フリュクティドール(実月)の余波
第39話 モローの最後っ屁
突然、モロー将軍……現ライン・モーゼル軍の総司令官……が、総裁政府に手紙を書いた。
「
私は、ピシュグリュが、オーストリアとコンデ亡命貴族軍と、密かに連絡を取り合っていることを知っていました。というのも、昨年度の戦い(97年)で、私は、エミグレから彼への通信文を手に入れたからです。それにより私は、彼が、95年から、国を裏切り続けていたことを知りました。(*1)。
ですが、ピシュグリュ将軍は、オランダ戦における、私の上官です。この件を政府に報告し、彼を裏切ることはできませんでした。
しかし今、忠実な共和党員として、私は、総裁政府への忠誠を誓う為、この事実を、政府に報告致します。
なお、敵側から通信があった事実は、私の二人の部下、参謀のレイニエと、師団長のドゼも知っています。
」
9月3日、フリュクティドールのクーデターの前日の日付だった。
かつての上官、ピシュグリュを裏切れなかった、というのは、嘘だ。
モローはぎりぎりまで、
自ら告白することにより、彼は、追放や収監は免れた。だが、ライン・モーゼル軍司令官は、免職になった。
そして。
「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ!」
「俺もそう思うよ、ダヴー。嘘ならいいって」
「僕だって」
ラップが言い、すかさず、サヴァリが同調した。
「嘘だ!」
憤懣やるかたなく、俺は叫んだ。
「なぜ、ドゼ将軍まで、軍務をクビになるんだよ!」
そうだ。
モローの最後っ屁……、
……「ピシュグリュの裏切りを自分は知っていた。だが、知っていたのは自分だけではない」……、
……のせいで、ドゼ将軍とレイニエ将軍まで、免職処分になってしまったのだ。
あの、金髪の優男の保身のせいで!
免職。
ライン軍将校の地位の剥奪。それだけではない。軍に在籍することさえ許されない。
「嘘だ! ドゼ将軍が、俺の前からいなくなるなんて、うそだぁぁぁぁぁーーーーーーっ!」
喚くことで俺は、懸命に、精神を安定させようとした。
「ダヴー、僕を殴れ」
サヴァリが乱心した。
「思いっきり、僕を殴ってくれ」
「よせ、サヴァリ。ダヴーは、本気で殴るぞ」
ラップが慌てて諫める。
「いいから、殴れ!」
ラップを押しのけ、サヴァリが騒ぎ立てる。
「ピシュグリュと敵との往復書簡を運んでいたのは、この僕なんだ! 僕は、ピシュグリュの手紙をバーゼルの司令官に届けた。そして、バーゼルから預かった手紙を、ピシュグリュの元に、運んでいたんだ!」
「知らなかったんだろ? 君は何も知らなかったんだ!」
悲鳴のようなラップの声。
「でも、間接的に、僕は、ドゼ将軍を……、」
サヴァリは、ぐっと喉を詰まらせた。
「あの人を……」
ぎろり。俺はサヴァリを睨んだ。一歩も引かず、彼も俺を睨み返した。
俺は、物凄く腹を立てていた。何かを殴りたくてたまらない。怒りを体の外へ出さなければ、自分が壊れてしまう。
都合よく、サヴァリが自分を殴れと言ってるし、
「何をやってる!」
邪魔が入った。サン=シル将軍だった。柔らかい髪の毛が、寝起きのように、好き勝手跳ねている。
「将校達がケンカをしてるというから来てみたら、お前らか!」
「ケンカじゃありません」
気丈にサヴァリが言い返した。
「僕が……僕が、書類を……。ピシュグリュ司令官の裏切りの書類を、運んで……、」
何の話か、サン=シルには、すぐにわかったようだ。
「イタリアで、ボナパルトが捕まえたスパイの話だな」
前にオッシュが言っていた通り(37話)、イタリア遠征の折、ボナパルトはヴェネチアで、プロヴァンス伯(後のルイ18世)のスパイを捕まえた。
アントレグというそのスパイが持っていた書類によると、オーストリアと
当時、ピシュグリュは、サヴァリを、バーゼルとの連絡係に使っていた。もちろん、彼が運ぶ文書についての詳細は、伏せたままで。道中、サヴァリが殺された場合に備えて、別の将校がスタンバっていたというのだから、用意周到だ。
この情報を、ボナパルトは即座に総裁バラスに提出した。そこが、別ルートで同じ情報を手に入れながら、日和って隠し持っていたモローと違う所だ。バラスはピシュグリュの裏切りの証拠を、一番効果的な時期に使用した。それが、フリュクティドールのクーデターだ。
「俺も知ってた」
あっさりとサン=シルが言ってのけた。
「はい?」
サヴァリ、ラップ、俺。
三人の声が、重なった。
サン=シル将軍は、憮然としていた。
「別にボナパルトは、特別な手柄を上げた、ってわけじゃない。ただ、やつは、バラス総裁と繋がっているからな。情報はすぐ、バラスの元へ行ったわけだ(*3)。だが、ピシュグリュがオーストリアと連絡を取り合ってた件なら、俺だって、知ってたぞ」
あまりのことに、俺達三人は、固まってしまった。
「オーストリアからの馬車が、ライン軍の司令部に来たのを、何度か見た。休戦期間だったから、気にも留めなかったけど」(*4)
「だって、敵国の馬車でしょ! それが、
