第27話 あーん
さすがだ!
さすがは、ドゼ将軍!
オーストリアに脚を撃たれたくらいでは、ビクともしないんだ。
そうだ。
ドゼ将軍は、軍神だ。
軍神が、殺されたりなんかするものか!
俺は、ホテルの階段を駆け上がった。ドゼ将軍の部屋なら、とっくに割り出してある。窓際の部屋だ。そこから見える場所に陣取り、俺は毎日、彼の回復を願ってきた。
オーストリアとの和平が成立したとかで、ディアースハイムでの戦闘は、停止になった。もう少し勝てるところだったのに、本当に、惜しいところだった。
休戦を導いた、ボナパルトとかいう将軍に、殺意を抱いたくらいだ。まあ、彼は、いち早く、オーストリアに勝利したわけだけど。
ライン軍の勝利を手土産にできなかったことが、悔やまれる。俺らが勝ちさえすれば、ドゼ将軍の怪我なんか、すぐに治る……俺は、そう信じて戦っていたのだ。
それにしても、レイのやつ。
あいつ、ドゼ将軍は、瀕死の重傷だ、などと教えやがったのだ。だから、暫くは近寄るな、と。
くそう。後でしばいてやる。
だが、今は、ドゼ将軍だ。俺の軍神に会わねばならない。彼の無事を、この目で確認するのだ。
目当ての部屋の前で立ち止まった。切れた息を調え、服の埃を払う。
一応、髪に手櫛を通し、俺は、ドアをノックしようとした。
その時……。
「はい、あーん」
ドアの向こうから、女性の声が聞こえてきた。
「そうそう、いい子ね。もう一口。あーーん」
「……」
低い男性の声が何か言う。中身までは聞き取れない。
女性が答えた。
「もちろん。大好きよ、ルイ。ずっとそばにいるわ」
「……」
「そんなこと言わないの。今回は、すぐに来てあげたじゃない」
「……」
まさに男女の睦言だ。俺は眉を顰めた。男は、間違いなく、ドゼ将軍だ。だって、ここは彼の部屋だし。
どうしよう。
でも、俺だって、ドゼ将軍に用があるんだし。
部屋の中のいちゃいちゃは続いている。
「さあ、お食べなさい」
「……」
「大丈夫よ。ふうふうしてあげたでしょ」
「……」
「もう! わがままねえ」
ふうふう?
ふうふうだと!?
つか、ドゼ将軍が怪我したのは、脚だ。手は、フツーに使えるだろーが!
「……」
「それは、悪かったと思ってる。あの日は都合が悪かったのよ」
「……」
「1年も前の話でしょ」
「……」
「これからは、ずっとあなたと一緒よ、ルイ・シャルル・アントワーヌ」
ちなみに、ルイ・シャルル・アントワーヌというのは、ドゼ将軍の名前である。
俺と共通なのは、最初のルイだけ。貴族臭い、長ったらしい名前だ。
そっと、俺は、その場を離れた。廊下の隅に移動する。
いくら俺でも、男女が2人きりでいる現場に踏み込む勇気はなかった。
というか、ドゼ将軍、さっそくサン=シル将軍の忠告に従ったわけだな。兵士達と女を共有するのは止めろ、愛人を持て、という。
もしそうなら、めでたいことだ。
サン=シル将軍は、不特定多数を相手にすることで罹る病気を、心配していた。口にするのも憚られる、あの病だ。
とにかく、恐ろしい病らしい。症状が進むと、鼻がもげることもあると聞く。対策として、専用の付け鼻があるそうだが。
両頬に傷がある上に、付け鼻。いくら俺でも、さすがに、彼のイケメンを布教することが難しくなる。だって、不名誉な病に罹ったことを、顔で宣伝しているようなものだからな。
グアヤク木(*1)や水銀療法がいいとされるが、気休めに過ぎないらしい。要は、不治の病なのだ。
だが、ちゃんとした愛人を持ったなら、病気に罹る心配はなかろう。専属で、しっかり囲っておきさえすれば。
……ドゼ将軍、結婚すればいいのに。
そう思って、俺は、ふるふると頭を横に振った。
結婚はダメだ。失敗するに決まってる。だって、この俺でさえ、うまくいかなかったのだから。紅顔の美青年たる、この俺でさえ!
