第47話 「ムッシュ」を禁ず



 3月。(1798年)

 サン=シル将軍が、ローマへ異動になった。



「いやあ、すまんすまん」

 オージュロー司令官が頭を掻いている。

「イタリアに残してきた俺の部隊が、世話をかけて」

 ここで、むっとした顔になった。

「だが、事の起こりは、ベルナドットのやつだからな」




 話は、去年の春に遡る。


 ライン方面から、カール大公が、イタリア方面へ転出した。これを受け、サンブル=エ=ムーズ軍所属のベルナドット師団が、増援部隊として、イタリアへ差し向けられた。


 イタリアへ行っても、ベルナドット師団は、誇り高く、規律を守っていた。しかし、イタリア軍(ボナパルトのイタリア遠征軍)は、そうではなかった。なにしろ、師団長オージュロー自らが、質屋へ強盗に入るくらいだ。


 イタリア軍の兵士達にとって、規律を遵守する元ライン軍の兵士達は、堅苦しい、目障りな連中だった。特にベルナドット師団は、互いを、「ムッシュ」と呼び合う、礼儀正しさだった。



 そんなある日。

 街中で、イタリア軍オージュロー師団の兵士達が、元ライン方面軍ベルナドット師団の兵士達に出会った。

 すかさず、イタリア兵は言った。

「こんにちは、ムッシュ・高貴な方々」

間髪入れず、元ライン方面軍兵士は答えた。

「こんにちは、半ズボンを穿いたサン・キュロット市民の皆さんシトワイヤン


 高貴な方と崇めてやったのに、「半ズボンしか穿けない市民」とは、何事か!

 いやいや、そもそもその、「高貴」っていうのが、イヤミだろ!


 というわけで、大乱闘が始まった。




 「それが、10ヶ月経った今でも、まだ、治まらなくてな」

オージュローはため息を吐いた。

「俺は、ライン河畔へ転出になるし、ベルナドットも、オーストリア大使か? あれ、まだ、ウィーンにいるのかな。(*1)とにかく、ローマから出ていった。いや、当時、俺も頑張ったんだよ? 公平な処遇をするよう、知恵を絞ったんだ」



 ……「そもそも、『ムッシュ』という言葉が、諸悪の根源だ。よって、以降、軍で『ムッシュ』と言った者は、追放処分に処する」



 「それでは、何の解決にもならなかった、ってことですよ」

苛立たし気に、サン=シルは言った。

「それで、俺に、兵士どもの喧嘩を鎮圧するよう、お鉢が回って来たってわけです」

「行ってくれるよな、サン=シル?」

「命令ですから」

ぶすくれて、サン=シルは答えた。







 「サン=シル将軍!」

司令官室を出てきた彼に、俺は声を掛けた。

「なんだ、ダヴー。また、待ち伏せか?」

「ええ、まあ」

「俺は役には立てないぞ。もう、ドイツ軍右翼の司令官ではないからな。お前をローマへ連れて行くこともできない」

「わかってます」


「ん?」

 先を歩き始めていた、サン=シルが振り返った。

「えらい、物わかりがいいな。ドゼもアンベールもいなくなって、落ち込んでいるんだろ?」

「ドゼ将軍を信じてますから。彼はきっと、俺を呼んでくれます」

「……」

 サン=シルは答えなかった。



「あなたは、ご機嫌ですね、サン=シル将軍。旧ライン軍ドイツ軍右翼司令官から外されて」

「俺は、ローマへなんか、行きたくない」

「でも、ライン軍の流れを引く軍の、司令官には、なりたくなかった」


 そもそも、ドゼ将軍が指名された役職だ。サン=シル将軍古くからの戦友に、元ライン軍の指揮権を押し付け、彼は、ボナパルト将軍の元へと旅立っていった……。


「ライン軍司令官は、呪われているんだ」

 ぼそり。サン=シル将軍がつぶやいた。

「リュクネル将軍。ビロン将軍。俺を育ててくれたキュスティーヌ将軍。ボアルネ将軍。みんな、処刑された。高潔で勇敢であったにもかかわらず、愛国心を疑われて」(*2)



