第30話 レイの回想
ドゼ将軍の愛人に興味があると言った俺に、彼の副官レイは、なぜか、2年前の
◇
久しぶりで、ドゼ師団とフェリノ師団が合流した時のことだ。飯盒で僅かばかりのスープが煮られ、供されていた。
「僕はもう、いやだ」
焚火の前で、サヴァリが泣いていた。サヴァリは、以前、ドゼ師団にいたが、その時は、フェリノ師団に移っていた。
「もう、たくさんだ。軍人なんて、辞めてしまいたい。今すぐに!」
「また、フェリノ将軍に、何か言われたのか?」
レイは尋ねた。
イタリア出身のフェリノ将軍は、かつてハプスブルク家に仕えていた。フランス革命後、その思想に魅せられ、フランス軍へ移籍している。ドイツ仕込みの厳しい規律と、口うるささで有名で、軍を辞めていく部下は多い。去年、サヴァリも辞めたがっていたのを、ドゼが慰撫し、冬の間、自分の師団に置いていた。(*1)
ぶんぶんと、サヴァリは首を横に振った。
「今では
「ふうん。それはなにより」
だから、
レイの任期は、もうあと2年ほどで切れる。
自分の抜けた後の補充として、ドゼ将軍は、2人の将校に目をつけていた。サヴァリと、ラップだ。自分一人の後を、2人の若者が補充するというのは、レイにはいい気分だった。ドゼ将軍に信頼されている証だ。
だが、ラップは、今回の戦闘で、手に重傷を負った。かなりの傷で、復帰が危ぶまれている。戦場を離脱し、対岸のブロツハイムの司令部で療養中だ。しかし、本人は、至って気楽で、すぐに治して、参戦すると言っている。(*2)
「なら、何を泣いてるんだ。珍しいじゃないか。君が泣くなんて」
まだ若いが、サヴァリは、肝の据わった将校だ。そのサヴァリが、真っ赤な目で、レイを睨んだ。
「僕は殺した。一人じゃない。3人だ」
「珍しくもないだろ? ここは戦場だ」
「今日、僕が殺したのは、フランス人だ! 同じ国の同胞を、僕は殺した。この手で!」
賑やかだった焚火の周りが、しんと静まり返った。
「どうしたんだ?」
向こうで打ち合わせをしていたドゼが戻ってきた。
「久しぶりじゃないか、サヴァリ。元気でいたか?」
「ドゼ将軍。僕をあなたの師団に引き取って下さい」
「おいおい、お前、今、軍を辞めたいって……」
誰かが揶揄するように口を挟むと、サヴァリはむくれた。
「ドゼ将軍の下なら、話は別だ。将軍の為なら、僕は、なんだってする!」
「君の引き抜きは、まず、フェリノ将軍の意向を聞いて、だな」
ドゼが話している。
彼が、搦め手からサヴァリ獲得に動いていることを、レイは知っている。年長のフェリノの恨みを買わないよう、人脈を駆使して、画策しているのだ。
その時、大きな叫び声が聞こえた。
どやどやと、男たちの一群が、ドゼの元へやってきた。
「エミグレを捕えました」
男たちの中央に、縄で縛られた男がいた。巻き上げた縄を背後で掴まれ、腰から吊るされるような状態で、ひきずられてきた。
体つきから、ドイツ人ではない。明らかに、フランス人だ。何より彼は、腹に白い布を巻いていた。白は、ブルボン家の色だ。
ドゼ将軍が、右手を上げた。人払いの合図だ。サヴァリはじめ、周囲の兵士たちは、さっと、その場を立ち去った。エミグレの男と、彼を拘束している兵士、そして、副官のレイだけが残った。
「捕虜にしますか?」
連れてきた兵士が尋ねる。
「殺せ! さっさと殺せ!」
「ルイ16世、万歳! ブルボン王家、万歳!」
濁っただみ声で喚き続ける。
「お前っ!」
兵士は縄をきつく吊り上げた。胸と腹を締め付けられ、男はえずいた。それでもなお、掠れた声で叫び続ける。
「国王陛下、万歳! ルイ17世の御代の来たらんことを!」
「……言いたいことは、それだけか?」
男が息を切らせると、ドゼが尋ねた。
「なんだと?」
「だから、言いたいことはそれだけかと、尋ねたんだ」
「お前にくれてやる言葉なぞない! 革命政府の犬め!」
「このっ!」
縄を握った兵士が、足で、背中をどやしつけようとする。
「止めろ」
短く、ドゼが諫めた。静かに彼は、男に話しかけた。
「知っているか。去年の夏、ロベスピエールが処刑された。フランスの、恐怖政治は終わったんだ」
「将軍!」
思わずレイは叫んだ。エミグレは、敵だ。オーストリア軍に通じている。敵に、国内の情報を流すような真似をしていいのか。
「許してくれ、レイ」
つぶやくように言い、ドゼはレイから目をそむけた。
身を屈め、目の前の男にだけ聞こえるほどの小声で、囁き掛ける。
「もうすぐ国民公会は解散し、新しい政府ができる。新しい議会は、毎年、その1/3が改選される。公正な選挙で、だ。俺の言っている意味、わかるか?」
「選挙……。改選……」
薄汚れた元貴族はつぶやいた。
「そうだ。1回では無理だろう。だが、チャンスは毎年ある」
「少しずつ、少しずつ、増やしていけば……」
「そこまでだ!」
大きな声で、レイは遮った。
ドゼは、毎年の選挙で、少しずつ、王党派を増やしていけると、示唆しているのだ。
共和派の議会に、王党派の議員を。革命がかつて追い出した王を、信奉する議員たちを!
ドゼの声は、ごく小さかった。今のやり取りが、背後で縄を握っている兵士に聞こえたとは思えない。
だがレイは、上官に、危険な橋を渡らせたくなかった。
「捕虜にしますか?」
背後に立った兵士が問いかける。
「いいや。逃がそう」
「将軍!」
兵士が抗議した。
「大丈夫だ。この男には、もはや、革命政府に立ち向かう気はない。少なくとも武器では」
傷のある頬で、にっこり微笑んだ。
「武器を携帯していないと証明する証書を発行しよう。もう、我々の軍を襲ったりしないな?」
目に反抗の焔を宿したまま、不承不承、男は頷いた。
素早く、ドゼは書類にサインした。
書類を受け取り、男は目を走らせた。
「ドゼ……。聞いたことのない名だ。お前、地方の貴族か?」
「
───・───・───・───・───・
*1 フェリノ将軍
10話「籠城」にも名前だけ
*2
ラップの怪我に対してのドゼの対応は、後にラップ自身が、手記の冒頭で述べています。彼は、ドゼについて、それ以上、書けなかったようです。
掌握小説に引用しました。
「勝利か死か Vaincre ou Mourir」
https://novel.daysneo.com/works/ce849fe5a968ea364fb1485a2fc68ba8.html
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