遺憾砲 2
アンゴラス帝国 中央防衛戦
真っ暗な空間に、魔道灯が灯る。それはシーツの血痕、赤く汚れた刃物、壁から伸びる拘束具、そして死に神のような黒い影を映し出す。
「やめろ。やめてくれ!」
手足をばたつかせ、拘束を解こうとする。足は金属製の鎖を少しだけ揺らすが、手の方は微動だにしない。俺の懇願を無視して、医者は口に布きれを詰める。言葉が意味を持たない呻き変わる。死に神は右手をのこぎりに持ち替え、俺の肌に冷たい歯を当てる。そして一気に引いた。刃が腕に食い込む。一引きする度、ねっとりした血液が傷口から溢れ出る。涙で視界が歪む。
『もう、やめてくれ!』言葉は医者に届かなかったのだろう。彼は剥き出しとなった骨を、鉈で折る。俺が声にならない悲鳴をあげるのを無視して、医者は千切った腕を、部屋の端に放り投げる。そこには青白く変色した人の腕と足が、山積みになっていた。
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同・地下司令部
割れるような音を立て、地面が揺れる。天井から土と木くずが落ちてくる。吊るされたランタンが振り子のように動き、それに合わせて影が踊る。魔法により増幅された指揮官の怒号が、尾を引いて残る。
「司令……。ご無事ですか……。」扉から士官が一人、入って来た。彼の息は絶え絶えで、全力で走って来たのだと分かる。
「見ての通り、ピンピンしとるよ」
若さという魔法は、凄い力を秘めているらしく、彼は深呼吸を二回するだけで息を整える。
「司令部を地下に移しておいて正解でしたね。司令の先見の明には感服いたします」青年の目は、尊敬で満ちている。悪い気はしないが、訂正しなければならない。
「やめてくれ、恥ずかしい。私の家にたまたま焚書を免れた歴史書があって、先人の知恵に倣うことができただけだ。私の能力ではない」
「ご謙遜を。大抵の将官は本があっても、読みませんよ」
「それがおかしいだけだ」軍の職位は、今や貴族達が承認欲求を満たすだけの装置になっていた。かつて兵士の率い、勇敢に戦った将軍達が見たらどう思うか。帝国の官僚機構も寿命が近いのかもしれない。
敵の至近弾だろう。一層大きな爆発音と揺れが地下室を襲う。士官が腰を抜かして、座り込む。
「君も士官だろう。常に堂々としていなさい」私はティーカップに手を伸ばす。取っ手を掴んだと思ったが、それは地面に落ちて割れる。自分の手が細かく震えていることに気がついた。まったく、締まらないことだ。
断続的に続いていた爆発音が止んだ。士官は慌てた様子で立ち上がり、わざとらしいくらい真面目な声で言った。
「最近、敵の攻撃頻度が多くなっているように思います。攻勢前の威力偵察でしょうか」
「いや、これから冬が始まる。この時期に攻勢をかけるとは考えにくい。おそらく、冬を乗り切るため味方の士気を上げているのだろう」何もしないことは、戦闘を行うことより大きなストレスを兵士に与えることがある。味方が圧倒的優勢なら尚更だ。再び扉が開く。今度は壮齢の男が狭い地下室に入ってくる。
「司令、おおよその被害が判明しました」
「早いな。流石だ」
「多くの兵士は塹壕におり、交代要員もすぐに塹壕に飛び込んだため人的被害はほとんどありません。しかし多くの兵舎が損傷し、使用不可能になりました。備蓄していた薪も、燃えています」
「まずいな」私が読んだ歴史書では、塹壕戦の戦略的価値にしか言及していなかった。その中に、長期に渡る戦闘が引き起こす士気の低下や、凍傷、感染症などの危険性は記されていない。私は資料と書類が並ぶ本棚に目を遣る。件くだんの本の背表紙を見れば、著者はラファエール・ダ・マルコスとなっている。塹壕戦略の生みの親だ。自分の生み出した戦法の悪口を書く者など、いるわけがない。
「燃料の備蓄はどのくらいある。」問題が山積する中、とくに重要な課題は燃料だ。本格的な冬は先だというのに、凍傷患者が続出している。陣地の周辺にあった木は全てゴーレムが伐採し、既に薪に変わっている。
「連日の攻撃で、目標の60%にまで低下しました」
「仕方が無い、帝政府に人員の削減を進言しよう」士官がギョッとしたように、目を見開く。
「一度、却下されているのでは?」この規模の派遣を続けるというのは、皇帝の判断だ。それに真っ向から刃向かう形になる。だが、必要なことなのだ。
「このままでは、我々は戦う前に負けてしまう」
「分かりました。軍務省に伝達してきます」士官は小走りで部屋から出て行く。その背は我々の命運を背負うには、小さく見えた。
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そしてやって来た、本当の冬。その間、自衛隊と帝国は互いに動かず、いずれ訪れる雪解けに備えて準備を行っていた。冬眠したように前線が静まる中、動きを活発化させる国があった。コングラー社会主義連邦共和国である。
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