 それが、恐怖政治下のライン軍総司令官の運命だった。

 ドイツ諸邦、オーストリアと接する国境線で、軍が、敵国と密通することを、中央政府は、極度に恐れていた。



 サン=シルがため息を吐いた。

「そして、ピシュグリュ。モロー。彼らは実際に、国を裏切った」


「ドゼ将軍も、呪われたライン軍の指揮権を、受け継ぎたくなかったんでしょうか。だから、ボナパルト将軍の軍へ行った」

「さあな」


「ドイツ軍右翼と名を変えても、元々は、伝統あるライン軍の司令官です。片や、ボナパルトが提示したのは、イタリア軍の第二指揮官、しかも、暫定に過ぎない、不安定な地位だ。普通なら、ここ旧ライン軍に残ります。その方が、地位が高いし、名誉でもある」


「ドゼが言うには、ボナパルトは、配下の者にまで栄光を齎すんだとよ」

「韜晦だ」

「は?」

「あなただって、気がついているはずだ、サン=シル将軍」


「気がつく?」

サン=シルは凄んだ。

「何に」



 ゆっくりと俺は、今まで考えてきたことを、言葉に紡ぎ始めた。

「王党派は、未だに暗躍している。彼は、亡命貴族エミグレ軍と、鉢合わせたくなかった。なぜなら、彼の兄弟、親族は、」


「それ以上言うな!」


 鋭く、サン=シルが警告を発した。前と同じだ。

 だが今回、俺は、彼の警告を無視した。


「追い詰められた王党派は、何だってやるだろう。彼らがもし、国境警備軍ドイツ軍右翼司令官への交渉相手として、ドゼ将軍の親族を送り込んで来たら? 亡命貴族エミグレ軍の中にいる、ドゼ将軍の兄弟や親族を」


 凍りつくほどのまなざしで、サン=シルは俺を見据えた。

「ドゼも、国を裏切るというのか? 血の繋がりを優先するとでも?」


 俺は、答えなかった。答えられない、そんな問いには。


「けれども、イギリス軍なら、エミグレと鉢合わせる機会は、格段に減ります。たとえ行きあってしまっても、ボナパルトの下に隠れて、こっそり逃がすことができる」

 今までそうしてきたように。


「あるいは、彼は、政府に、交換条件を出したのかもしれない。国外へ逃げたエミグレの親族の、帰国を認めて欲しい、と」


 悔しかった。ボナパルトとドゼ将軍。どちらが格上かは、一目瞭然だ。そんなことは、政府だって、わかっているはずだ。


「ボナパルトの下に入る代わりに。ライン河畔での地位を手放し、ナンバー2に甘んじる代償に! 彼は、親族兄弟の帰国を条件に、自分のキャリアを差し出したのだ」


「黙れ!」


 喉元を鷲掴みされた。

 顔が近づいてくる。薄青い瞳が、至近距離で俺を睨みつけた。


「もしそうだとして、それがお前に、何の関係がある?」


「何も」

 俺は、喉に食い込んだ、サン=シルの指を引きはがした。


「俺はただ、彼に付いていくだけです。もしも、彼が俺を呼んでくれたなら」


「……」

 無言で、サン=シルは、俺を睨み続けた。


「勝手にしろ」

 暫くして、苦々し気に、そう、吐き捨てた。









───・───・───・───・───・


*1

オーストリアとの間で和平が結ばれると、ベルナドットは、フランス大使として、ウィーンへ派遣されます。

チャットノベルで経緯を説明してあります

「三帝激突」19話「第19話 Flaggenstraße(旗通り)」参照

https://novel.daysneo.com/works/episode/9d5521055acd2834eb655f5745a1da5c.html


ベルナドットいうのは、後にスウェーデン王になった、あの人です。ブログにまとめてあります

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-96.html~



*2

ライン軍総司令官の運命については、こちらに

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-152.html



*サン=シルについて、こちらにまとめてあります

「サン=シル」

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-132.html



なお、この後、ローマでサン=シルは、ドゼと再会します。その模様を、短編「勝利か死か Vaincre ou mourir」に描きました。「10 出航準備」です。

https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/803492079








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