謁見①
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
言うまでもなく、アネモネは一般市民である。
王様や、その臣下。将軍様、兵士。他にも色々な大人達が街の運営に関わって、そのお陰で王都がつつがなく回っているのは何となく知っているけれど、それだけだ。普段、シア
だから、こんな空気は初めてだ。
「いいか、今は非常時だ。礼儀作法を一から教える時間は無い」
先頭を歩くアーロンの声は、普段より何だか刺々しい。いつもはどちらかと言えばのんびり喋るおじさんだから、少しの違いでも耳にチクチク刺さってしょうがない。
「多少の無礼は、まぁ文化の違いって事で大目に見て貰えるかもしれんが、これからお前さんが会うのはこの国で最も尊い方であるという事を忘れるな。確かにお前さんは招かれる側だが、舐めた真似したら洒落にならない事態になるぞ」
「ああ」
「……一応訊くが、お前さん丁寧語とか使えるのか?」
「一応は」
アーロンだけじゃない。アネモネの左後ろに一人、リオルの右後ろのにもう一人、先頭を歩くアーロンを含めて三角の陣形になるように歩いている衛兵三人が、もうピリピリしているのだ。
大人の人が機嫌悪そうにしているだけでアネモネは辛いし、周囲を衛兵に囲まれて歩いているのも居心地が悪い。アネモネの前を歩いているホムラは、どうして平気そうなんだろう。というかどうして、彼は王様なんかに呼び出されることになったんだろう。
三人の衛兵がホムラを呼びに来て、当然アネモネはついて行く事にした。アーロンは反対し、ちょっとした口論になったけれど、時間が惜しかったのか、口論自体が面倒になったのか、程無くして”大人しくしている事”を条件にアネモネとリオルの同行を許可してくれた。そんな訳でアネモネはホムラの後ろに隠れるように歩いている訳だが、考えてみればアネモネだって王様と会うのは始めてだ。この重圧感は、とてもじゃないが緊張と言う言葉だけで言い表せるものではないだろう。
空気が重い。
粘り気を持って、まるで喉の奥に
「さぁ、ここだ」
アーロンが、とある扉の前で立ち止まる。王城だからその辺の扉でも立派なのだが、それはその中でも格が違った。装飾が豪華というのもあるけれど、先ず大きい。扉と言うか、大扉だ。
「この先が、我らが王が
「そうだな。折角の謁見を酸欠で幕引きにするのも、勿体無い話だ」
「……剛毅だな」
此処に来るまでの道中でもそうだったが、今の王城はどこもかしこもてんやわんやで、つまりは沢山の人があちこちで行き交ったり、話し合ったり、時には掴み合いの喧嘩をしていたりした。この場所もまた、例外ではない。衛兵や魔術師、神官。そこにも沢山の人が居て、彼等は彼等の仕事を続けつつも、扉の前に立ったホムラやアネモネ達にチラチラと視線を投げかけて、ひそひそと小さな声で囁き合っている。
ギルド試験を受ける時、初めてアネモネやリオルを見る周りの大人達も大体こんな感じだ。アネモネはもう慣れっこだが、ホムラはどうだろう。嫌な思いをしていなければいいのだが。
「此処でなら未だギリギリ引き返せるぞ」
アーロンが振り返ってアネモネを見る。精一杯の見栄で睨み返すと、アーロンは心底疲れたように溜息を吐き、扉の方に向き直った。
「行こう」
大扉が、開く。
アーロンが先ず中に入り、ホムラがその後に続く。置いて行かれたくない一心でアネモネも必死にその後に続き、そしてそんなアネモネを、”玉座の間”は容赦なく出迎えた。
「……ッッ」
空気が変わった。
重く、粘つくだけじゃない。さながら見えない紫電が混ぜ込まれているかのように、肌がパチパチ、ピリピリする。とてもじゃないが一人では受け止めきれなくて、アネモネは一瞬、その場に立ち止まり掛けた。
「姉さま」
本当に立ち止まらなかったのは、リオルのお陰だ。予め見越していたかのように、彼女はアネモネの袖を摘まんで控え目に、けれどもしっかりと、立ち竦んだアネモネを引っ張ってくれた。
