第41話 ドイツ軍新司令官オージュロー



 「ほほう。楽しい計画を立てているな」

ひどいダミ声が降ってきた。

 がっしりとした体格の、背の高い、40歳絡みの男が立っていた。


「誰だ、あんた」


 邪魔が入って、俺はむかついた。せっかく、ドゼ将軍奪還計画を立てていたのに。


 不気味な笑みを、男は浮かべた。


「オージュロー」

 不敵な表情を浮かべたまま、簡単に名乗る。


 オージュロー? 聞いたことのある名前だな。それも、つい最近。ええと……。

「あっ! パリを包囲したやつだな! オッシュ将軍に代わって!」


 総裁バラスの要請で、イタリアのボナパルト将軍が派遣したやつだ。ボナパルトは、自らパリへ向かうことはせず、部下のオージュローを差し向けた。


「そうそう。その、オージュローだ。そして今や、このドイツ軍の司令官だ」



 事態は、めまぐるしく変化していた。

 9月(今年、97年)。ライン・モーゼル軍とサンブル=エ=ムーズ軍は合併し、ドイツ軍と名を変えた。司令官として、総裁政府は、オージュローを任命した。言うまでもなく、フリュクティドールのクーデターを成功させ、王党派を追い払ったご褒美だ。



 条件反射で、ラップとサヴァリが起立した。俺も、ゆっくり立ち上がった。見下ろされるのは、趣味じゃねえからな。


「そうだ。誰が一番偉いか読み取ることは、大切だ。それにしても、モローってやつはよ。旧ライン・モーゼル軍の司令官な、お前らの上官だった。あいつは、アホだな。ピシュグリュの裏切りを告発する手紙を、よりによって、バーセルミー宛てに出したんだから」


 俺達は顔を見合わせた。


 今回のクーデターフリュクティドールのクーデターで、バーセレミーは、総裁政府の明確な標的の一人だった。

 バーセレミーは、はっきりと、王党派の総裁だった。そもそも、春の選挙で、王党派の彼が総裁に当選したことが、クーデターのきっかけのひとつだったはずだ。



 「逮捕されたばかりの総裁殿の部屋で、裁判に使えそうな書類をかき集めていたら……」

「そんな、後から証拠を探すような真似、」

 サヴァリが言いかけた。盛大に、オージュローが鼻を鳴らす。

「あのな。これは、クーデターなの」


 しゅん、とサヴァリが俯いた。そうだ。軍事行動なんだ。法的に正しいか正しくないかなんて、問題にならない。


「そこへ、モローの手紙が届いた。例の、私はピシュグリュの裏切りを知ってたけど、黙ってました、って告白の。主の消えた、王党派の新総裁バーセレミーの執務室に、だぜ? 笑っちまうよな」

 からからと、オージュローは笑った。全然、おかしそうではなかった。



 新総裁・バーセレミーは、カルノーほどは、鼻が利かなかった。彼はまともにクーデターの波を喰らった。ピシュグリュと共に捕らえられ、ギアナへ流罪になった。


 そのバーセレミー宛てに、己の罪を告白する手紙を書いたところで、情状酌量なんて、されるわけがないではないか。書くなら、クーデターの黒幕・バラス総裁宛てに書かなければならなかったのだ。それなのに、バーセレミー宛てとは!


 モローには、全く、状況が読めていなかったことになる。ぎりぎりまで、五百人会議長ピシュグリュにつくか総裁政府に尻尾をふるか迷っていたくせに、あんまりな日和見センスだ。



