第42話 右翼・旧ライン・モーゼル軍



 「おい、アデュー。弾丸はくすねてきたか?」

「まかせてちょ。弾薬も充分だ」

「バレてないだろうな?」

「倉庫係も、俺らの仲間よ」


「食糧は?」

「保存できるものを、少しずつ、持ち出してるべ」

「食糧は、それほどたくさんは要らないぞ? ドイツのド田舎と違って、パリへ向かうんだ。途中途中で、補給できる」


「まさか、道すがら、住民から略奪するんじゃあるまいね? それだけは、やったらダメだべよ」

「略奪? 人聞きが悪い。ドゼ将軍の名を出せば、向こうから持ってきてくれるさ。頑張ってください、彼を、我々の元に返してもらって下さい、応援してます、って言ってな!」

「ダヴー准将、あんたがそれをやったら、恫喝……」


「大丈夫だ。こうるさい将校クラスのやつらには声を掛けてないから。身分があるから、後で、責任を取らされたら、気の毒だからな。決して、規律規律って、うるさいからじゃないぞ」

「将校クラスは、あんただけかい……」

「心配するな。責任は全て、俺が取る」

「取り切れるのかよ?」


「お、アデュー!」

「ジャンじゃないか!」

「アデュー、お前、今朝がた、厨房からイモを盗んだろ。水臭いじゃないか。お前らの計画は知ってるぜ?」

「う……内緒にしてたべ?」

「ふふん。お前の内緒なんか! だが、見損なってもらったら、困るね。俺ら厨房係も、一緒に行く。俺らは、どこまでも、ライン軍と一緒さ。ドゼ将軍ともな!」

「だが、厨房係がいなくなったら、ここの司令部ストラスブールが困るべよ」

「知るかよ。どうせ、兵隊の殆どは、若ハゲ准将と一緒に行くんだからよ」

「ジャン!」


「なんだよ、アデュー。あ、そっちに、誰かいるのか。もちろん、同志だよな」

「同志っちゃ、同志だにゃ」


「おやまあ、あんたも、立派な後退組じゃねえか。まだ若いのに、気の毒に。だが、気にするな。今回の指揮官もそうだから。ダヴー准将は、ドゼ将軍の名誉を挽回しに行くんだ。額を輝かせてな。目的の為には、政府への爆撃さえ、辞さねえ。深く感動したね。だから俺らは、その若ハゲについていく。地獄の底までもな」


「おっ、おい、ジャン」

「なんだ、アデュー。あれ? どうしたんだ? 震えてるじゃないか。怖気づいたのか?」


「後退は、額だけだ。常に前進あるのみ! 出発の時は、ジャン。鍋を持ってついてこい」







 今や、ドゼ将軍は、無職だ。

 それなのに、彼はまだ、帰ってこない。

 もしやイタリアで、呑気に女の子を眺めて、鼻の下を伸ばしているのではあるまいな。



 「迎えに行こうか」

サヴァリが気を揉んでいる。

「途中で合流して、そのままロシア皇帝の陣営に……」


「それはダメだ。オージュロー新司令官に聞かれちまったじゃないか」

ラップが釘を刺す。

「じゃ、トルコ大帝軍もなしだな」

「うん。困ったな。だが、軍人以外のドゼ将軍なんて、考えられない」


 アホの2人が、際限もなく話し合っている。




 今は亡き(生きてるが)、モロー司令官は、ドゼ将軍に、バイエルンとビュルテンベルク伯領シュヴァーベンから、金を取ってくるよう、命じていた。ボナパルト将軍には、その仲介を頼む。そもそもそれが、今回、ドゼ将軍に課された任務だった。


 パッセリアーノボナパルトの滞在地へ着いて早々、ボナパルト将軍は、仲介を拒否したと、連絡が来ていた。ボナパルトは、自分は、オーストリアの全権者を相手にしているのであって、ドイツ諸邦を相手にしているわけではないから、と豪語したそうだ。


 一方で、ドゼ将軍は、ボナパルト将軍と、「友達」になったという。何が「友達」だ。ボナパルトは、ドゼ将軍より、遥かに格下なのに。全く、わけわからん。


 とまれ、新しい「友達」ドゼ将軍の為に、ボナパルトは、ミュンヘンで、バイエルン選帝侯に会えるよう、手配してくれたらしい。そこで、戦争拠出金の督促ができる、というわけだ。