「堪えて」
言葉一つで、劇的に気持ちが軽くなるなんて事は無い。この"玉座の間"の空気が孕んでいる厳かな覇気は、そう簡単に振り払えるものではなかったからだ。
けれども引っ張られたら、身体は動く。清涼剤にも似たリオルの声は、熱を持った粘度の高い空気に抱き竦められたアネモネの意識を強制的に身動ぎさせ、ほんの少しだけ空隙を、余裕を生じさせてくれた。
つんのめり掛けたようになってしまったが、それでも止まらずに歩き続ける。"玉座の間"に踏み込んで、ホムラの背中についていく。
また、リオルに助けられた。
流石にお礼を言えるような余裕は無かったし、勝手に声を上げてもいいような状況ではなかったけれど、落ち着いたら改めてお礼を言おう。
「止まれ」
小さく、鋭く、アーロンが言うのが聞こえた。ガシャガシャと不平を漏らすように鎧が鳴る音がして、一拍後、ホムラが片膝を突いて頭を垂れた。きっと、前に居たアーロンの真似をしたのだろう。
慌てて、アネモネも真似をする。頭を垂れれば自然に下を向く形になって、ボンヤリと輝く白い床しか見えるものはなくなったけれど、それで両肩に圧し掛かってくる重圧が消えてくれる事は無かった。
「ようこそ、英雄殿」
しん、と静まり返っているのに、つつけば即破裂しそうなくらいに張り詰めている。
そんな静寂を揺らしたのは、この場に似つかわしくない若い男の声だった。おじさん、と言うよりは、お兄さん、と言った方が相応しいだろう。
それがこの国の王様の声であるという事に気付くまでに、アネモネには少し時間が必要だった。
「どうか顔を上げて欲しい。余に顔を見せてくれ」
アウドゥイン・ディ・サンクトゥス。
未だ二〇に届かぬ年若さでありながら忠臣達の信を勝ち取り、直轄地たる"
この国に住まう者なら誰もが知ってるような有名人でありながら、この国に住まう者の殆どが相対した事の無いであろう雲上人。そんな存在が、今、アネモネの直ぐ近く、目の前に居る。
言葉にするととんでもない状況だったが、なんだか"実感"が無いのもまた事実だった。
「む? そこの子供達は?」
「!!!!!!」
"実感"が、いきなり襲ってきた。
何と表現するべきか分からないけれど、王様と言うのは声からして違うのだ。世界から照準が合わせられるような感覚があって、殺気とかじゃない筈なのに殺気を向けられた時以上に縮み上がってしまう。
幸い、アネモネが直接問い掛けられた訳ではない。固まっているアネモネを知ってか知らずか、アーロンが普段からは想像も付かないテキパキと様子で返事をしてくれた。
「恐れながら、申し上げます。彼女達は証人です、陛下」
「証人?」
「はっ。聞けばこの男、少々特殊な身の上でして。本人の話だけでは要領を得ない為、彼女達も一緒に連れて参りました」
「ふぅむ?」
出任せだ。
だって、アネモネ達は半ば強引に着いてきただけなのに。またホムラが何処かに行ってしまう事が不安で、いつの間にか何処か遠くに離れて行ってしまう事を想像してしまえば堪らなくなって、無理矢理一緒にくっついて来た。それだけだ。
アーロンは最初から、こうなる事を見越していたのだろうか。
だとしたら本当に、彼には頭が上がらない。今度からはもう少し、彼の言うことを聞いて困らせないようにしよう。
「……証人、か」
ややあって、王がポツリと呟いた。
固く張り詰めた空気にふわりと染みるような、ビックリしてしまう程に優しい声だった。
「余が見た中で最も可愛らしい証人達だな。名前は何と申すのだ?」
「あ……えっ、と……」
とは言え、まさか自分達がいきなり話し掛けられるとは思わなかったのだ。慌てて、意味もなく辺りを見回したりして、そうなれば必然的に隣で跪いていたリオルの姿が目に写る。
