第29話 エミグレの妻
ドゼ将軍には、新しい補佐官が2名、追加されていた。
サヴァリとラップだ。
ラップは俺より1つ下、サヴァリに至っては、4つも下だ。
俺は、サヴァリに照準を絞った。
例の、愛人の件だ。
いつまで経っても俺を副官にしてくれない件はさておき、他人の色恋沙汰は、猛烈に気になるものだ。それが、尊敬する上官なら、なおさら。
だって、いつなんどき、利用できるかわからないだろ?
ストラスブールの軍司令部に戻ると、ちょうど、そのサヴァリがいた。
「おい、サヴァリ。お前、ルイーズ・モンフォールって女性、知ってるか?」
「ああ」
前髪を下ろした童顔の補佐官は、顔を綻ばせた。
「ドゼ将軍と同じホテルに泊ってる人だね? ちっちゃなお嬢さんがいる」
「彼女、母親の方な。ドゼ将軍のコレか?」
俺は、小指を立てて見せた。
サヴァリはきょとんとしてる。意味が分からないらしい。って、もしやこいつ、童て、
「馬鹿な!」
次の瞬間、サヴァリの顔に、朱が走った。短く、彼は叫んだ。
「ドゼ将軍が、そんなモラルのないこと、するわけない!」
「モラルが、ない?」
俺はさっぱりわけがわからなかった。愛人を囲うことのどこが、道徳性に欠けると? 不名誉な病気になるより、ずっと健全ではないか。
「だって、ルイーゼさんには、ご主人がいる」
「
国を捨てた裏切り者だ。二度と再び、帰っては来れまい。
だったら死んだも同じだ。
「ドゼ将軍はな! ドゼ将軍はな!」
真っ赤になったまま、サヴァリは喚きだした。
「気の毒な、困窮したルイーゼさん母子の援助をしてあげてるんだ。自分も貧乏なのに、せいいっぱいのお金を渡して」
それって、やっぱり、愛人なのでは? それも、相当、入れ揚げている。
「サーヴィスの対価だろ?」
俺は尋ねた。わが意を得たりとばかり、サヴァリは頷く。
「もちろんだ。食事を運んでもらったり、寝具を整えてもらったり、たまに、一緒に遊びに出かけたり」
「それは、愛人だな」
「違う!」
サヴァリは喚いた。地団駄踏んでいる。
「モンフォール大尉は、革命前、ドゼ将軍の親族と親しかったんだ。彼女への対価は、純粋に、ドゼ将軍の好意によるものだ!」
「だから、そういうのを愛人、」
俺が言いかけた時だった。
「ダヴー。ちょっと来い」
俺の肘を掴んだやつがいた。
「あっ! 誰かと思ったら、レイ!」
ドゼ将軍の古くからの副官だ。意識が戻らないからと言って、彼からずっと、俺を遠ざけていた、憎い嘘つき。あれから、散々探し回ったのに、どうしても見つからなかった。それが、自分から飛び込んでくるとは。
「探したぞ、レイ。ここで会ったが百年目、」
「いいから、来い!」
強引に俺の肘を掴んだまま、司令部の外へ連れ出した。
*
「おいっ、どこまで行くんだよ!」
俺は、レイの手を引きはがした。
川沿いの並木道まで来ていた。季節はうつろい、いつの間にか、初夏になっていた。
宣戦布告以来、初めての、戦争のない夏。水の匂いが、さわやかな開放感を運んでくる。
「少し歩こう、ダヴー」
川沿いの道を、すたすたとレイは歩き出した。仕方がないので、俺も後を追う。
夕暮れが近づいていた。大勢の市民が、2人、3人と連れだって、散策を楽しんでいる。彼らのこの幸せは、俺たちの働きがあってこそだ。
俺は、戦場での自分の殺戮を、誇りに思った。
それなのに、男二人で歩いているなんて、不条理だ。なぜここに、女性がいないのか。
「あのな、ダヴー。ルイーゼ・モンフォールはな、」
言いにくそうにしている。俺が続けてやった。
「ドゼ将軍の愛人だろ?」
レイはため息を吐いた。
「そうだ」
「なぜ、隠そうとする?」
「隠してなんかいない」
「だって、サヴァリは知らない」
「知らないやつに知らせる必要はない。ダヴー、お前、誰から聞いた?」
「ノイヴィラー・ホテルのメイドから」
再び、レイはため息を吐いた。
「あの時、お前をホテルに入れるんじゃなかった。ルクレール将軍が一緒だったので、仕方がなかったんだ。お客が帰ったら、彼女が、食事を運んでくると知らされていたのに」
俺が、ストラスブールへ戻って、最初に、ドゼ将軍に会いに行った日のことだ。
あの時、レイは、ルクレール将軍と一緒だった。ルクレールは、イタリアのボナパルト将軍からの使者だ。
「ストラスブールへ移送されて、ドゼ将軍は、療養に入った。さすがの彼も、痛みに耐えかねるようだった。もちろん、俺達の前では、そんなそぶりは見せなかったが。医者は、いずれよくなると言うばかりだ。痛みを止めることができない。見かねて俺は、プッセから、モンフォール夫人を呼んだ」
「プッセ? なぜそんなところに?」
たいへんなド田舎だ。(*1)
「知らないよ。連絡先は、同じホテルに逗留している母親から聞いた。疎開してたんじゃないか?」
「対岸で、愛人が戦っている時に?」
あまりに冷たいんじゃないかと、俺は思った。
ケール撤退の時、あの辺の住民は、武器食糧から、礎石、柱に至るまで、運び出すのを手伝ってくれたというのに。
「とにかく、ドゼ将軍には、彼女が必要だった」
レイの言葉に、俺は頷いた。
傷ついた戦士には、癒しが必要だ。
「モンフォール大尉は、エミグレだと聞いたが」
俺が問うと、レイは頷いた。
「革命で、モンフォール大尉は、国外へ亡命した。一方、国に残された夫人は、財産の殆どを革命政府に没収され、困窮した。彼女は、母親を頼って、ここ、ストラスブールへやってきた。大尉との間にできた女の子を連れて」
「うん、それもメイドに聞いた」
「だったらなぜ、根掘り葉掘り聞こうとする!」
耐えきれぬという風に、レイは怒鳴った。
「知りたいから」
「は?」
「ドゼ将軍の愛人に、興味がある」
深いため息を、レイは吐いた。
「お前が普通と違うのを、忘れていたよ。ダヴー、君は、2年前(1795年)のマンハイム包囲を覚えているか?」
覚えているも何も、俺はそこで、ドゼ将軍と初めて会ったのだ。俺にとって、記念すべき戦いだ。
「マンハイムへ移る前、ドゼ師団は、|ライン河上流の山岳地帯、上アルザスで、ヴルムザー部隊を引き付けていた」
そうだ。
ドゼ師団が陽動作戦に失敗したおかげで、俺らアンベール師団は、ハイデルベルクで、さんざんに叩かれ……。
「ヴルムザーは、フランスの、王の部隊の出身だ。彼の元には、エミグレが、たくさん、集まっていた」
憂愁の色をにじませ、レイは当時を語った。
───・───・───・───・───・
*1 ブッセ
ストラスブールの西、ナンシーの南辺り
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