第48話 Vive Davout!




 そして、俺は呼ばれた。

 ドゼ将軍に。

 至急、パリへ来るように、と。







 「ちっ。行きやがるんだな。後悔するなよ」

見送りに来た、オージュロー司令官が舌打ちした。

「逃げ帰って来たって、もう俺の軍ドイツ軍には、入れてやんないからな」


「逃げたりなんか、するもんですか!」

きっぱりと俺は言った。

「俺は、ドゼ将軍と一緒に戦う、って、決めたんです!」


「一番上にいるのは、ボナパルトなんだぞ? 兵士を、交換可能な部品としか考えていない、人非人だぞ?」

 この人オージュローにだけは、ボナパルトも、そう言われたくなかろう……。



「オージュロー司令官。ひとつだけ、聞きたいことがあります」

 厩には、俺とオージュローの他、誰もいなかった。

「最後の願いってやつか? なんだ? なんでもいいぞ。答えてやろう」


「サン=シル将軍のことです。彼をローマにやったのは、あなたの差し金ですね?」


オージュローの目に、面白そうな光が瞬いた。

「なぜそう思う?」


「オッシュは死んだ。マルソーはとうの昔に……」

声が詰まり、俺は咳払いをした。

「ジュールダンは辞任した。クレベールも、勝手にパリへ引き籠ってしまった。ピシュグリュとモローは、裏切り者だ。実力のある軍人は、そして、麾下の兵士達や国民から人気のある将校は、ライン方面では、ドゼ将軍と、サン=シル将軍くらいしかいなかった」


 謙虚な俺は、自分の名は出さなかった。だってライン方面軍には、途中、捕虜になったり実家に引き籠ったりしていたから、正味で2年くらいしか在籍してないし。兵士・国民に限らず、人気が皆無なのは、言うまでもないし。


 オージュローが首を傾げた。

「俺は?」

「あなたは、イタリア軍の出身だ」

「うーむ。まあいいや。ライン方面軍で、人気のある将軍は、ドゼとサン=シルだけ。だから?」


「ドゼ将軍は、ボナパルト将軍のへ入りました。残ったのは、サン=シル将軍だけだ。だからあなたは、彼を、ライン河畔から遠ざけた。ローマへやった」


「なんでまた、そんなことを?」

 オージュローの顔に、再び、笑みを含んだ表情が浮かぶ。


「政府の陰謀に巻き込まれないようにさせる為ですよ。この先、総裁政府が陰謀を企てた時、ていのいい、『剣の力』として、利用されないように」


 そして、不要になったら、あっさり殺されてしまわないように。

 オッシュ将軍のように。



 バラス総裁だけが、全ての黒幕だとは思えない。ルイ16世の処刑に賛成した議員は、まだ多く残っている。彼らは、ブルボン家の王族に戻ってきてもらったら、困るのだ。


 また、総裁政府を打倒しようと目論む者は、王党派だけではない。


 フリュクティドールのクーデターの直前、早々に逃亡したマチュー・デュマ議員は、王党派ではなかった。彼は、反ロベスピエール派クラブ・ド・クリシーだった。


 クラブ・ド・クリシーは、ロベスピエールの死後、結成された派閥だ。恐怖政治下で投獄されていた議員が、多く含まれていた。あやうくギロチンの餌食になるところだった、議員たちだ。俺と母のように、テルミドールのクーデターのおかげで、万死に一生を得た……。


 フリュクティドール実月のクーデターでは、王党派が台頭し、そして、総裁政府に叩かれた。

 同時に、マチュー・デュマ初め、ロベスピエール派もまた、身の危険を感じた。つまり、王党派の台頭とともに、ロベスピエール派の巻き返しも、起こりつつあるということだ。



 それらに対して、一々、「剣」の役割を求められたら。クーデターという名の、陰謀に巻き込まれたら!



