価が高く、動けばそれに倣う貴族が多く出る。でも、公爵家が反旗を翻す事が無くても、反抗心を持っている貴族がいないわけじゃない。切っ掛けがあれば、内戦は起きるかもしれない」
彼女の言葉に、あたしはごくりと唾を飲んだ。平和ぼけした日本の女子高生のあたしにはその話はなんとも重い。
「わたしはそれを止めようと思っている。手を貸してくれるかしら?」
彼女は真っ直ぐ、あたしを見つめた。
「それは、もちろん。あたしに出来る事があるなら。内戦なんて、嫌だし。でも……」
あたしは言葉を濁す。言おうかどうしようか、少し迷った。
「この小説を書いた作者本人なら、この世界のいわゆる創造主ですよね? ストーリーを書き換えることが出来るのではないですか?」
思い切って、口に出す。
この世界を作ったのは、目の前の彼女だ。
「それがそう簡単な問題ではないのよ」
彼女はため息を吐く。
「この世界に転生し、わたしがこの世界の一部になってから、わたしはストーリーに干渉できる力を失ったようなの。今のわたしは創造主ではない。小説の展開を変えようとしても、簡単にはいかないわ。エチエンヌの人生をここまで変えるのにも、長い時間と労力が必要だったのよ」
肩を落とした。
「人生はままならない」
そんなことを言う。
もっといろいろあたしは話したかった。
けれど、仕事を終えて王子が戻ってきてしまう。
「2人で何を話しているんだ?」
妻を独占するあたしを見て、露骨に嫌な顔をした。こころが狭い。
神殿長にも責めるような目を向けた。
神殿長は小さく肩を竦める。
「女同士の話があったのよ」
エチエンヌが取りなした。王子に手を伸ばし、腕に触れる。
王子は愛しげに妻を見た。あたしを威嚇するより、妻に寄り添うことを選ぶ。
くっつくように、あたしとは反対隣に座る。
エチエンヌは少し王子の側に身体を倒した。凭れて、甘える。
そんな妻に王子はメロメロだ。
(この王子で、国は大丈夫なのかしら?)
あたしはちょっと不安になる。
「もうこんな時間なのね。この続きはまた今度にしましょう。来週にでも、遊びに来てね」
エチエンヌは約束を求めた。会いやすくしてくれる。
「はい。神殿長と相談して、また来ます」
あたしは大きく頷いた。
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