第37話 オッシュの愛国心



 プシエルギュがため息を吐いた。


「総裁政府の中には、国王が戻ってきたら、都合の悪い奴がたくさんいる。先王ルイ16世の死刑に票を投じたやつとか。ブルジョワを保護して、甘い汁を吸っているやつとか」


「総裁政府を悪く言ってはいけない。総裁政府は、革命の果実だ。人民に選ばれた、共和国の政府なのだ」

 やつれた顔に憤りを漲らせ、オッシュが抗議した。


「もちろんです」

プシエルギュが応じる。彼は、共和制府の派遣委員いぬだ。



 再び、オッシュが口を開いた。

「今回の選挙の結果、総裁政府は、深刻な危機感を抱いた。王党派に政府を乗っ取られるという、危機感だ。それゆえ、共和制を死守する為に、総裁政府は、クーデターを起こそうと目論んだ。俺は……、俺の軍は、バラス総裁と手を組んで、王党派議員を追い出すはずだった」


 総裁バラス。総裁政府の中心人物だ。

 オッシュの顔に生気が宿った。


「俺は、生粋の共和派だ。共和国の為なら、なんだってする。命だって、惜しくない」


「しかし、王党派といえど、同じフランス人でしょう?」



 シュヴァルツヴァルトの森で、ドゼ将軍のしたことを、俺は思った。彼は、捕まえた王党派貴族を逃がした。共和国に対して、害意は持っていないとの、保証書までつけて。

 ドゼ将軍の兄弟親族は、エミグレとなって、共和国と戦っている……。



 オッシュは、激しく首を横に振った。

「俺は、ヴァンデを鎮圧した。あれは、悲惨な戦いだった。王党派は、無垢な農民を利用し、彼らを大勢、死への道連れにした。あまつさえ、イギリスと手を結び、共和国の敵を、この清浄な母国へ上陸させようとしている。許されざる行為だ」



 かつて、デュムーリエに銃を向けさせた自分を思い出した。

 デュムーリエもまた、母国を裏切った。オーストリア軍を、フランスに連れ込もうとした……。


 俺は、しげしげと、オッシュの顔を眺めた。土気色の、艶のない顔だ。だが、その底には、あの時の俺と同じ、祖国への愛が燃えているのが見えた気がした。

 彼の愛国精神は、複雑な感情を持つドゼ将軍より、よほど清らかで純粋なものだと思った。




 「俺は、バラス総裁と手を組んで、王党派を追い出す計画を立てた。だが、ヘマをしちまって……俺の軍が、法で決められた範囲より、ほんの少しだけ、首都に近づきすぎてしまったんだ」


 ここを先途とばかり、議会は、オッシュを責め立てたという。


「なにしろ、五百人会下院の議長は、あのピシュグリュだからな。彼は、4年前、俺にライン軍を乗っ取られたと、未だに、恨んでいるんだ」


「オッシュ将軍は、陸軍大臣に指名されていたんです」

 派遣議員のプシエルギュが口を出した。

「しかし、年齢が、僅かに足りていなかった。そこを、ピシュグリュは鋭く衝いてきた」



 そうだ。

 ピシュグリュは、王党派になったと、誰かが言っていた……。



「ケチのついた俺を使うことを、バラスは諦めた。なにしろ、クーデターだからな。政府主導の」

「万が一にも、失敗はできないというわけですね?」


 それでは、クーデターそのものも、オシャカになったのか?


「大丈夫だ。クーデターは挙行される。バラスの要請で、イタリアから、ボナパルト将軍が、オージュロー将軍の軍を送りこんできた」


 苦し気に、オッシュは、息を切らせた。代わって、プシエルギュが付け足す。


「ボナパルト将軍は、有能な司令官だ。イタリアへ乗り込んだ彼は、戦闘で勝利しただけでなく、ピシュグリュの裏切りの証を、手に入れた。ライン軍司令官時代、ピシュグリュは、オーストリアと内通していた。二度目のライン方面軍司令官時代だ。その証拠の書類を、ボナパルト将軍は、イタリア在住のスパイから手に入れた。彼はそれを、バラス総裁に送った」


「裏切り!? だって? ピシュグリュの!?」



 息が詰まるほど驚いた。

 それが真実だとすると、ピシュグリュの裏切りは、彼が、俺達と一緒にいた時期になる。


 あの、マンハイム包囲の時……。

 あるいは、それより少し前、ドゼ師団が、ヴルムザー軍への陽動作戦を展開していた頃……。


 つか、ボナパルト将軍が、スパイを捕まえた? ドゼ将軍は今、ボナパルトに会いに行っている。彼はこの話を、ボナパルトから聞かされただろうか。



「ピシュグリュの裏切りは、1795年、彼が、オランダから戻って、再び、ライン・モーゼル軍の司令官になった時に始まった。当時、彼は、オーストリアやコンデ公(*1)と、しきりに連絡を取り合っていた。バーゼル(スイス)の担当官を経由してね」



