第40話 歯ぎしり



 サン=シル将軍の姿が見えなくなり、それまで息を顰めていたラップが、ほっと、息を吐き出した。


「ピシュグリュの裏切りを、みんなが知っていたのなら、なぜ、ドゼ将軍とレイニエ将軍だけが、免職になったんだろう」


「総裁政府に、モローが手紙を書いたからだよ。自分の他に、ドゼ将軍とレイニエ将軍も、ピシュグリュの裏切りを知っていた、って。さっき、サン=シル将軍が言ってたろ」

毒気の抜けた顔で、サヴァリが教えてやっている。

「ピシュグリュの退任後も、オーストリアからは、文書が届けられていた。その文書を、新しく司令官になったモローは、ドゼ将軍と、レイニエ将軍にも、見せたんだ」



 ぎりぎりぎり。

 俺の歯ぎしりが、部屋中に響き渡った。


 なぜここに、モローがいないんだ?

 今すぐ、あの金髪の優男の、顔のど真ん中をぶん殴りたい。床に殴り倒してから、整った顔を、ブーツの踵で、めちゃくちゃに踏みつけてやりたい。



「そういえば、ドゼ将軍の療養中、レイニエ将軍が見舞いに来ると、彼は決まって、俺らを部屋の外へ出したよな」

 頭の悪いラップにも、ようやく、全てが繋がったようだ。

「あの時、ドゼ将軍とレイニエ将軍は、オーストリアから来た、手紙の話をしてたんだ。モローが手に入れた、ピシュグリュ将軍宛ての。間違いない。だからドゼ将軍は、俺らを、部屋の外へ追い出したんだ。巻き込むまいとして!」


「モローとは、大違いだ!」

 言いながら、声を放って、サヴァリが泣き出した。ラップが続ける。


「ドゼ将軍は、モロー司令官を嫌っていたっけな。彼に対して、すごく愛想が良かったんだけど、あれは、嫌っていた証拠だ」


 ……モローの下にいることに、嫌悪感を感じる。

 ドゼ将軍は、サン=シル将軍に語った。モローへの、強い批判には、理由があったのだ。


 九七年の戦闘でライン右岸(東側)に渡河したモローは、エミグレのクリンゴン将軍の馬車を捕まえた。ディアースハイムでドゼ将軍が怪我をし、俺が、オーストリア軍の左側面を叩くのに躍起になっていた時だ。

 クリンゴンの馬車には、ピシュグリュの裏切りを証明する書類が積まれていた。


 イタリアでスパイを捕まえたボナパルトと違い、モローは、この件を、政府に報告することをためらった。五百人会議長ピシュグリュにつくか、総裁政府につくか、決めかねていたからだ。


 保身の為に、中央への報告を遅らせた……その時点で、モローは、犯罪を犯したといっていい。母国フランスへの、明確な裏切りだ。


 あまつさえ彼は、ドゼとレイニエに、その書類を、閲覧させた。

 モローの意図は明らかだ。彼は、来るべき将来の危険に、2人の部下を、巻き込もうとしたのだ。あるいは、将来の危険に対する楯として、使おうとしていた。

 自分の部下を。


 そうだ。理由もなくドゼ将軍が、他人を酷評するわけがないんだ。




 「ついていく」

きっぱりとラップが言い放った。

「ドゼ将軍がどこへ行こうと……たとえトルコ大帝の軍へ入るのだとしても、俺は、彼についていくぞ」

「僕も! ロシア軍だって構わない!」

「俺らは、どこへだって、ついていく。ダヴー、お前は?」


「俺は、行かない」

そっぽを向いて、俺は答えた。


「なんだって!?」

「この、裏切り者が!」

ラップとサヴァリが、悲鳴のような声を上げた。

「あんなに、ドゼ将軍の後を追っかけまわしていたくせに!」

「そうだよ! あれは、迷惑だった!」



「裏切りなんて、言うな!」


 俺は一喝した。

 裏切り者は、モローだ。いや、そもそもは、ピシュグリュだ。まったく、ライン軍総司令官というやつは……。


「ドゼ将軍は、国を裏切ってなんかいない。ちょっとばかり女にだらしがないが、いや、それは勲章だ。ともかく、彼は、英雄だ。それなのに、なぜ、軍を追われなくちゃならない?」


「総裁政府が免職にしやがったんだ。どうしようもないじゃないか」

「ドゼ将軍を擁護してくれそうな人は、政府に、いなくなっちゃったし。カルノー総裁も、マチュー・デュマ議員も」


 クーデターの気配を察し、ふたりとも、いち早く、国外へ亡命していた。(*1)



「そんなの、どうだっていい」

阿呆の二人に、俺は、ぴしりと言い渡した。

「彼を渡さなければいいんだ。ライン・モーゼル軍は、彼を手放さない。決して」


 頭の中が、かっと熱くなった。怒りの発作に、俺は身を任せた。


「総裁政府がクーデターを起こすなら、ライン軍も、クーデターを起こせばいい。パリへ向かって、行軍だ! 首都を包囲するんだ。武器弾薬、食糧は、現地調達だ。ドゼ将軍の為なら、住民は、喜んで、物資を差し出すだろうよ。あの人を追い出すなんて、この国は間違っている。釘を仕込んだ砲弾をぶっ放す! テュイルリー国会に向けて。国会を、廃墟にしてやる!」


 ラップとサヴァリは顔を見合わせた。

「今回ばかりは、お前に賛成だ、ダヴー」

「僕も。さっそく他のみんなに知らせて、」



 「ほほう。楽しい計画を立てているな」


 ひどいダミ声が降ってきた。

 がっしりとした体格の、背の高い、40歳くらいの男が立っていた。







───・───・───・───・───・

*1

第38話の後書き、参照下さい

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