第38話 フリュクティドールのクーデター



 「おお、ダヴー! よく無事で……」

再び俺は、アンベール直属の上司に、涙と鼻水で迎えられた。

「サヴァリとラップから、お前が、休暇を利用して、パリへ行ったと聞いた。だから、てっきり死んだものだと……」

「毎度毎度、人を、殺さないでください」

「だって、パリでは、クーデターが起きたんだよ? 知ってるか?」




 オッシュから聞かされた通りだった。

 革命歴Ⅴ年フリュクティドール18日(1797.9.4)。

 ボナパルト麾下のオージュロー率いる軍が、国会を囲んだ。


 ピシュグリュはじめ、王党派の議員は、あっという間に逮捕された。また、5人の総裁のうち、王党派寄りの2名が、逮捕、あるいは国外へ亡命した。


 逮捕された議員たちは、カイエンヌ(フランス領ギアナ)へ流された。慣れない南国の地である。それはそのまま、風土病の犠牲になることを意味し、緩慢な死刑といえた。




 「ダヴー!」

 俺の軍服に縋りつき、鼻水をなすりつけつつ頭頂部を見せるアンベールを、やっとのことで追い払うと、仔犬のように走り寄ってきたやつがいた。サヴァリだ。

「良かった。クーデターに巻き込まれたかと思った」


「ピシュグリュを脅しに行くって言ってたから、俺ら、本当に心配したんだぞ」

後ろから、ラップもついてきた。

「で、未払い給料はどうなった?」

 なんだ。そっちか。


「ピシュグリュには会ってねえよ。つーか、途中で引き返してきたし」


「え!」

「なんで!」

ドゼ将軍の補佐官二人は叫んだ。ひどい非難の色を浮かべている。

「金払ってもらいに行ったんじゃねえの、パリへ」

「それなのに、途中で引き返してくるなんて!」


 「途中で、オッシュ将軍に会った」

俺は説明した。初志貫徹のできない、卑怯者だと思われたくないからな。

「彼が、パリへ行ったら危険だと教えてくれた。ピシュグリュは、総裁政府からマークされているからって」


「オッシュ!」

 サヴァリとラップは顔を見合わせた。

「ドゼ将軍の、天敵だ」


「そう言うなよ、ラップ。彼は彼なりに、国を愛しているんだ。ドゼ将軍とは、やり方が違うだけだ」



 ドゼ将軍とオッシュ将軍。

 1人は貴族出身で、親族のほぼ全員が、敵に回ってしまった。出世を拒否し、ただ、自分の信念の為にのみ、戦い続ける。


 もう一人は、厩番の息子で、共和国は彼に、栄光を齎した。讒言され、収監されることはあっても、再びチャンスを掴み、軍人として、最高ランクへの階段を上り詰めた。


 母国に対する考え方は、違って当然だ。



 「それって……」

サヴァリが、考え深いまなざしになる。

「もし、オッシュ将軍に会わずに、そのままピシュグリュに会っていたら、ダヴーも、危険人物扱いされたってことかな」

「ダヴーは元から危険だが」

「あはは。その通りだね!」


「この馬鹿どもが!」

 ドゼ将軍の副官2人を、俺はまとめて怒鳴りつけた。

「あのまま、もし、ピシュグリュに会っていたら、俺だけじゃ、すまねえぞ。ライン・モーゼル軍全体が、陰謀に巻き込まれたかもしれない」



 現に、オッシュのサンブル=エ=ムーズ軍は、首都へ近づきすぎたという、些末な理由で、パリから追い払われている。その上オッシュ自身、指名されたばかりの、陸軍大臣の地位を失った。