 つまりピシュグリュは、王党派の協力で、議員に当選し、五百人会下院の議長に納まった可能性が高いということになる。

 彼は、王家の帰国を目論んでいるのか。国外逃亡したプロヴァンス伯(*2)、アルトワ伯(*3)をフランスへ連れ戻すべく、今現在も、陰謀に加担しているのか。



 ……「ピシュグリュ将軍には近づくな」

ドゼ将軍の言葉が脳裏に蘇る。


 ピシュグリュは、ライン軍司令官に指名されたことを、ひどく不満に思っていた。限定的な勝利しか勝ち取れず、物資も人も不足している、と。


 ……「ピシュグリュ将軍には近づくな」



 なんてこった。

 ドゼ将軍は、最初から、俺に警告を与えてくれていたのだ。俺の経歴が、(これ以上)傷つくことのないように。

 あの当時、彼が、どこまでピシュグリュの裏切りを察知していたのかは、わからない。自分の上官に対し、何となく、きな臭いものを感じていただけかもしれない。

 ただ、彼は、それを俺に伝えてくれた……。



 ドゼ将軍。

 全くあなたっていうのは、なんて人だ!

 ぶっきらぼうで、全然言葉が足りなくて、でも、いつも温かく見守ってくれて。軍の中で、俺が、ちゃんとやっていけるように。暴走して、仲間外れになることがないように。そして、そう。居場所のなくなった俺が、恐ろしい陰謀に巻き込まれることのないように!


 ドゼ将軍……。

 無性に会いたい。

 スイス・イタリアで楽しんでいる彼に。




 「声も出ないようだな。驚いたか、ダヴー准将」

「予想はしていました」

 気を取り直し、涼しい声で俺は答えた。


 だって、初めから、ドゼ将軍が警告を与えてくれていたじゃないか。それを解読できたかどうかは、また別の問題だ。なにせ彼は、無口な人だからな。


「ほう」

感嘆の色が、オッシュの顔に浮かんだ。そりゃそうだ。俺は、有能な将校だもの。あのツンデレ大魔王のドゼ将軍でさえ、庇護欲をそそられるほどの。よその司令官なぞは、賛美して当たり前。



 再び、オッシュが、激しく咳き込み始めた。


「少しおやすみなさい、オッシュ将軍」

 気づかわし気に、プシエルギュが、その背をさする。

「医者に、薬を出させましょうか?」


「眠くなるからいらない。今日中に、ダンケルク(サンブル=エ=ムーズ軍の駐屯地)まで帰ってしまいたい」

「あなたは、無理のし過ぎです。私がいつも言っているでしょう? 体あってのことですよ?」



「オッシュ将軍は、具合が悪いのか?」

俺は尋ねた。顔色の悪さと言い、肺まで吐き出しかねないほどの咳といい、尋常ではない。


「もうずっと、無理を通してこられたのだ。私が何を言っても聞き容れずに、軍を最優先にして」



 俺は、オッシュの軍服を見た。軍服は、肩が落ち、袖が余っている。彼が急激に痩せたことを、ぶかぶかの軍服は物語っていた。


 この春、オッシュは、サンブル=エ=ムーズ軍の指揮を執り、オーストリア軍と戦っている。その時、もし、このような健康状態であったなら、軍の指揮を執ることなど、とてもじゃないけど、できなかったはずだ。


 急激な体調の悪化。


 総裁政府の陰謀に加担することに失敗し、ピシュグリュに隙を見せてしまった、オッシュ。

 総裁バラスは、利用する軍の力を、オッシュから、ボナパルトに挿げ替えた。ボナパルトは、麾下のオージュローを派遣した。

 もはや、オッシュは、不要だ。それどころか、政府のクーデター計画を知る彼は、危険な存在にもなりうる。


 ……毒。


 ボナパルトが自らパリへ来ないのは、未だにイタリアに留まっているのは、何らかの危険を感知したから?


 ……失敗したら、暗殺。

 まさか。



 「今頃パリでは、オージュロー将軍が、ブルボン宮殿下院と、テュイルリー宮殿上院に軍を入れている筈だ。ピシュグリュも逮捕されたに違いない。王党派の陰謀は、回避されるのだ。共和国は護られる」


 やつれた顔に、オッシュは、満足そうな笑みを浮かべた。









───・───・───・───・───・


*1 コンデ公

王族。息子のブルボン公や孫のアンギャン公とともに、亡命貴族エミグレ軍を束ねていた


*2 プロヴァンス伯

ルイ16世の弟。後のルイ18世


*3 アルトワ伯

ルイ16世、ルイ18世の弟。後のシャルル10世






※クーデターに関して、まとめてみました。全部で3話あります。


「テルミドール、ヴァンデミエール、フリュクティドール」

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