オッシュ将軍とクーデター
第35話 ”メッサリナ”へ
ドゼ将軍が出掛けてしまって、寂しい。戦争もなくなり、趣味の人殺しもできなくなった。ケンカをふっかけるなと釘を刺されたから、ささやかなレクリエーションを楽しむこともできない。(俺は、ドゼ将軍の言いつけは、守る)
「パリへ行ってみようかな」
俺がつぶやくと、サヴァリが目を剥いた。
「なんだって!? ダヴー。君が? パリに?」
「なんか文句あるのかよ」
「いや。ただ、あまりに似つかわしくないと思って」
「なんで」
「なんで、って……。パリといったら、文化だろ、芸術だろ……おいしい食事にワイン、芝居と音楽、きれいな女性だって、たくさんいる」
「パリの女は、怖いぞ」
呼ばれてもいないのに、ラップがやってきた。
「メッサリナ(*1)ばかりだぜ、パリの女は」
「女なんか」
侮蔑のしるしに、俺は鼻を鳴らした。
「じゃ、何しに行くんだよ」
全くわからない、といった風に、ラップが首を傾げる。俺より3つも年下のくせに、傲慢な男だ。今に女に、うんと泣かされるがいい。
「聞いて驚けよ」
俺は、胸を張った。俺には、偉大な計画があるのだ。
「お前らの、未払い給料を、支払ってもらいに行く」
「えっ!」
サヴァリとラップは顔を見合わせた。
「滞納している給料を?」
「政府から取り立てに行くのか?」
ひどく驚いている。この高貴な仕事をやっと理解できたようだ。搾取され続け、善後策さえ講じられない哀れな2人に、俺は、鷹揚に頷いてみせた。
「そうだ。お前らだけじゃない。勇敢なライン軍兵士全員の給料未払い分を、全額、搾り取ってきてやる」
歩兵の殆どは、徴兵されてきたやつらだ。金がなければ、除隊になっても、故郷へ帰ることができない。
「確かにダヴー。お前が迫れば、政府も怖気づくだろうが……」
うなるラップに、おずおずとサヴァリが重ねる。
「それは、民主制と違くないか?」
「いや、滞納する方が悪いから」
「ああ、そうか。そうだな……」
「だが、ダヴー。どうやって?」
ずばり、ラップが問う。こんな簡単なことがわからないなんて、頭の悪い奴だ。なんで、こんなやつがドゼ将軍の副官なんだ? ラップは、勇敢なだけの、頭空っぽ男だ。
「俺達には、伝手があるじゃないか」
「伝手?」
「ピシュグリュだよ。かつてのライン・モーゼル軍司令官の」
「ピシュグリュ!」(*2)
ラップとサヴァリが声を合わせた。
「あの人は今では、五百人会の議長だ。大変な実力者なんだ」
ライン軍司令官を辞任した後、ピシュグリュは、議員になった。そしてこの春、めでたく
「なるほど!」
サヴァリが手を打った。
「だが、そんなに出世しちまった人が、お前なんかに会ってくれるかな?」
「お前なんかとはなんだ、お前なんかとは! 会うに決まってるわ!」
何しろ俺は、有能な部下だったからな。短い間だったけど。
「マンハイムに置き去りにされた件を、俺は、忘れてないからな」
マンハイムに俺らが立てこもっている間に、あろうことか、ピシュグリュは、ライン軍司令官の辞表を提出しやがったのだ。その後の戦線も、撤退、撤退、の連続だったし。
なんという覇気のなさであろう! どうせ辞めるからいいや~、って感じの、消化
その間、ドゼ師団はじめ、各師団が、決死の抵抗を試みていたというのに。俺達だって、武器もなく、飢えに苦しみつつ、立て籠っていたのだ。
敗戦後、責任を取って辞任した、
「人が頑張っている最中に、辞表を提出するとは、なんたる人非人!
「君は、執念深い男だな、ダヴー」
呆れたように、ラップが首を横に振る。
「ほほん。君の未払い給料は、取り立ててこなくてもよいのだよ、ラップ君」
「いや……頑張ってきてください、ダヴー先輩!」
*
ドゼ将軍の新しい補佐官達、すっかり俺に心酔した2名に見送られ、ストラスブールを旅立った。
ヴォージュ山脈に沿って北上し、山間の隘路を、西へ折れる。晩夏の季節は、色彩豊かな秋に移り変わろうとしていた。木々の梢に日差しは遮られ、山道は、涼しく、快適だった。自分の汗の匂いに混じって、落葉前の木の葉の、最後の芳香がする。
比較的なだらかな道を、ひたすら、馬を走らせていた時だ。
たくさんの馬を走らせる、蹄の音がした。
蹄だけじゃない。大勢の足音、話し声、甲冑の触れ合う音……。
軍の行軍だ。それもかなり大きな。
反射的に先頭の軍旗に目をやる。サンブル=エ=ムーズ軍だった。
レオーベン条約のおかげで、彼らも、停戦に入ったはずだ。どうやら、営巣地へ戻る途中のようだが、いったいどこへ行っていたのだろう。
「待て! 止まれ!」
知らんふりしてすれ違おうとした俺を、先頭にいた憲兵が引き留めた。
「通行証を見せろ」
アホか、こいつ。俺が、通行証も持たずに、首都へ向かうわけがないではないか。用意周到な男なんだよ、俺は。
無言で俺は、隠しから、通行証を取り出した。
「ルイ=ニコラ・ダヴー。ライン・モーゼル軍の准将」
通行証を見たまま固まっているから、自己紹介してやった。まったく、世話の焼ける憲兵だ。
「もう行っていいか? パリへ行くんだ。先は長いからな」
「パリへ?」
軍列の中ほどから男が近づいてきて、恐怖に怯えたような顔で俺を見つめている憲兵を押しのけた。俺に関する、いったいどういう噂が、サンブル=エ=ムーズ軍で広がっているというのか。勇敢で男前である、という以外に。
「私は、派遣議員のプシエルギュ。ダヴー准将。首都へは、何しに?」
プシエルギュと名乗った男は、軍服を着用していなかった。派遣議員。つまり、サンブル=エ=ムーズ軍の、監視役だ。
「ピシュグリュに会いに行く」
別に隠すことでもないから、堂々と教えてやった。ピシュグリュは、政府の人間だ。
「ピシュグリュ!」
プシエルギュは、驚愕した声を発した。
「ダメだ。行ってはいけない」
「なぜ?」
理由もなく禁じられることが、俺は大っ嫌いだ。
「君の為だ。君は、ライン・モーゼル軍の将校なんだろ?」
「通行証の通りだ」
「だったら、余計……危険だ」
「危険?」
むっとした。危険を恐れるようなダヴーではない。つか、かつての上官に会いにいくことの、どこが、危険なんだ?
その時、下士官が近づいてきた。
「ダグー准将。オッシュ司令官がお呼びです」
恭しく、彼は告げた。
───・───・───・───・───・
*1 メッサリナ
ローマ、クラウディウス帝の妻。淫乱で冷酷であったとされる。ライン軍の隠語で、「パリ」は「メッサリナ」と言われていた
*2 ピシュグリュ
「第四話 ライン軍総司令官ピシュグリュ」に登場
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