第46話 アンベールの涙
半月後(11月中旬)。
首都でボナパルト将軍と合流する為、ドゼ将軍は、パリへ旅立っていった。
ドゼ将軍は、戦友の何人かに、金を借りて、首都へ向かった。
イタリアでの任務で、財布が空になり、パリ行きの費用が捻出できないのだそうだ。このまま、
俺は、地味なライン河畔に残された。ドゼ将軍のいなくなった河岸にいる意味が、わからない。だが今は、彼の言った、「数ヶ月」後に、期待をかけるしかない。
*
パリで、凱旋したボナパルト将軍の、歓迎レセプションが行われた。ルーブル美術館で行われた会議に、ドゼ将軍はなんと、学術団体のメンバーとして出席したんだそうだ。学者の正装をしている彼を見るのは、最初で最後かもしれないと、興奮した筆跡の、サヴァリからの手紙が届いた。
*
「ダヴー。すまない」
川の水が温み、春の気配が見えてきた頃。
頭頂部を潔く、俺の目の前に晒し、アンベールが頭を下げた。
「お前を、下に置いておくことができなくなった。どうやら俺は、左遷されるようだ」
「左遷? ですって?」
穏やかで物静かな
「ピシュグリュとモローの陰謀加担者に、俺の名も上がっているのだそうだ。例の、オーストリアと、亡命貴族軍と連絡を取り合っていた、っていう……」
巻き添えをくったのは、ドゼ将軍とレイニエ将軍だけではなかった。
考えようによっては、モローも、ピシュグリュの巻き添えを喰っただけ、と考えることもできる。実際に敵と連絡を取っていたのは、ピシュグリュだけだからだ。
だが、モローは、ドゼ将軍とレイニエ将軍も巻き添えにした。
そしてさらに、このアンベール将軍、俺の上官までも。
アンベールが顔を上げた。僅かに視線を逸らせ、俺に向き直る。
「はっきりと、連座を非難されたわけではない。だがこれは、明らかに懲罰人事だ。グアドループ(*1)に派遣になった」
「グアド……?」
「グアドループ。カリブ海だよ」
「新大陸の方ですね?」
少し、うらやましく思った。まだ見ぬ大陸。そして、豊かな物資を提供してくれる、植民地。
だが、アンベールは、顔を顰めた。
「俺は、軍政府長官として、派遣されるのだ。権限は、大幅に縮小される」
再び、勢いよく、頭を下げた。
「君を、連れていけない。許してくれ、ダヴー」
「俺を連れて行きたかったんですか?」
単刀直入に、尋ねた。不思議だったからだ。未だかつて、俺を好きでいてくれた上官なんて、いなかった。それに俺は、ドゼ将軍のことばかり考えていた。アンベールに対しては、決して、いい部下じゃなかったし。
「もちろんだ」
間髪入れず、アンベールは答えた。
「俺はいつも、君を頼りにしていた。君は、勇敢で、てらいがなく、いつも真っ直ぐだった。できることなら、ずっと一緒にいたかった。君と一緒に、戦い続けたかった……」
自分の耳が信じられなかった。
アンベール将軍が、こんなにも、俺を買ってくれていたなんて。
俺はこの上官に、常に、誠実であったろうか。いや、命令は遵守した。けれど、心の最奥はどうだったろう……。
「何度か、ドゼから、君を欲しいと言われた。去年の戦いでは、彼は君を借り出したりもした。ドゼの気持ちはよくわかっていた。だが、どうしても、手放す気になれなくてなあ。許してくれ、ダヴー。こんなことになるんだったら、早いうちに、彼の師団へやっておけばよかった」
俺が、副官の話をするたびに、ドゼ将軍は、アンベール将軍を気にしていた。単なる言い訳だと思っていたが、実際に、そうする理由が、彼にはあったのだ。アンベールが、俺を、彼の師団に、渡したがらなかったから。
って。
ドゼ将軍が、俺を欲しがっていた? アンベールに、そう言った?
うそ……。
喜びは、薄かった。というか、全くなかった。
今ここで、目を潤ませているアンベールに対して、申し訳なさが募るだけだ。
確かに俺は、この上官の命令に、忠実に従ってきた。だが、心の目では、いつも、ドゼ将軍を追っていた。彼と共に戦いたかった。アンベールではなく。
罪悪感で、心が千切れそうだった。
「ダヴー」
言い差して、アンベールは俯いた。そのまま、顔を上げようとしない。床の上に、ぽとりと水滴が落ちた。
「元気でな、ダヴー。あんまり、人の恨みを買うなよ」
涙だろうか。鼻水だろうか。
ぼたぼたと際限もなく落ちる水滴を見つめながら、俺は考え続けた。
*
もうすぐ、交換将校の期限が切れる。アンベールがいなくなってしまったら、俺は、どうなるのだろう。
もしや、クビ?
またしても、
───・───・───・───・───・
*1
カリブ海、西インド諸島の島嶼群。フランスの植民地
※
この後アンベールは、クアドループの原住民の反乱に対して、積極的な鎮圧を行わなかったとして、解雇されます。パリへ戻った彼は裁判を求め(第一帝政に移行していました)、満場一致で無罪が確定しました。アンベールは軍務に戻りますが、ナポレオンの没落後は、軍を退き、クアドループの奴隷の解放に尽力、この地で亡くなります。
余談ですが、革命政府とナポレオンの植民地政策についてまとめてありますので、ご興味のある方は、お立ち寄りになってみて下さい。
「有色人種の権利」
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-110.html
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