思わず俺は詰め寄った。
「わりとよくあることだ」
サン=シルは、けろりとしている。
「今年の春だって、オーストリアのラトゥールとローゼンバーグが来たろ。ドゼの見舞いに」
「しかし!」
「本当に、よくあることなんだ。詳しく知る必要もない。俺達は、決めたんだ。俺も、レイニエも、ドゼも。
つまりそれは、ピシュグリュの裏切りを見て見ぬふりをしていたという……。
「代々、ライン軍は、俺ら若い将校に、好きなようにやらせてくれた。作戦を立てさせ、指揮を任せる。もちろん、失敗もたくさんあった。
「ピシュグリュの場合は、オーストリアや
俺は喰い付いた。サン=シルの言いたいことはわかる。だが、正義感から、到底、納得できなかった。
「結果論だ。その時は、俺達は何も知らなかった。俺も、レイニエも、ドゼも。俺達はただ、馬車を見て、ああ、オーストリアから誰か来たんだな、と思っただけだ」
「それは、単なる思考停止なのでは?」
「うん。だが、他にどうしようがある? あの頃は、恐怖政治が終わったばかりだった。だが、これからどういう政府が国を牛耳るか、わかったものではない。ここで、ピシュグリュを持っていかれたら、誰が、ライン軍の指揮を執るんだ? というか、敗戦した場合、誰が責任を取るのか。次の戦いは迫っていた。そして、めぼしい将軍は、もう、いない」
リュクネルから始まる、ライン軍の総司令官は、3年足らずの間に、実に、4代に亙って、処刑されている。敵との密通を疑われての逮捕・処刑だが、実際には、彼らは無実だ。それどころか、高潔で、勇敢な将校達だった。(*5)
信頼していた上官が、ある日突然、裏切り者として、派遣議員に逮捕、連行されていく。軍の不安、士気の低下は、いかばかりだったろう。上官を挿げ替えられたことにより、うまくいきかけていた作戦が頓挫したことも、枚挙にいとまがないという。
「わかったか、サヴァリ。お前がバーゼルから運んだ書類だけが、ピシュグリュの裏切りの証拠じゃない。彼と、オーストリアの間でやりとりがあったことは、司令部の将校はみな、知っていた。今回、ドゼとレイニエが免職になったのは、モローが、総裁政府に、余計な手紙を書いたからだ」
「諸悪の根源は、モローか!」
さすがサン=シル将軍だ。話をよく整理してくれた。
相手をよく見極めるのは、大切なことだと思う。人間違えをしたら、せっかくの天誅も、無駄になるからな。
じろりと、サン=シルが俺を見た。
「銃剣を持って、モローの所に押しかけるんじゃないぞ、ダヴー。どのみち、彼はもう、ストラスブールにはいない」
「サン=シル将軍!」
下士官がやってきた。走ってきたと見えて、息が切れている。
「酔っぱらった兵士たちが、街へ繰り出そうとしています」
「そうだった!」
サン=シルが飛び上がった。
「ドゼが免職になったのを理由に、酒蔵から酒を盗みやがって、あいつら! 街の人に狼藉を働く前に、取り押さえなくちゃならん。いいか。ドゼがなかなか帰ってこないせいで、俺は、今、死ぬほど忙しいんだ。くだらんケンカをして、これ以上、手を焼かせるんじゃない!」
言うだけ言うと、サン=シル将軍は、嵐のように去っていった。
───・───・───・───・───・
*1
ドゼが怪我をした1797年の戦いで、ライン河右岸へ進出したモロー(25話「最後の命令」)は、
*2 エミグレ軍
ブルボン家のコンデ公の元に集結していた。コンデ公は、息子のブルボン公、孫のアンギャン公とともに、革命政府を相手に、ゲリラ的に戦っていた。彼らは、オーストリア初め諸外国に援助を頼み、特に、フランスの王の軍隊出身のヴルムザー元帥の元に、多く集まっていた
*3 バラスとボナパルトの繋がり
1795年10月(2年前)、
「三帝激突」というチャットノベルにまとめてあります
・7話「ヴァンデミエール将軍」
https://novel.daysneo.com/works/episode/905fcb14c3fa8b31a10f2d6ab808f4f0.html
・8話「ナポレオン最初の結婚」
https://novel.daysneo.com/works/episode/766ee9e73162f7a84bbddf1c733f1fbb.html
*4
ピシュグリュの裏切りは、1795年、彼が二度目に、ライン方面軍の司令官になった時に始まる。1章「マンハイム包囲戦」の年。
スパイ・アントレグには、ドラマや映画もびっくりの続きがあるのですが、それは、4月10日まで、お待ちください。
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-158.html
*5
ライン軍総司令官の運命について、まとめてみました
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-152.html
この中の、
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