第25話 最後の命令



 さすがに、敵は、準備を整えていた。

 ディアースハイムの大砲が、こちらを睨んでいる。


 渡河するフランス軍の船に向かって、砲弾が浴びせられた。だが、幸いにも、敵の大砲は、調子が悪かったようだ。飛距離が定まらない。



 俺達は、悠々と放火の下を潜り、ディアースハイム下手寄りの岸辺へ向かった。

 岸辺には、オーストリアの歩兵が300人ほど、待ち構えていた。

 真っ先に上陸したデュエズムが、腕を撃たれた。


 ゆらり。

 デュエズムが立ち上がった。やおら、傍らにいた鼓笛隊の太鼓を取り上げる。撃たれていない方の手で剣を握り締め、柄で、太鼓を叩きはじめた。


 指揮官を撃たれ、一瞬、及び腰になったデュエズム麾下の兵士たちは、これに鼓舞され、敵に向かって突進を始めた。その先頭には、片腕から血を流し、よろめきつつ太鼓を叩く、デュエズムの姿があった。

 見る間に、岸辺のオーストリアの歩兵団は、殲滅されていく。



 ドゼ師団の船が、続々と岸辺に到着し始めた。隊列を整え、ディアースハイムへ向かって進軍を開始する。

 それを、白い軍服のオーストリア兵が迎え撃つ。


 両軍、入り乱れての戦闘が始まった。



 いつものように、初めはへっぴり腰だったわが軍の兵士共だが、すぐに、士気を上げていった。それも、加速をつけてだ。

 だって、俺をはじめ、指揮官の勇敢さは、瞠目に値する。なにしろ、師団長ドゼ将軍自らが、先頭に躍り出て、勇猛果敢に敵に襲い掛かっていくのだ。普段の物静かで穏やかな彼と違い、まったく、空恐ろしいほどだ。

 これに鼓舞されなければ、ライン兵士じゃねえ。


 そうなれば、市民兵のことだ。こいつらには、戦法も作法もあったもんじゃない。まるで、狂信者の群れのように、滅茶苦茶な戦いぶりで、オーストリア軍に立ち向かっていく。



 「戦いを長引かせるな。フランス兵を、川に投げ込め!」

赤いズボンのオーストリア将校が命じた。


 時を俟たずして、近くのオノー駐屯地から、オーストリアの増援隊が到着した。

 敵は、短時間決戦を目指している。フランス軍が士気を上げきる前に、なんとしても、勝利をもぎ取ろうとしているのだ。



 「そうはさせるか!」

俺はサーベルを振り上げた。


 しっかり見てろよ、フランス兵ども。ハンサムで勇敢な上官おれに、ついてこい!


 オノーから、新たに参戦してきた白い軍服の群れ目掛けて突き進む。一瞬のためらいもなく。

 瞬く間に、数人を斬り殺した。


 ざくり。

 サーベルが相手の体に沈む感触。吹きあがる赤い血潮。自分が死んでゆくことさえ理解できず、ゆっくりと倒れていく、大きな、生暖かい体。


 これだ。

 これでこそ、俺だ。ダヴーだ!


 途切れることなく、俺は、殺戮を続ける。



 ドゼ将軍と俺の軍は、敵を押し戻し、堤防を奪取した。



 「全軍、扇形に展開!」

ドゼ将軍の指令が聞こえた。


 すかさず俺は、指定されていた位置、扇形の左前方に馳せ参じた。俺の後に、歩兵どもが続く。

 扇形の最前列、広がった中央部分には、もちろん、ドゼ将軍がいる。銃弾が雨あられと降る中を、彼は、敵陣目掛けて走っていた。



 それは、一瞬のことだった。

 オーストリアの擲弾兵が、銃を発射した。ドゼ将軍の至近距離で。


 俺の耳が銃声を捕えたのと、彼が倒れ、転がったのは、同時だった。



 「ドゼ将軍!」

 自分が死ぬほどのショックを、俺は受けた。

 俺は、動けなかった。息が詰まり、時間が止まった気がした。






 永遠とも思える時間の後、将軍が、頭をもたげた。


「やめろ!」

彼は叫んだ。


 近くにいたフランス兵が斧を振り上げ、まだ銃を構えたままのオーストリア兵の上に、振り下ろそうとしていた。ドゼ将軍を狙撃した擲弾兵だ。


「殺すな! 無駄な殺戮は許さん! そいつは、俺の捕虜だ!」

 力を絞って、ドゼ将軍が命じる。



 擲弾兵は、恐怖で蒼白になっていた。その頭蓋を叩き割る直前で、斧は止まった。


「生きとる!」

「ドゼ将軍は、生きとる!」

 叫び声が上がった。


 わらわらと、兵士たちが、将軍のそばに集まってきた。すんでのところで斧を止めた兵士が、自分が今、まさに殺そうとしていた擲弾兵を捕まえた。憤怒の表情で力いっぱい両腕を捩じり、縛り上げている。


