第36話 1/3条項



 この春、ライン・モーゼル軍わが軍と連携したサンブル=エ=ムーズ軍では、オッシュ将軍が指揮を執っていた。



 オッシュは、有能な若い将軍だ。俺より2歳上、ドゼ将軍より2ヶ月、年上だ。

 

 オッシュには、ヴァンデ蜂起を制圧した実績がある。それを見込まれ、去年カール大公にいいようにあしらわれて辞任した、ジュールダンの後任として、古巣のライン河流域に戻ってきた。


 オッシュの軍もまた、ボナパルト将軍が結んだ和約のせいで、停戦を余儀なくされた。その後、どこだかへ転出したはずだが……。



 オッシュは、4年前も、ライン方面で戦っていた。わずか一週間ライン軍の指揮を執っただけで、ライン方面軍全体の手柄を独り占めした将軍だ。


 「大喰いの隣人」。

 ドゼ将軍が、忌み嫌っている男である。(*1)






 俺は、軍列半ばにいた馬車に連れていかれた。

 司令官が馬車で移動とは、どうしたことだろう。きっと、大喰いのあまり、太り過ぎて、馬に乗れなくなってしまったに違いない。いったいどんだけ巨漢なのかと、興味津々で、俺は、馬車に乗り込んだ。


 案に相違して、オッシュは、ひどく痩せた男だった。しかも、顔色が悪い。



「君が、ダヴーか。一度、会いたいと思っていた」

 掠れた声で、オッシュは言った。この声では、指令を出しても、隊列全体に、到底届きはすまい。

「君は、ドゼのお気に入りだと聞いた」


「……え?」

「部隊を与えられ、ケール3師団に入っていたそうじゃないか」

「……」



 俺は、ドゼ将軍のお気に入りなのか?

 全く、心当たりがない。むしろ、逆なんじゃないかと思う時が、時々ある。

 しかし、オッシュに、このような誤解をさせたのは、俺の人徳によるものだろう。彼は、俺の徳を理解できる、稀有な軍人なのかもしれない。



「ドゼは、俺を恨んでいるかな?」

「ええ、そりゃあもう」


 俺が保証すると、オッシュはひどく咳き込んだ。苦しそうに言い募る。


「俺は、彼のことを良く知らなかった。だから、言ったのだ。『銃剣とパンさえあれば、ヨーロッパ中の敵を倒すことなんて、たやすいことだろう?』って」

「そりゃまた、思い切ったことを言いましたね……」


 あれだけ、勇敢で、かつ、清廉なドゼ将軍に。

 ようやく咳の発作が去り、オッシュは声を絞り出した。


「もう、4年も前のことだ。俺には、ライン軍が、充分に動いてくれなかったという、憤りがあった。だから、カイザースラウテルン(ライン河西側、国境付近)を、オーストリアに奪取されてしまったのだと。その怒りから、自ら、ライン軍を指揮しようとした。それで、ピシュグリュと仲違いをし、彼は、オランダへ転出してしまった」



「ダヴー准将は、パリへ、ピシュグリュに会いに行くつもりだそうです」

傍らから、派遣議員のプシエルギュが口を出した。


「君は止めたんだろ、プシエルギュ。パリは、危険だ」

オッシュの口から、再び、「危険」という言葉が飛び出した。

「はい」

プシエルギュが頷く。



 サンブル=エ=ムーズ軍の、司令官と派遣議員、2人で頷きあっているから、俺は口を挟んだ。

「さっぱりわからないんですが。なぜ、パリへ行ってはいけないんです?」


「パリは今、クーデターの最中だからだ」

「クーデター!」


 俺は絶句した。

 せっかく戦争が終わったのに、今度はクーデターか!



「順を追って話そう」

 声の細いオッシュに代わって、プシエルギュが口火を切った。

「春の選挙で、王党派の議員が、330名に激増したのは知ってるな?」



 曖昧に俺は頷いた。に関しては、あまり気にしていなかった。というか、ホテルの前で、全能なる存在に、俺の上官ドゼ将軍の回復を拝み倒すので精いっぱいで、それどころじゃなかったし。



五百人会下院では、王党派のピシュグリュが議長になった。君が会いに行こうとしている、元ライン軍司令官だ。その上、5人の総裁のうち、2人までが、王党派に占められた……」



 総裁政府は、毎年の選挙で、1/3の議員と、総裁の一人が、改選される。だから、いつの日か、王党派の政府が誕生する可能性が、ないわけでもない。


 しかし、王党派のやつら全員が、気が長く、平和的であるわけではない。反対だ。国外へ逃げた貴族たちは、困窮していた。国内に残してきた家族もまた、財産を奪われてしまった。王党派には、焦りがあった。


 2/3が改選されないのでは、議会で王党派が多数を占めるのは、いつになるかわからない。それは、公正な選挙では、ないのではないか。

 不満を抱いた王党派による蜂起が、総裁政府の成立直前(95年10月)に起きた(*2)。が、すぐに鎮圧され、この1/3条項は生き残った。


 この時、すぐに総裁になるバラスの副官となって、パリの街中で葡萄弾(散弾)をぶっ放し、王党派の蜂起を鎮圧したのが、ボナパルトとかいう痩せたチビだと聞いたが、あれ? それって……。



 とまれ、王党派の蜂起は鎮圧された。しかし彼らは、1/3条項を遵守し、ちゃくちゃくと、議員数を増やしてきたのだ。それがついに、この春(97年)の選挙で実を結びつつある、ってわけだ。



 まったく、涙ぐましい努力ではないか。

 もちろん俺は、共和派だ。だが、こうした地道な努力は、嫌いではない。完全に合法で、しかも、民意で選出されているのだから。








───・───・───・───・───・


*1

22話「大喰いの隣人」参照


*2

ヴァンデミエール葡萄月の蜂起

チャットノベルで解説しています

https://novel.daysneo.com/works/episode/905fcb14c3fa8b31a10f2d6ab808f4f0.html



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