だいたい、軍人などというものは、人生の大半を戦場で過ごすものだ。家にいる時間は、ごく、短い。裏切らない妻なんて、この世に存在するわけがない。愛人を持つ方が、どんだけマシか!
考えれば考えるほど、早く身を固めようとした過去の自分に腹が立ってきた。全く、結婚なぞ、するものではない。俺は、
ひどい怪我をしたけど、ドゼ将軍、うらやましすぎるぜ! やっぱり、戦士には、安らぎを与えてくれる女性が必要だ。専属のな!
俺は、下劣な覗き屋ではない。ドゼ将軍の幸せを祝して、帰ろうかと思った。だが、あの日、彼が、戦場で撃たれてから、俺は一度も、彼に会っていない。
どうしても会いたかった。元気な顔を確認したかった。そして褒めてほしかった。ディアースハイムの戦いは、勝利目前だった。俺は、2回もあの場所を占領した。翌日は、旅団を率いてオーストリア軍左側面を襲い、これを撃退した。俺には、ドゼ将軍に褒めてもらう資格がある!
それなのに、まさか、愛人と一緒とは。
あの、ドゼ将軍が。
日を改めた方がいいのかなあ。
でも、会いたい……。
迷っていたら、ドアが開いた。
盆を手にした女が出てきた。
金髪で青い目、きれいな女性だ。だが、俺の好みとしては、少しばかり口が大きすぎた。経験則から、年齢も好みではない。
女性は、しずしずと廊下を歩いていく。柱の陰に隠れている俺に気づくことなく、階段を下り始めた。
彼女と入れ違いに、屋上から、シーツを抱えたメイドが下りてきた。
「おい、あれは、誰だ?」
ドゼ将軍の部屋に入るのはとりあえず後に回し、彼女を引き留めた。
「ひっ!」
シーツの塊に目の前を覆われていたメイドは、不意に声を掛けられ、悲鳴をあげた。
「静かに! あの女性を知っているか!?」
メイドは、小さな少女だった。彼女は、階段の手すりから首を突き出して、下を眺めた。高く結った金色の髪を確認する。
「モンフォール大尉の奥さん」
「モンフォール?」
「
「エミグレ!」
共和国に反旗を翻し、外国に逃れた貴族将校だ。
エミグレ達の多くが、家族を
自分達一族が、さんざん、搾取してきた領民が。自由と平等に目覚めた、新しい市民が。
階下で、ドアがばたんと閉まる音がした。彼女は、どこかの部屋に入ったらしい。
「おい、モンフォール夫人はこのホテルに泊まっているのか?」
「彼女のお母さんが、長いお客さんだよ。ルイーゼは子どもを連れて、お母さんの部屋に転がり込んできた」
そうか。ルイーゼという名か。つか、子持ち!
「まさか、それ、」
「安心しな。エミグレの旦那の子だよ」
したり顔で、メイドは答えた。
国内居住が確認できない貴族の財産は、国に没収された。残された家族は、生計を立てるのに、非常な困難を強いられている。夫の亡命で、ルイーゼも、財産を失い、子どもを連れて、母親の元へと転がり込んだのだろう。
「なら、」
さらに質問を重ねようとすると、目の前に、にゅっと、手が差し出された。
俺は舌打ちし、硬貨を一枚、汚い掌に載せた。
「もう1スー」
仕方がない。
言われるままに、硬貨を一枚、追加する。
「彼女は、ドゼ将軍の……」
ちらっとメイドを見た。まだ子どもだ。言葉を選び、俺は問うた。
「彼女は、ドゼ将軍の、女友達か?」
「2人はヤッてるよ。随分前から」
少女は答えた。
───・───・───・───・───・
*1 グアヤク木
南アメリカ原産の木
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