 「そうそう。書類と言えば……」

ぴたりと、オージュローは笑いを引っ込めた。ぎろりと目を光らせ、俺達を見渡す。

「お前らさっき、ドゼとかいうやつの話をしてたな」

 不穏な口調で、オージュローは、その名を口にした。

「ちょっとそいつと、話をしたい」


「ドゼ将軍なら、まだ、イタリアから帰っていません」

サヴァリが答える。ひどく不安そうだ。


「イタリア? ああ、まだ、ボナパルトの所にいるんだな。きっと、くだらないおしゃべりに、花を咲かせてるんだろうよ」


「ドゼ将軍のことを、悪く言わないで下さい」

 ラップが低く唸る。こいつが言ってくれて助かった。危うく俺は、新司令官につかみかかるところだった。


「あのなあ」

呆れたように、オージュローは言った。


「ドゼに悪口を言われたのは、俺様の方なんだぜ? まあいいや。順を追って話そう。バーセレミーを逮捕した後、俺は、もう一人のターゲット、総裁カルノーの部屋に踏み込んだ。カルノーは、いち早く逃亡してたがな。全く、逃げ足の速い野郎だぜ。せめてもの土産に、俺は、やつの書類箱を漁った。そして、未決箱の中で見つけたんだ。クラークとかいう、派遣議員政府のいぬの報告書をな」


「クラーク将軍!」

 すかさず、サヴァリが手を打った。


「知っているのか、サヴァリ」

「うん。前にライン軍の将校だった人だよ。ドゼ将軍とも、仲が良かった」



「続きを話していいかね?」

わざとらしい慇懃さで、オージュローが口を挟む。

「どうぞ」

謙虚に、サヴァリが促した。


「クラークは、ボナパルトにつけられた派遣議員だ。イタリアのお宝をボナパルトがひとりじめしないよう、カルノーが付けたんだな。あんまり成功しているようには見えないけど(*1)。ボナパルトに会いに来たドゼは、あいにくと主が留守だったんで、代わりに、政府の犬クラークと、楽しくおしゃべりしたわけよ」



「……あの人らしい」

脱力した声で、ラップがつぶやく。


「おしゃべりは別に構わんよ。ドゼは、社交的な男なんだろうよ。だが、内容がな。クラークの報告書によると、ドゼはこう言ったそうだ」


オージュローは言葉を切った。冷え冷えするような目つきで、俺らを見渡す。


「オージュローって将軍が、ロマーニャの質屋に強盗に入った。彼は、宝石やダイヤモンドをたんまり盗んだ。挙句、獲物をちょろまかした見張りを『冷たく』撃ち殺して逃げた」


「……」

「……」

「……」

俺達は顔を見合わせた。


「ドゼ将軍が、そう言ったのか?」

「ああ、そうだ」


「なら、その通りなんだろうよ。あんたは冷酷な人間だ」

 俺は断言した。傍らで、低い呻きが聞こえた。サヴァリの声だ。


「そんなわけあるか。俺は、善良で、気持ちの優しい人間だ」


 平然と、オージュローが受け流す。しかし、その目は、相変わらず酷薄な光を湛えていた。

 わざとらしく大仰に、肩を竦めた。


「なあ。ひどくないか? 強盗だの、見張りを射殺だのって。ぺちゃくちゃ噂を拡げやがってよ。俺の、カスティリオーネ(*2)での素晴らしい活躍で、せっかく消えかけていた噂を」



