第43話 柱の陰の乙女



 ドイツ軍右翼、即ち、旧ライン軍、司令官。

 その職を、ドゼ将軍は、素直に引き受けるだろうか。


 一抹の不安、というか、予感が俺にはあった。


 ドゼ将軍は、「栄光」を求めていると、サン=シル将軍は言った。だが、彼の求めている「栄光」は、ライン河畔にはない。といって、「栄光」が、ボナパルトの放つ光なのかというと、それは違う気がする。


 もっと言うなら、ドゼ将軍は、「栄光」、あるいは、「祖国への愛」という言葉の下に、何かを隠そうとしている。そんな気がしてならない。

 何を隠しているのかは、わからない。俺はそこまで、彼について知ってはいない。







 ドゼ将軍が、オッフェンベルクで軍と合流したのは、10月も下旬に入ってからのことだった。



いやあ。参ったよ。イタリアからずっと、オーストリアの将校がくっついてきてさ。やつらが邪魔をするから、ドイツの人たちと話ができなくて。

 だから、ミュンヘンに着いてすぐ、俺は、バイエルン選帝侯とサシで話すことを要求した。とにかく、オーストリアのスパイがジャマだったからね。だが、バイエルンの方で拒否しやがってさ。要するに、金を払いたくないんだ。なにせ、あの王様バイエルン選帝侯は、子だくさんだからな。それも、庶子が。庶子って、要するに、隠し子だろ? 彼らは、何も相続できないもんな。


 だから王様は、隠し子達の為に、金なんて、いくらでも必要なのさ。ライン軍に払う金も惜しい、ってわけ。

 もうね。バイエルンなんか外して、別の人を、選帝侯にすればいいのに!


 バイエルン選帝侯が会ってくれないもんだから、首相って人を脅してみたんだが……金を払ってくれなければ、再び、貴国を戦乱の渦に巻き込みますよ、ってね! そしたら、首相の奴、にっこり笑いやがってさ。あなたにはもはや、私と話す資格はない、なんてぬかしやがるのさ。あなたは、フランス軍を解雇されたのだから、って!



 息を詰めて彼の土産話を聞いていた兵士らは、どっと笑った。

 今だからこそ笑える話だ。



 「

もちろん、俺は、そんな話は信じなかった。で、その後、4日ほど、ミュンヘンに滞在してやった。だって、俺は、一介の民間人なんだろ? 何をやろうと、どこへ行こうと、自由なはずだ。まあ、本音としちゃ、とにかく、俺に貼り付いて離れない、オーストリア将校を困らせてやりたかっただけだけど。


 それから、シュトゥットガルト(シュヴァーベンの都市)へ行ったんだけど、ヴュルテンベルク伯シュヴァーベンの領主は、やっぱり、会ってくれなくてね



 ドゼ将軍は、イタリアへ、ただ、ボナパルトに会いに行っただけではなかった。

 彼は、モローから与えられたミッションを、きちんと遂行しようとした。バイエルン選帝侯と、ビュルテンベルク伯シュヴァーベン領主から、約束してあった戦争拠出金を支払ってもらう、という。


 イタリアからミュンヘンへ向かい、ドゼ将軍はそこで、自分が、軍務を解任されたことを知らされた。


 それでも彼は、まだ、与えられた任務を果たそうとした。ビュルテンベルク伯領シュヴァーベンに向かったのだが、これは徒労に終わった。


 彼はどこまでも、自分の任務に忠実だった。ライン軍に、誠意を尽くした。フランスの政府が金をくれないから、約束に従って、ドイツの領邦から搾り取ろうと、努力した。



親切な人が、ドイツの官報を見せてくれてね。そこでようやく、自分が解雇されたことが、確認できたんだ。いやあ。身うちが震えたね。明日からの生活が心配で。俺には、軍務以外で生きる方法が、さっぱり思いつかないし。これからは、志願兵として、再びやり直そうかとも考えたものさ


 ぶう。

 誰かが鼻を鳴らす音がした。

 ドゼ将軍は、にっこりとした。

「大丈夫。年齢制限には、まだ遠く及ばないから!」


 再び、笑い声が起きる。




 そうすると、ボナパルトは、総裁政府のクーデターに、自分が、一枚も二枚も噛んでいた件を、ドゼ将軍には教えなかったのだな。

 スパイを捕まえたとか、そのスパイの持っていた書類が、ピシュグリュの裏切りの証拠だったとか。件の書類を、総裁バラスに提出したとか。


 さらには、夏のうちに、バラスから派兵要請がきた件、また、自分は行かず、オージュローを派遣したこと……。


 ほらみろ。やっぱりだ。ラップとサヴァリは、甘すぎるんだよ。ボナパルトは、新しい「友達」なんて、信用するタマじゃないんだ。




仕方がないから、オッフェンベルクへ回って、軍に合流したんだ。そしたら、クビになんかなってない、と言うじゃないか。それどころか、新しい軍の右翼旧ライン・モーゼル軍の司令官に指名されたんだ、って教えてくれた。いやあ。もう、騙された! って思ったね。バイエルンとシュヴァーベンのやつらに!



