第34話 ドゼとボナパルト
「ドゼは、でかけたか?」
指令本部に帰り、俺がしょげていると、サン=シル将軍が、声を掛けてきた。
「はい」
「なんだ、ダヴー。元気がないな」
サン=シル将軍は、俺に優しい。つまり、他の人よりは。黙って話を聞いてくれるし。まあ、この人は、誰に対してもそうだけど。そういうわけで俺は、胸の中にため込んでいた鬱積をぶちまけた。
「モロー司令官は、ひどいと思います。ドゼ将軍はまだ、脚が完全に治ったわけじゃない。出がけに馬から落ちそうになったくらいですよ? それなのに、スイスの山越えなんて。モロー司令官は、人使いが荒すぎます!」
「えらい剣幕だな。さては、ダヴー、お前、こっそりついていこうとしたな。それで、おいてけぼりを喰らったんだ」
その上、サン=シル将軍は、俺のことをよくわかってくれている。
「自腹は無理です」
「ドゼの気持ちは、よくわかる」
俺の怒りは、一直線にモロー司令官に向いていた。あの金髪の優男に。
「大怪我をしたばかりなのに、指令を出すなんて! イタリアへ行け、なんて無茶を!」
「モローの指令? 何言ってんだ。ドゼがモローに頼んだのに決まってるだろ。イタリアへ行きたいって」
「えっ! そうなんですか!?」
初耳だった。
サン=シルは苦い顔をしている。
「ドゼのやつ、ボナパルト将軍に会いたがっていたから。彼の軍や、イタリアの戦場跡も見たいっていってた」
「へえ」
俺は、面白くなかった。
「向こうの方が、格下なのに?」
そりゃ、去年(1796)の挟み撃ち作戦で、唯一、ウィーンに迫ることができたのは、イタリア軍だけだけど!
でもそれは、南ドイツで、サンブル=エ=ムーズ軍や、ライン・モーゼル軍が、強敵を相手にしていたからこそ、できたことだ。
ライン方面軍がいなければ、イタリアのやつらなんざ、アルプスを越えた所で、敵に殲滅されたに違いない。
戦歴からいっても、相手にしてきた敵の数からみても、イタリア軍など、赤子同然、ライン河方面軍の足元にも及ぶものではない。
本来なら、イタリアから、
「ダヴー、君の気持はよくわかる。だが、ボナパルトは、対オーストリア戦を勝利に導いたんだぜ? 俺らが、ライン河の泥の中を這いずり回っている間に」
「でも!」
俺は全く納得がいかなかった。だって、ディアースハイムの戦いは、あと少しで勝てた。停戦にさえならなければ!
サン=シルにも、不満はあったようだ。俺につられて、ぶつぶつとこぼしている。
「自国にとって不利な条約をオーストリアが呑んだのは、ボナパルトだけの手柄じゃない。長年に亙るライン河流域での、
ライン河上中流域において、決定的な勝利を収めることができなかったのは、オーストリアも同じだ。
俺は、まだまだ、言い足りなかった。
「ボナパルト将軍個人もまた然りです。彼は、ドゼ将軍より、はっきりと、格下です」
年齢は、ドゼ将軍の方が、1つ上。士官学校を出て軍に入り、と、軍務に就くまでの2人の経歴は、似たようなものだ。
因みに一言言っておくが、2人とも、学校での成績はふるわなかった。学業成績が良かったのは、このダヴー様だけだ。語学以外は。
早くに父親を亡くし(俺もそうだ)、と、よく似た経歴の2人だが、軍での昇進は、ドゼ将軍の方が、格段に速かった。
准将brigadier generalは4ヶ月と2日、将軍major generalに至っては2年も、ドゼの方が早い。
ドゼ将軍が、ライン軍の将校として、最高ランクに着いた年齢(25歳)では、ボナパルトは、しがない大尉capitaineにすぎなかった。ヴァンデ鎮圧を拒否し、パリに出てきたはいいが、金も仕事もなく、食事は一日一食、という時代である。その3年前には、故郷コルシカに肩入れしすぎて不自然な休暇が多く、軍をクビになった記録さえある(彼の後任が指名されていた)。
「ねねね! 軍歴では、ドゼ将軍の方がはるかに格上です。その上、品格においても……、」
2人とも、(一応)貴族出身で、逮捕収監されたことがある。
だが、2人の逮捕理由には、大きな違いがあった。
ドゼは、貴族の上官についていこうとして、逮捕された。しかし、共和国への忠誠を訴え、6週間ほどで釈放された。また、外国との密通を(貧乏ゆえに)疑われたこともある。もちろん、濡れ衣だ。この時は、兵士たちが楯となり、派遣議員たちを、彼に近づけなかった。
一方、ボナパルトの方は、ロベスピエールの弟の取り立てで、トゥーロン包囲戦の砲兵部隊の司令官に任命された。
「ドゼ将軍の方は、完全に、無実です。でも、ボナパルトは違う。彼は実際に、
滔々と、俺は述べ立てた。
「……」
サン=シル将軍は無言だった。
「ダヴー。お前、良く調べたな……」
しばらくして、なぜか引き気味に、彼はつぶやいた。
「そりゃそうですよ」
俺達の大事なドゼ将軍が、なぜまた、ボナパルトなんかに会いに行かねばならないのか。イタリアくんだりまで。全くもって、不愉快だった。
その上、俺は、おいてけぼりだし。
「ドゼは、
サン=シルの言葉に、俺は驚いた。モローは、俺も嫌いだ。だから、そこはいい。俺が驚いたのは、ドゼ将軍が、他人を酷評するような口の利き方をしたことに、だ。
だって、彼は、そういう人じゃない……。
「モロー司令官は、ドゼ将軍のことが、大好きですよ?」
彼は、ドゼのいいなりだ。何かにつけ、まるで、子どものように、彼の判断を仰いでくるし。
「うん。俺も、モローは、そこまで無能じゃないと思ってるけどな。一方で、ドゼは、ボナパルトを買っている。彼は、輝くようにできている。その輝きは、下で戦う者まで、栄光の光で、明るく照らし出すんだと」
「だから、下はあっちですって! ……ん?」
俺は、意外に思った。
「ドゼ将軍は、栄光とか、そういうのに、まるで興味がないと思っていました」
恐怖政治が終わってからも、軍の指揮官を断り続けているし。彼が栄光を求めているなんて、思ったこともなかった。
それは、サン=シル、古くからの彼の戦友も、同じ思いだったらしい。
「ドゼが野心を見せたのは、初めてのことだ。俺も、びっくりしたよ。今回のイタリア行きは、あいつが療養中から、ずっと心に温めていたものだ。直接、ボナパルト将軍に会って、彼の人柄や勝利の秘訣を、じっくりと観察してくるのだろう」
それで、脚の傷が癒えるが早いか、彼はモロー司令官に手紙を書かせ、イタリアのボナパルトに会いに行った……。
「ま、スイスは空気がきれいだし、イタリアは気候が穏やかだ。あいつは旅行が好きだからな。療養も兼ねて、ゆっくりしてくるんだろうよ」
慈愛深げに、サン=シルはつぶやいた。
*
そういえば。
ドゼ将軍が出発してから、
……どこかで合流して、一緒に連れて行ったのだろうか。
なお、この旅の資金は、陸軍の経費である。
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