第24話 ライン渡河
ケールを引き渡しはしたが、ドゼ師団は、まだ、戦う意思に満ち満ちていた。
俺達は、何も諦めてはいなかった。
ドゼ将軍がそうだったからだ。
師団長の下、結束して、物資を集め、訓練に励んだ。
前の司令官、ピシュグリュも文句を言っていたが、ライン軍は、貧乏だ。とにかく、物がない。
特に、馬の不足は深刻だった。
「牛に馬具をつけましょう」
思い余って、砲兵が提案した。なるほど、大砲を運ぶだけなら、牛で充分だ。
「俺に任せろ!」
即座に俺は、牛の徴収に走ろうとした。
俺を見込んでくれたドゼ将軍の為だ。俺は何だってやる気だった。
「待て、ダヴー」
ドゼ将軍が引き留めた。
「金を持って行け」
「金?」
俺は目を丸くした。
「洗濯女に払う洗濯代さえ、ないんですよ? いったいどこから捻り出すんです?」
「ううむ」
ドゼ将軍が唸った。唸っても、金など出てこない。
「牛なんか、ここの農民をちょっと脅してやれば、ほいほい出してきますって」
俺のこの迫力をもってすれば、たやすいことだ。
「駄目だ」
苦し気に、将軍は呻いた。
「ツケにしてくれと頼むんだ。そのうちに、パリから、補給が、来る……はず……だ」
盛大に、俺はため息を吐いた。
なけなしの金貨の入った皮袋を、ドゼ将軍が押し付けてくる。強引に手渡され、俺は、さっそく、牛の徴収……じゃなくて、ツケでの購入に出掛けた。
「船が欲しい」
背後で、ドゼ将軍がつぶやくのが聞こえた。
「四方八方に手を回して、鉄や木材を集めよう」
船を買うと高くつく。どうやら将軍は、手先の器用な工兵に、船まで造らせるつもりのようだ。
◇
春になり、休戦協定の時限は切れた。
4月19日、夜。
パリに出向いていたモロー司令官が、闇に乗じて、こっそりと帰ってきた。
「ドゼ、お前に言われた通り、誰にも気づかれずに帰って来たぞ」
モローは、背の高い、すらりとした美丈夫だった。髪は金色で、無駄に美しい。
一目見て、俺は、この新しい司令官が大嫌いになった。
「パリの連中を撒くのは難しかったが、雷のように早く帰って来た」
ドゼ将軍に媚びてる辺りも気にくわない。
「敵を欺くには、あなたはまだ不在だと思わせることが、何より重要なのです、モロー司令官」
ねぎらうように、ドゼが答えた。
子どもが母親を見るような目つきでドゼを見つめ、モローは頷いた。
栄光ある先遣隊の中に、俺の部隊も入っていた。
日付が変わった、20日早朝2時。
俺たち先遣隊は、キルステットの岸辺に集結していた。キルステットは、ストラスブールより十数キロ北にある。ここから、船で、対岸へ渡るのだ。
この辺りは、ライン河の支流が、蜘蛛の脚のように、枝分かれしている。敵に見つかるとまずいので、船は、支流のあちこちに、分散して隠してあった。
キルステットの対岸の、ディアースハイムが、今回の標的だ。ディアースハイムには、オーストリアの砲台が設置されている。
恐らく敵は、我々が、ケール要塞を奪還に来ると、用心しているだろう。兵力の大部分も、ケールに集めてあるはずだ。ディアースハイムは、比較的手薄であるはずだった。
こうした策略は、もちろん、モロー司令官の立案ではない。彼の留守を預かり、臨時の司令官を務めていたドゼ将軍と、レイニエ将軍の立てた計略だ。
急襲が、何より、重要だった。
それなのに、指定された時間に、船は来なかった。
傍らに立つドゼ将軍が苛立っているのがわかる。
このところ、雨が少なく、川の水位は低くなっていた。嫌な予感がする。すぐに伝令が、船が座礁していると、伝えてきた。
伝令が伝え終えないうちに、川べりを、ドゼ将軍が疾走した。もちろん、俺も後を追う。
果たして、川の真ん中で、船は立ち往生していた。
一瞬の迷いもなく、ドゼ将軍が、川の流れに飛び込んだ。腰のあたりまでの水をかき分け、じゃぶじゃぶと船に向かって突き進んでいく。
すかさず、俺も彼に従った。レイニエ、ルクルブ、ヤンダンモワ、デュエムの諸将も、後に続く。
ためらい、モロー総司令官も川に飛び込んだ。
4月とはいえ、川の水は冷たかった。ましてや、この後に、激戦が控えている。体温を奪われるのは、好ましいことではない。それでも、川に飛び込むのをためらう将校は、一人もいなかった。
師団長のドゼが、先陣を切って飛び込んだからだ。
「転ぶなよ。ダヴー、お前、泳げたか?」
一番最初に脇に並んだ俺に、ドゼ将軍が声を掛けた。
「習いました! 完璧、泳げます!」
「よし」
「だから、俺を副官に……」
「その話はあとだ!」
その頃には、他の連中も、座礁した船の周りに取り付いていた。
中には、軍服を頭の上に結わえ付けているやつもいる。濡れないようにだ。その冷静さに、俺は感心した。
みんなで、座礁した船を、力づくで、流れに戻そうとする。
冷たい船体に体を押し付け、力いっぱい押す。
「馬鹿力だけじゃ、駄目だ! 力を合わせるんだ」
レイニエが叫んだ。彼は、モローの参謀だ。
「1、2、3、それっ!」
俺を始め、ルクルブ、ヤンダンモワ、デュエズム、師団長のドゼまでもが、レイニエの号令に合わせて船を押す。頭を下げ、肩を船に押し付け、力いっぱい、押し戻そうとする。
モローも、おずおずと手を出していた。
この春着任したばかりの司令官殿は、まだ、ライン軍に慣れていないらしい。
「もう一度。1、2、3、それっ!」
将校たちの肩と腕の力だけで、船は、水底の岩から解き放たれた。
「オールが!」
船の上から工兵が叫んでいる。
全ての平船のオールを積んだ船は、船団の最後尾で横倒しになり、沈みかけていた。
岸辺の歩兵たちが、水に流されてきたオールを拾い集めた。
「くそ、陽が昇る!」
誰かが叫んだ。
しらじらと、夜が明けかけていた。これでは、対岸から丸見えだ。奇襲にならない。
「だが、延期はなしだ。急襲が、何より重要だ。白昼堂々と、討って出ようではないか」
ドゼ将軍が檄を飛ばした。
不安が吹き飛ばされていくのを感じる。ドゼ将軍がそう言うのなら、間違いない。
彼は、軍神だ。
迷いはなかった。この人が一緒なら、敵に見つかることも、怖くない。
午前6時。
俺の部隊を含め、3つの部隊が、ライン河に乗り出した。
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