「ピシュグリュが国を裏切ったのは、ライン・モーゼル軍司令官時代だからな。その彼の元へ、ライン河畔から、俺が、のこのこ出掛けて行ったら、どうなったと思う?」


 サヴァリとラップは顔を見合わせた。

「ライン軍には、未だに、ピシュグリュの信奉者シンパがいると思われるな」

「ピシュグリュに肩入れして、政府に歯向かう気があると、誤解されちまうかもしれない」


 さすがに頭の軽い二人にも、事情は呑み込めたものと見える。

 ラップとサヴァリは顔を見合わせ、当時に俺の方を向いた。凄い勢いで、口々に言い募る。


「巻き込まれるなら、お前ひとりにしてくれ、ダヴー」

「僕らは、関係ないから」

「ライン・モーゼル軍を巻き込むな!」

「そうだそうだ!」


「だから、途中で引き返してきたんじゃないか。オッシュから、クーデターの情報を貰って」

むっとして、言い返してやった。サヴァリがため息を吐いた。

「オッシュ将軍に感謝しなきゃだね」

「あと、プシエルギュとかいう、派遣議員にもな」

 俺は付け加えた。



 「クーデターの立案者は、総裁バラスだというぞ」

ラップが教えてくれた。サヴァリが付け加える。

「カルノー総裁は、逃亡したんだよ。旧人会上院の、マチュー・デュマ議員も。ほら、ドゼ将軍が脚を撃たれた時、議会で、彼を激賞してくれた人だよ!」(*1)


 俺は首を傾げた。

 「カルノー総裁は、オッシュ将軍の擁護者だったはずだ。逮捕されたオッシュが釈放された後、いち早く彼を取り立てて、ヴァンデへ派遣した」



 貴族出身でなかったが、恐怖政治時代、オッシュもまた、上官を擁護して、逮捕されている。幸い、彼が処刑されないうちに、ロベスピエールがギロチンにかけられた。いわゆる、テルミドールのクーデターってやつだ。俺と母さんも、テルミドールのクーデターが間に合った口だ。


 そういうわけで、俺達と同じく、オッシュも、生きて娑婆に帰ることができた。


 釈放されたばかりの彼を庇護し、取り立てたのが、当時、派遣議員だった、カルノーだ。今回、王党派寄りとして目をつけられ、いち早く国外へ逃亡した、総裁の一人である。

 ちなみにカルノーは、ドゼ将軍が逮捕された時に、彼が手紙を書いた議員だ。工兵出身で戦争に詳しいカルノーは、ドゼを釈放し、ヴォルムス防衛の任につけた。



「オッシュは、なぜ、カルノーではなく、バラス総裁に加担したのかな」



 バラスの政治は、ブルジョワの利益だけを庇護していると、もっぱらの評判だ。そもそも選挙権そのものが、資産で制限されているし。総裁バラスは、腐敗政治の大元だと、囁かれるようになっていた。

 それでも、オッシュにとっては、王党派寄りのカルノーよりは、腐敗したバラスの方が、好ましかったのだろうか。カルノーは、オッシュの恩人だったにもかかわらず。



「王党派とか、共和派とか。いったいいつになったら、俺達は、仲良くできるんだろう」

「少なくとも、ドゼ将軍とオッシュ将軍には、仲良くしてもらいたいよね」

「ライン河畔で、また、連携することがあるかもしれないものな」


 考え込んでいる俺の傍らで、サヴァリとラップがぼそぼそと話し合っていた。







 総裁政府の起こしたクーデターフリュクティドールのクーデターから、約2週間後、9月19日。


 ヴェツラー(ライン右岸:ライン河東側)にあるサンブル=エ=ムーズ軍の駐屯地で、ルイ=ラザール=オッシュ将軍が、死んだ。(*2)

 9月上旬から、具合が悪かったという。

 29歳だった。



 オッシュの遺骸は、マルソーの墓所のあるコブレンツ(ライン河左岸:西側)へ安置された後、少し北のヴァイセンツルムに運ばれ、埋葬された。

 壮麗な葬儀だったという。まるで、総裁政府が、罪悪感を払拭しようとでもするかのように……。








───・───・───・───・───・


*1

カルノーはニュルンベルクへ、マチュー・デュマは、ハンブルクへ亡命しました。その後、ナポレオンの執政政府ができると、2人は帰国します



*2

オッシュの死因は、結核、とも

オッシュに関して、まとめてみました

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-140.html







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