5 戦士の休息

第26話 ノイヴィラー・ホテル前にて




 「うおおおおおおおっ、ドゼしょう、ぐうーーーーーーんっ!」


 ストラスブールに、200年後まで確実に残るであろう建造物、ノイヴィラー・ホテル。川沿いに建てられた堅牢な建物から出てきたニコラス・ルクレール将軍は、あまりに異様な風体の人物を目にし、思わず立ち止まった。



 「ドゥーーッ、ゼーーーッ、しょう、ぐーーーーーーんっ!」

川沿いを散策する人が、奇異な目で見ていく。誰も、決して、近寄ろうとしない。


 「うぉおおおおおおおおおおーーーーーーーーーっ!」

 着乱れた着衣、薄汚れた顔、なにより、道端に倒れ伏せんばかりに泣き叫んでいるその男は……。


 「ダヴー、よせ!」

後ろからついてきたドゼ将軍の副官・レイが、ルクレールの横をすり抜けた。男に駆け寄る。

「迷惑だろ。お前、昨日も一昨日もずっと……」

「だって、レイ。ドゼ将軍がっ!」

「将軍だって、迷惑だ。お前のその大声が聞こえたら!」

「彼が死んじまう!」

「だから、お前の声が、傷に障るんだって!」



 際限もなく喚き合う2人に、ルクレールが割り込んだ。

「昨日も一昨日も来てたのか」

「もう、連日ですよ!」

憤懣やるかたないといった口調で、レイが応える。


 焦点の合わない目で、男はルクレールを見た。

 近寄ると、強烈な垢と埃の匂いが鼻を刺した。顔を顰め、ルクレールは問いを重ねた。

「ドゼ将軍の部下か?」

「ドゼ将軍は、俺の軍神だ!」

男が怒鳴り返す。


「あっ、ルクレール将軍、こいつは、その、ちょっとアレなやつで」

慌てて、レイは割り込んだ。



 なにしろこの副司令官は、イタリアの常勝将軍、ボナパルト司令官から派遣されてきた。その上、彼の義弟だ。

 ボナパルト将軍は、膠着していた対オーストリア戦を、見事勝利に導いた立役者である。ライン河の休戦は、ボナパルト将軍の勝利のおかげだ。

 負け戦(引き分け含む)ばかりだったライン方面軍としては、ボナパルト将軍の関係者ルクレールに、悪い印象を持たれたくなかった。



「こいつ、ディアースハイムの戦闘から戻ったばかりで、ひどく気が立っているんです」


「うるさい、レイ! 黙れ」

 ドゼの補佐官・レイに、男は食って掛かった。

「黙るのはお前だ」

すかさずレイが言い返す。


「うるさいうるさい! 失せろ!」

「失せろとはなんだ、失せろとは!」

「邪魔なんだよ!」

「邪魔なのはお前だ! ここには、他の宿泊客もいるんだぞ」



 「君、名前は?」

 再びルクレールは話しかけた。

「ダヴー。”de” のつかないダヴー、ただのダヴーだ」

 男が、きついまなざしを向ける。狂気と紙一重の危うさだ。


 しかし、この男に、ルクレールは、魅力を感じた。その底を流れる、とてつもなく純粋なものに触れた気がした。


「それでは、ただのダヴー君。君はここで何をしているんだ?」


「ドゼ将軍の回復を念じているに決まっている!」

憤然と男は答えた。

「彼が一刻も早く意識を取り戻し、俺達のところへ帰ってきてくれることを!」


「ドゼ将軍なら、今、会ってきたばかりだ」

ルクレールは首を傾げた。

「軍医は安静を命じているが、彼は、全く、いつも通りだったぞ。私が行くまで、パリへの報告書を書いていたくらいだ。というか、ドゼ将軍は、一度たりとも意識を失ってなんか、いないよ」


 ちらりとレイの顔を見た。ドゼの補佐官は、きまり悪そうな顔をしてそっぽを向いている。



「*◇+@×××!」


 奇妙な雄叫びを男が挙げた。

 レイとルクレールを押しのけ、ホテルの中へ突進していった。













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