 再び、大きな笑い声。おかえりなさい、ドゼ将軍、の思いに満ちた、温かい笑い声だ。



「ドゼ将軍。よく帰ってきてくれました」

サヴァリが涙ぐんでいる。

「よく、御無事で」


 考えてみれば、イタリアから、彼が野放図に突っ切ってきたドイツは、かつての敵国だ。オーストリアのスパイがくっついていたせいもあろうが、よくまあ、無事で帰ってこれたものだ。



 柱の陰で、俺の目も、潤んでいた。

 何で柱の陰にいるかというと、俺は、こういう場に慣れていないからだ。大好きな人が帰ってきたからって、どう振舞っていいか、わからない。

 サヴァリやラップのように、ドゼ将軍! と叫んで、仔犬みたいにまとわりついて行けるほど、俺は、人生の修行を積んではいない。


 ドゼ将軍の留守中、頑張って、仲間たちと喧嘩をしないように努力はしてきた。でも、完璧には、言いつけを守れていない気がする。何人かの将校にいちゃもんをつけてみたが、それらは、向こうが、ぐっと吞み込みやがった。俺に喧嘩を挑んでも、勝てる見込みがないからだ。弱虫どもめ。

 もちろん、口喧嘩は、日常茶飯事だったけど。



 「何やってんだ、こんなところで」

ガラガラ声が問い糾した。部屋に入ってきたばかりの、オージュロー新司令官だ。


「しっ!」

鋭い警告を、俺は発した。


「なにをこそこそしてるんだ、ダヴー」

つられてひそひそ声になって、オージュローが尋ねる。


「だって、今、俺が出て行ったら、せっかくの雰囲気が壊れるでしょ」

「せっかくの、雰囲気?」

「みんながドゼ将軍を囲んでいる、なごやかで穏やかな、明るい雰囲気ですよ!」

「だが、お前だって、嬉しいんだろ? あいつが帰ってきて」

「もちろん!」

「じゃ、そばに行けばいいじゃないか」

「だから、俺が行くと、雰囲気が壊れるんですって!」

「なぜ?」

「知りません。とにかく昔から、俺は、そうなんです!」


 わけがわからない、という風に、オージュローは肩を竦めた。


「おかえり、ドゼ」

 いきなり、彼は、胴間声を上げた。


 みんなの視線が、一斉に、こちらに向けられた。

 ドゼ将軍の視線もだ。

 心の中で、俺は悲鳴をあげた。


「ほら、ここにお前の部下がいるぞ。そばに行けなくて、うじうじしてる」


「ダヴー!」

おおらかな、温かい声が、俺を呼んだ。

「ダヴーじゃないか。今までどこにいたんだ?」


「ずっとここにいました」

「ただいま、ダヴー」


 胸がいっぱいになった。3ヶ月ぶりにドゼ将軍に声を掛けてもらって、泣きそうになった。

 落涙直前で、遠慮のない馬鹿笑いが轟いた。


「ダヴーに、助太刀してやったんだ。柱の陰に、まるで乙女みたいに隠れてるから。ドゼ、お前も、ちっとも気づいてやらないんだもんな。ま、無視したい気持ちもわかるけどよ。こいつが、も少し可愛ければ、お前も嬉しかったろうが」


「乙女?」

俺の耳が、ピクンと動いた。

「オージュロー将軍。俺の名誉を棄損したあんたに、決闘をも、」


「恩人になんてことを……。冗談だ、って。ダヴーが乙女であるわけなかろうが。鏡を見ろ、鏡を!」



 この間、ドゼ将軍は、じりじりと後じさり、赤毛の大尉の影に隠れてしまっていた。そのドゼ将軍に、オージュローが声を掛けた。


「なあ、ドゼ。俺は冷たい男じゃ、なかろう?」


「冷たい?」

 大柄な大尉の後ろから、ドゼ将軍が、ひょっこりと顔を出す。彼は、眉を顰めていた。

「何のことやら」


「おっと、」

再び、オージュローが大声で笑った。けらけらと、本当におかしそうだ。

「お前とは、はじめましてだものな。俺が、オージュローだ。ボナパルトの下にいた」

「あ……」



 ドゼ将軍は、知らない。

 イタリア軍につけられた派遣議員、クラークに、スパイされていたことも。

 自分が彼と交わした会話が、総裁カルノーに報告されていたことも。

 その報告書を、よりによって、噂の主、オージュローに見られてしまったことも。


 だが、即座に、彼は、何かを悟ったようだ。明らかに慌て始めた。

 単に、イタリアでの噂話を思い出しただけかもしれない。それによると、オージュローは、宝石強盗の上に、仲間の見張りを殺すような冷たい男だ。

 噂ではなく、事実だが。



「ええと、オージュロー将軍。新たに創設されたドイツ軍の総司令官に就任された……」

つまり、ドゼ将軍の上官だ。ドイツ軍における、たった一人の。



右翼旧ライン軍のことは、よろしく頼むぜ、ドゼ」


 オージュローの出現で、ピンと張りつめていた空気が、一気に緩んだ。

 温かい眼差しが、向けられた。

 それらはなぜか、オージュローと並んで立っていた俺に注がれた。








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