彼女はアネモネみたいに狼狽えたりはしていなかった。アネモネが自分を見るのを待っていたかのタイミングで、"こうするんですよ、姉さま"とお手本を示すかのように、跪いた格好のまま頭を垂れ、落ち着いた様子で言葉を紡ぐ。
「リオルは、リオルと申します」
「あ……アネモネ、です……!」
残念ながら、上手く行かなかった。出だしで思い切り噛んでしまったし、その所為で声も裏返った。頬が燃え上がったように熱くなって身が竦み、けれども王様は小さく、柔らかな笑い声を上げた。
「リオルに、アネモネか」
反芻するようにアネモネ達の名前を呟き、ニコリと笑みを深くする。
「よく来たな。こんな状況だが、王宮は其方達を歓迎しよう」
「歓迎しよう、では御座いません」
どうやら王様は、とても優しい人らしい。
けれどそんな彼の言葉を引き継ぐように口を開いた人物達は、その限りではなかった。
「事態は一刻を争います。余計な事に時間を割いている場合では御座いません」
玉座の左右に控えている老人達。一人は灰色の髪の人間で、もう一人は金髪を三つ編みに編んだハーフエルフ。灰色髪の人間が厳めしい鷲なら、金髪のハーフエルフは老獪な狐といった印象だろうか。
ガルシア・ゲーアノート・ファッシュ。通称”灰色のガルシア”。アムラス・シャルル・グリポネ。通称”金の目のアムラス”。アネモネでも知っている、若き王を支えるこの国の二つの支柱である。実質、この国は未だ彼等が支えていると言っても過言では無いだろう。
実際、王様も彼等にはあまり強くは出られない様子で、割と遠慮なく窘められてもバツが悪そうに首を竦めるばかりだった。
「……すまぬ」
「其処な者。特殊な身の上と申したか」
しゅんとした王様の後を引き継ぐように、二人の老人がホムラを睨み据える。只でさえ怖い二人組なのに、ホムラを見る目は他に比べて更に厳しい気がする。一体どうしてだろうと心の内で疑問に思っていたが、答えは直ぐに分かった。
「……”
”
その言葉を発した瞬間、厳めしい鷲のような老人の声に微かに軽蔑が混じるのを、アネモネは聞いた。反射的に顔を上げると、この国を支える二人の老人は、酷く胡乱なモノを見つめる目付きでホムラを見ていた。見下していた。
アネモネより遥かに長い間を生きている大人でも、国を支えるような偉くて賢い人でも、あんな目で誰かを見る事があるのか。
純粋に衝撃だった。それも、悪い方の意味で。
「俺は、アネモネとリオルの二人に恩があります」
自身の頭上で交錯した視線の事など露程も気付かない様子で、ホムラの声だけがいつも通りだった。
「そして俺は、この二人に剣を預けると決めました。彼女達が暮らすこの国が、引いては彼女達が戦火に焼かれると言うのなら、剣を抜かぬ道理はありますまい」
「……フン。
頭の芯が瞬時に発熱したような、そんな感覚だったと思う。目の前の彼等がどんなに偉くて、凄い人だったとしても、今この瞬間、アネモネにとってはそんな事一切関係無くなっていた。
同じだ。
子供だからと言ってアネモネの夢を嘲笑う大人達と、黄金の島の
幾ら凄くて偉くても、沢山歳を重ねて経験を積んでいても、別の誰かを当たり前のように見下す人達は、何処にでも居るのだ。
「娘。何か?」
謁見の最中に頭を上げるなんて、非常識な事なのかもしれない。けれどもアネモネは、この老人達に対して頭を下げるのはどうしても嫌で、さりとて上手く誤魔化す方法も分からなくて、暫く彼等と睨み合う形になってしまう。
「姉さま」
もしもリオルが袖を引いてくれなかったら、アネモネはそのままこの国の重鎮二人とそのまま睨み合っていたかもしれない。重鎮二人もアネモネの視線の意味には気付いていただろうが、結局不覚は追及して来なかった。きっと、アネモネが子供だからだろう。
果て無きリンボの境界線2 罵論≪バロン≫ @nightman
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