 とすると、ドゼ将軍は、ドイツ回りで帰ってくるようだが……。




「ドイツは広い。途中で行き違ったらことだしな」

 ラップが言い、サヴァリが頷いた。阿呆どもといえど、それくらいの知恵は回るらしい。

「ドゼ将軍は、クーデターのことは知っているのかな」

「知ってるんじゃねえの」


 クーデター勃発当時、彼はまだ、パッセリアーノのボナパルトの元にいた。




 そもそも、総裁バラスが、フリュクティドールのクーデターを起こそうと決断したきっかけだが、それは、ボナパルトだ。イタリア遠征の傍ら、彼が、王党派のスパイを捕まえ、そいつが持っていた書類を、バラスに提出しからだ。

 書類には、かつてライン方面軍司令官だったピシュグリュが、政府を裏切っていた事実が記されていた。これにより、バラスは、ピシュグリュの、決定的な弱みを手に入れたことになる。身近に迫った脅威、王党派の五百人会議長の。


 勘の鋭いボナパルトのことだ。当時、ピシュグリュの下にいたドゼ将軍に、何らかの累が及ぶかもしれないことを、予見できなかったわけがない。




「ボナパルト将軍は、自分がクーデターに参画していることを、ドゼ将軍に、教えたんじゃないかな」

「だって2人は、『友達』になったんだものね」

ラップとサヴァリが、甘い予想にふけっている。


「それはありえねえな」

即座に俺は否定した。


「なんでだよ」

むっとしたようにラップが問う。

「友情って、大事だよ? 特に軍人には」

サヴァリも断言する。


「だってよ。新しくできた友達なんて、信用できねえだろ。まして、自分から会いに来るやつなんてよ」

少なくとも俺なら、そう思ったろう。ドゼ将軍は、彼の方からボナパルトに、会いにいくべきではなかった。


 ラップとサヴァリがため息を吐いた。




 「お、ここにいたか」

ひょっこりと、アンベールが顔を出した。

「早く来い。政府から、新しい辞令が出たらしいぞ」




 それは、全く新しい辞令だった。


 9月の末に、ライン・モーゼル軍と、サンブル=エ=ムーズ軍は合体して、「ドイツ軍」となっていた。「ドイツ軍」は、合わせて、17万5千人の大所帯となった。


 うち、旧サンブル=エ=ムーズ軍(亡くなったオッシュの軍だ)は、「左翼」と改名、ルフェーブル(*1)将軍が指揮を執ることになった。


 残るライン・モーゼル軍は、「右翼」と改名された。その指揮官は……。



 「満足したか、お前ら」

ダミ声が轟いた。


 そうだ。

 旧ライン・モーゼル軍ドイツ軍右翼の指揮官には、ドゼ将軍が任命されたのだ。

 俺達の、ドゼ将軍が!



「クセのあるやつらの大隊を、ひとまとめに指揮するのは、荷が重くてな。俺ももう、年(*2)だし。その上、隙あらば、トルコやロシアに駆け込もうとするやつらはいるし」


 オージュローが言い、ラップとサヴァリが首を竦めた。


「はては、パリへ攻め入ろうとする、血の気の多い奴までいる」


 その場の全員が、俺を見た。俺は、知らん顔を決め込んだ。


「そういうわけでな。人のいいルフェーブルと、人気者のドゼに、助太刀を頼もうと思い立ったわけよ」


 自然と、拍手が沸き起こった。

 オージュロー司令官が、旧ライン・モーゼル軍に、受け容れられた瞬間だった。








───・───・───・───・───・


*1 ルフェーブル将軍

後のナポレオンの元帥。97年の戦闘ではオッシュの右腕としてサンブル=エ=ムーズ軍を牽引。勝利を目前にしてボナパルトのイタリア軍勝利により停戦を強いられたルフェーブルは、知らせを齎したイタリアからの使者に対して、「君は、途中でワインの1本も飲んでくるべきだったのだ!」と吐き捨てたという。


なお、サンブル=エ=ムーズ軍の実力者、クレベールは、この時期、引退状態だった。一説には、オッシュに追い払われたとも言われている。マルソーの葬儀まで見届け、クレベールはライン河畔を離れ、シャイヨー(パリ)で暮らしている。



*2 

オージュローは、この年、40歳。

言い忘れましたが、彼も、ナポレオン時代、最初に選ばれた元帥の、一人です。






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