第30話 レイの回想

 ドゼ将軍の愛人に興味があると言った俺に、彼の副官レイは、なぜか、2年前の黒い森シュヴァルツヴァルドでの、ドゼ師団の戦闘の話を始めた。





 久しぶりで、ドゼ師団とフェリノ師団が合流した時のことだ。飯盒で僅かばかりのスープが煮られ、供されていた。


 「僕はもう、いやだ」


 焚火の前で、サヴァリが泣いていた。サヴァリは、以前、ドゼ師団にいたが、その時は、フェリノ師団に移っていた。


「もう、たくさんだ。軍人なんて、辞めてしまいたい。今すぐに!」

「また、フェリノ将軍に、何か言われたのか?」

 レイは尋ねた。



 イタリア出身のフェリノ将軍は、かつてハプスブルク家に仕えていた。フランス革命後、その思想に魅せられ、フランス軍へ移籍している。ドイツ仕込みの厳しい規律と、口うるささで有名で、軍を辞めていく部下は多い。去年、サヴァリも辞めたがっていたのを、ドゼが慰撫し、冬の間、自分の師団に置いていた。(*1)



 ぶんぶんと、サヴァリは首を横に振った。

「今ではあの人フェリノ将軍は、僕を大事にしているよ。なにせ僕は、記憶力が抜群だからね。重宝してくれている」

「ふうん。それはなにより」

だから、ドゼ自分の師団長も、このサヴァリを欲しがっているのだなと、レイは思った。



 レイの任期は、もうあと2年ほどで切れる。

 自分の抜けた後の補充として、ドゼ将軍は、2人の将校に目をつけていた。サヴァリと、ラップだ。自分一人の後を、2人の若者が補充するというのは、レイにはいい気分だった。ドゼ将軍に信頼されている証だ。


 だが、ラップは、今回の戦闘で、手に重傷を負った。かなりの傷で、復帰が危ぶまれている。戦場を離脱し、対岸のブロツハイムの司令部で療養中だ。しかし、本人は、至って気楽で、すぐに治して、参戦すると言っている。(*2)



 「なら、何を泣いてるんだ。珍しいじゃないか。君が泣くなんて」


 まだ若いが、サヴァリは、肝の据わった将校だ。そのサヴァリが、真っ赤な目で、レイを睨んだ。


「僕は殺した。一人じゃない。3人だ」

「珍しくもないだろ? ここは戦場だ」

「今日、僕が殺したのは、フランス人だ! 同じ国の同胞を、僕は殺した。この手で!」


 賑やかだった焚火の周りが、しんと静まり返った。



「どうしたんだ?」

 向こうで打ち合わせをしていたドゼが戻ってきた。

「久しぶりじゃないか、サヴァリ。元気でいたか?」


「ドゼ将軍。僕をあなたの師団に引き取って下さい」


「おいおい、お前、今、軍を辞めたいって……」

 誰かが揶揄するように口を挟むと、サヴァリはむくれた。

「ドゼ将軍の下なら、話は別だ。将軍の為なら、僕は、なんだってする!」

「君の引き抜きは、まず、フェリノ将軍の意向を聞いて、だな」

ドゼが話している。


 彼が、搦め手からサヴァリ獲得に動いていることを、レイは知っている。年長のフェリノの恨みを買わないよう、人脈を駆使して、画策しているのだ。



 その時、大きな叫び声が聞こえた。

 どやどやと、男たちの一群が、ドゼの元へやってきた。


「エミグレを捕えました」


 男たちの中央に、縄で縛られた男がいた。巻き上げた縄を背後で掴まれ、腰から吊るされるような状態で、ひきずられてきた。

 体つきから、ドイツ人ではない。明らかに、フランス人だ。何より彼は、腹に白い布を巻いていた。白は、ブルボン家の色だ。


 ドゼ将軍が、右手を上げた。人払いの合図だ。サヴァリはじめ、周囲の兵士たちは、さっと、その場を立ち去った。エミグレの男と、彼を拘束している兵士、そして、副官のレイだけが残った。



「捕虜にしますか?」

 連れてきた兵士が尋ねる。


「殺せ! さっさと殺せ!」

王党派の亡命貴族エミグレが顔を上げた。やつれ果て、泥と垢にまみれ、定かではない。だが、ここにいる誰よりも、年配だと思われた。


「ルイ16世、万歳! ブルボン王家、万歳!」

濁っただみ声で喚き続ける。


「お前っ!」


 兵士は縄をきつく吊り上げた。胸と腹を締め付けられ、男はえずいた。それでもなお、掠れた声で叫び続ける。


「国王陛下、万歳! ルイ17世の御代の来たらんことを!」



「……言いたいことは、それだけか?」

 男が息を切らせると、ドゼが尋ねた。


「なんだと?」

「だから、言いたいことはそれだけかと、尋ねたんだ」

「お前にくれてやる言葉なぞない! 革命政府の犬め!」


「このっ!」

 縄を握った兵士が、足で、背中をどやしつけようとする。


「止めろ」

短く、ドゼが諫めた。静かに彼は、男に話しかけた。

「知っているか。去年の夏、ロベスピエールが処刑された。フランスの、恐怖政治は終わったんだ」


「将軍!」

思わずレイは叫んだ。エミグレは、敵だ。オーストリア軍に通じている。敵に、国内の情報を流すような真似をしていいのか。


「許してくれ、レイ」

つぶやくように言い、ドゼはレイから目をそむけた。


 身を屈め、目の前の男にだけ聞こえるほどの小声で、囁き掛ける。

「もうすぐ国民公会は解散し、新しい政府ができる。新しい議会は、毎年、その1/3が改選される。公正な選挙で、だ。俺の言っている意味、わかるか?」


「選挙……。改選……」

薄汚れた元貴族はつぶやいた。


「そうだ。1回では無理だろう。だが、チャンスは毎年ある」

「少しずつ、少しずつ、増やしていけば……」


「そこまでだ!」

 大きな声で、レイは遮った。


 ドゼは、毎年の選挙で、少しずつ、王党派を増やしていけると、示唆しているのだ。

 共和派の議会に、王党派の議員を。革命がかつて追い出した王を、信奉する議員たちを!


 ドゼの声は、ごく小さかった。今のやり取りが、背後で縄を握っている兵士に聞こえたとは思えない。

 だがレイは、上官に、危険な橋を渡らせたくなかった。



「捕虜にしますか?」

背後に立った兵士が問いかける。


「いいや。逃がそう」


「将軍!」

兵士が抗議した。


「大丈夫だ。この男には、もはや、革命政府に立ち向かう気はない。少なくとも武器では」

 傷のある頬で、にっこり微笑んだ。

「武器を携帯していないと証明する証書を発行しよう。もう、我々の軍を襲ったりしないな?」


 目に反抗の焔を宿したまま、不承不承、男は頷いた。

 素早く、ドゼは書類にサインした。

 書類を受け取り、男は目を走らせた。


「ドゼ……。聞いたことのない名だ。お前、地方の貴族か?」

市民シトワイヤンドゼだ。覚えておけ」








───・───・───・───・───・


*1 フェリノ将軍

10話「籠城」にも名前だけ



*2

ラップの怪我に対してのドゼの対応は、後にラップ自身が、手記の冒頭で述べています。彼は、ドゼについて、それ以上、書けなかったようです。

掌握小説に引用しました。

「勝利か死か Vaincre ou Mourir」

https://novel.daysneo.com/works/ce849fe5a968ea364fb1485a2fc68ba8.html






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