「事実なのか、その噂は」

俺は尋ねた。


「事実だ」

オージュローは答えた。


「なんだ。それなら……」

 笑おうとしたサヴァリが固まった。それほど、オージュローの放つ気配は、剣呑だった。

 こいつは、戦争以外でも、平気で人を殺せる男なんだ。


「今どき女だって、人の噂話なんてしないぜ。失礼な奴だよな、ドゼって野郎は」


「外へ出ろ!」

問答無用で俺は叫んだ。


「ダメだ、ダヴー!」

「ドゼ将軍に止められてるだろ!」

言い終わらないうちに、サヴァリとラップに、両側から押さえつけられた。


「離せ! おい、お前、」

「オージュローな」


「オージュロー、俺はお前に申し込む。けっ、」


「黙れ、ダヴー!」

「口を開くな!」

 ラップとサヴァリが同時に叫んだ。すかさずサヴァリが、掌で、口を塞ぐ。


「俺に何を申し込みたいのかな?」

 オージュローが、にやにや笑っている。

「結婚か?」


「いえ、司令官殿。彼は何も申し込んではいま、」

「痛っ」


 ラップが言いかけている途中で、サヴァリが叫んだ。掌の、親指の付け根の膨らんでいる辺りに、噛みついてやったのだ。

「何すんだよ、ダヴー!」


「どけ! 俺は、オージュローにけっ、げほっ!」

途中で俺はえずいた。今度はラップが、汚い布を俺の口の中に押し込んだのだ。

「ぐえっ! ぐげ、ぐげげっ」



「ふ、ふふふ」

不気味に、オージュローは笑った。

「他にもいっぱい、ドゼとクラークは、しゃべりくさっててな。途中からは、ボナパルトの噂話さ。執念深いとか、寛容でないとか、明らかに不当な収入がある、とかって」


 ラップとサヴァリは蒼白になった。俺も、口に突っ込まれたボロ布の味と匂いのせいで、窒息しそうだ。


「ぐぐぐぐ」

 やっとのことで、汚い布を吐き出し、叫んだ。

「おい、オージュロー、表へ出ろ!」


 ぎょろりと、オージュローは目を剥いた。

「俺はな。嫌いじゃないんだよ、その、ドゼってやつ。ボナパルトのことを、信用していないみたいだから。だって、ボナパルトの悪い噂を拾ってくる、って、そういうことだろ?」


「は?」

 再び、俺達は顔を見合わせた。だって、ドゼ将軍は、彼に会いに、はるばるイタリアまで行ったんだろ?


「ボナパルト、ありゃ、フランス人じゃねえ。コルシカ人だ。イタリア男のくせに、痩せた、顔色の悪いチビでよ。何考えてんだか、わかりゃしねえ。奥方は歯並びの悪い年増だし。バラスの愛人だろ、あれ」


「えっ、そうなのか?」

思わず、問い返してしまった。


「そうだよ。知らなかったのか」

俺の反応に、オージュローは、満足げだった。

「常勝将軍とか、パリでは大評判だったが、それほどの男か?」


「そこは、俺も、全く、同意見だ」


「おい!」

「余計なことを言うな!」


 ラップとサヴァリが腕を掴んだが、俺は無視した。

 オージュローがおどけた顔をしてみせた。


「ボナパルトを取り立てたのは、ロベスピエールの弟と、腐敗した総裁・バラスだ。すげえ人脈だよなあ」


 つい最近、亡くなったオッシュのことを思った。彼は、バラスの為に働こうとして、失敗した。そして、急に病んで、あっという間に死んでしまった……。

 きな臭い。

 なんだかよくわからないけど、陰謀の匂いがする。


「俺もな。もし万が一、ボナパルトが、天下を取ったら、お祝いを言いに行くのは、やぶさかでないが。さっきも言ったろ? 誰が一番偉いかは、刻々と変わるものだ」


 楽しそうに、オージュローは笑った。


「あんたとは、うまくやっていけそうな気する」

慎重に、俺は言った。


「おっ、そうか?」

オージュローは、嬉しそうだ。


「だが、ドゼ将軍の悪口だけは許さん!」


「俺は、上官ボナパルトが好きではないが、お前らは、上官ドゼが、大好きなんだな」

思案深そうな顔に、オージュローはなった。

「そういうのは、嫌いじゃないぞ、ダヴー」


 気易く名を呼ばれ、俺は激怒した。

「なぜ、俺の名前を知っていやがる!」


「そっちのお仲間が、連呼してたろうが」

 高らかに、オージュローは笑った。








───・───・───・───・───・


*1 派遣議員のクラーク

レオーベン条約、それを確認した、カンポ・フォルミオの和約の利益が、ボナパルト一人に集中しないように監視する任を帯び、総裁政府からボナパルトの元に派遣されていた


*2 カスティリオーネの戦い

ナポレオン対ヴルムザー戦。オーストリア軍にとって、フランス軍のマントヴァ要塞の包囲を破る為の戦いだったが、オーストリアの敗北に終わる。この後、マントヴァに戻ったヴルムザーは、本国からの補給を絶たれ、要塞を明け渡す決断を強いられた。

健康を害したヴルムザーは、翌年、ウィーンで死去。73歳。

ヴルムザー → 12話「名誉を掛けた約束」参照下さい







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