「太ももだ! 太ももを撃たれている!」

「出血がひどい! 止血しろ!」

「担架を!」

ドゼ将軍の周りに集まった連中から、口々に叫びが飛び交った。



 へなへなと俺は、その場に座り込みそうになった。

 すかさず襲い掛かってきた敵兵を、ちらとも見ずに、薙ぎ倒した。


 次々と挑みかかるオーストリア兵を斬り殺しながら、俺の意識は、倒れたドゼ将軍に集中していた。

 担架に乗せられたドゼ将軍の顔色は、真っ青だった。

 気丈に意識を保ったまま、彼は、戦場から運び去られていく。

 太もも。狙撃。出血。

 俺の脳裏を、断片的に、言葉が飛び交う。


 たとえ撃たれた時は生きていても、その後の手術に耐えられず、命を失った兵士を、大勢見てきた。

 助かったとしても、片足を失うことになったら……。



「うおーーーーーーーーっ」


 腹の底から、俺は叫んだ。目の前のオーストリア兵の眉間にサーベルを叩き下ろす。


「ドゼ将、ぐうーーーーーーんっ!」







 俺達は、戦い続けた。ドゼ将軍がいなくなった戦場で。師団長を撃たれた、怒りにまかせて、俺達は、ディアースハイムを、攻略し続けた。


 7回にわたり、勝者が入れ替わった。俺自身、2回、ディアースハイムの奪取に成功した。オーストリア兵を一人残らず、基地の外へ追い出してやった。


 そしてすぐまた、追い出された。



 戦いは、1日中、続いた。

 立ち込める硝煙のせいで、あたりは、宵闇のように、薄暗かった。


 フランス軍の勝利が、連続した。少しずつ、敵が押し切られているのがわかる。


 勝てそうだった。

 このままいけば……。


 ドゼ将軍。俺達は、勝つ! ライン軍は、勝つ! もう、部分的な勝利しかない、などと言わせない。完全な勝利を、栄光を、あなたの上に。



 翌日。左岸で待機していたルクルブ将軍の分隊が応援に駆け付け、ドゼ師団を立て直した。

 同時にライン河右岸(東側)では、キンツィヒ川流域にいたヴァンダム師団がオッフェンブルク、ゲンゲンバッハの辺り(ストラスブールからライン河を挟んで南東)まで進軍した。左岸では、ルクルブ師団の前衛が、進軍を開始する。


 今や、広範囲が戦場になっていた。辺り一面に硝煙が立ち込め、叫び声や銃の発射音、馬の嘶きに満ち満ちていた。



 オーストリアのケール守備隊が降伏した。(*1)


 俺は、二個旅団を率い、オーストリア軍左側面を襲った。しつこく反撃を繰り返すオーストリア軍に、粘り強い戦いを挑む。




「行けーっ! 戦えーーーーーっ!」

 俺の雄たけびに、兵士達が、どよめきとなって応えた。


 その時。




「戦闘中止!」

 叫び声が聞こえた。

「フランスとオーストリアの間で和約が結ばれた!」


 ルクレール副司令官の声だ。(*2)


「イタリア・ボナパルト軍、勝利! 帝国軍(*3)は、降伏した!」






 ルイ・ラザール・オッシュ傘下のサンブル=エ=ムーズ軍が、デュッセルドルフの橋頭堡から南東へ向けて、行軍を開始した日。


 ライン・モーゼル軍のドゼ師団が、ディアースハイムへ突撃をかける、2日前。



 フランスとオーストリアの戦争は、既に終結していた。



 イタリア、ロンバルディア平野を制し、ライン河畔から転戦してきたカール大公軍を、タリアメント川で破り……。



 ボナパルト将軍率いる対イタリア軍は、オーストリア領レオーベンまで侵攻し、講和を要求した。

 レオーベンは、ウィーンまで8日の距離だ。


 オーストリアは敗北を認め、講和の諸条件を呑んだ。








───・───・───・───・───・


ディアースハイム周辺の地図がございます

カクヨム3章「ケール出撃」25話「最後の命令」

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-156.html




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*1 ケール要塞降伏

 しかし、司令官含めオーストリア軍は誰も降伏状を書かなかった


*2 ルクレール副司令官(l'adjudant général)

 ナポレオンの妹ポーリーヌの(最初の)夫


*3 帝国

ここでは、神聖ローマ帝国。オーストリアは、ハプスブルク家の領有地




6月20日の戦いで、フランス軍とオーストリア軍はひっきりなしに勝ち負けを繰り返していましたが、お話にあるように、1日の終わり頃には、フランス軍が勝利の兆しを見せていました。

しかし、大変な接戦だったので、対岸(左岸;西側)にいたフランス中央軍(ドゼ軍)の兵士達には、戦いの詳細がわかりませんでした。不安を募らせた彼らは、ついに勝手に逃走を始めます。

翌21日、午前2時。サン=シル麾下左翼所属ルクルブ師団第一砲兵部隊が応援に駆けつけ、逃亡兵を捕まえ、秩序を失いかけていたドゼ軍(同・中央軍)を立て直します。(ルクルブは、ライン渡河の際、ドゼらと共に中央軍にいました[24話「ライン渡河」]。この辺、複数の資料を参照していますので、齟齬が出てしまっています)


お話のように戦いが広範囲に及んだ結果、オーストリアのラトゥール元帥は、危機はオッシュのサンブル=エ=ムーズ軍ではなく、ライン・モーゼル軍にあると判断します。彼はマンハイムから(予備)兵を出しライン・モーゼル軍側面を攻撃しようとしますが、彼らが戦場へ到着する前に、停戦の知らせが届きました。








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