 「だから、ドゼは逃げたんだよ。ボナパルトの陰に」


 オージュローが言った。

 「逃げた」という言葉に、俺は、むっとした。


「ドゼ将軍が、敵に後ろを見せるわけがない!」

「だが、前に、お前は言ったろ。格下のボナパルトの下に付く、意味がわからない、って」


 まあ、そんなようなことを言った気がするが……。


「つまり、そういうことだ。去り際、ドゼは、しきりとサン=シルのことを心配していた。ライン河畔に残していく親友のことをね。彼の言わんとしていることは、すぐわかった。おい、親友っていいなあ。戦友なら、なおさらだ」


 オージュローは、目を潤ませている。


「俺は、感動した。一肌脱いでやろうと思った。だが、やり方がわからない。そしたら、ドゼから手紙が来てな。なんでも、新しいプロジェクトの立ち上げで、ローマへ行くことになったんだと」


 ……「かの地では、未だに、ベルナドットの兵士達と、あなたの兵士達の争いが続いているといいます」


「それで、ぴんときたわけよ。サン=シルを送り込めばいい、って!」

 得意そうに、鼻をうごめかせた。

「な。俺はいいやつだろ? 決して、冷たくなんかないんだ」

 未だに、ドゼ将軍がイタリアで拾ってきた、「冷たい」という噂を根にもっている。


「オージュロー将軍。あなた、随分、執念深いですね……」

「よく言われるよ。だが俺は、ボナパルトと違って、善良な人間だ。どうだ。俺の下に残るか?」

「いやです」


「どうしても行くんだな」

オージュローは真面目な顔になった。

「いやなことは、いやと言え。今のようにな。たとえ相手が、ボナパルトであっても」


 強く、俺は頷いた。






 馬に乗って外に出ると、大勢のライン軍兵士が、集まっていた。

 元アンベール師団の兵士達。

 ケンカ仲間だった、若い将校達。


「なんだよ。お前ら。俺がいなくなるのが、嬉しいか」

 俺が憎まれ口をたたくと、やつらは、口々に、叫びやがった。


「若ハゲ准将、バンザイ! Viveヴィヴ Davoutダヴー!」


「君の額の、永遠に輝かんことを!」



 俺の目から熱いものがこぼれそうになった。

 悪口を言われたからだ。



 「帰ってきたくなったら、いつでも帰ってくるべ」

 前の方で、しきりとアデューが、手を振っている。



Au revoirオルヴォワールAu revoirオルヴォワールかぐわしいあなた!」

 集まった連中が、いっせいに歌い出しやがった。



 「誰が帰ってくるかよ!」

 振り返って、俺は叫んだ。








───・───・───・───・───・


なんか、オージュローをいい人に描き過ぎた気がします。

けれど、ドゼが、ドイツ軍右翼旧ライン軍の司令官に任命されたのは、ドイツ軍の指揮が、オージュローには荷が重すぎたからで。つまり、オージュローのお陰?



ドゼが軍へ復帰できたのも、ボナパルトの「友情」によるものだとする説もあります。しかし、新制ドイツ軍の誕生は、9月の終わり、フリュクティドールのクーデターが治まったばかりの頃です。ドゼの軍務への復帰と、右翼指揮官への指名も、この頃でしょう。


この時期、ボナパルトはまだ、イタリアにいました。遠隔地から、パリでの(しかもよその軍の)人事に口を出すのは、難しかったと思います。ボナパルトは、カンポ・フォルミオの講和条約の準備で忙しかったでしょうし。

1ヶ月後、イギリス軍暫定第二指揮官へドゼを指名することで、初めて、ボナパルトが介入してくると考えた方が、妥当です。



サン=シルのローマ派遣までのドゼとオージュローの介入は、これは、全くの想像です。ドゼなら、サン=シルに全てを押し付けるような真似はしなかったと思うのです。(オージュロー軍とベルナドット軍の兵士たちの乱闘は本当で、サン=シルが鎮圧に行ったのも本当です)



パリへ行ったドゼは、出航準備の為、ローマに赴任します。ドゼがローマに着いたのは、サン=シル着任の1週間後のことでした。実際に、二人の友人が歓談しているのを目撃した人がいます。この辺りを、短編小説に組み込みました。

「正義か死か Vaincre ou mourir」

https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/803492079










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