第23話 ルイという名

 サン=シル将軍は、厩舎を出た所だった。任地へ戻ろうと、馬に跨ろうとしていた。


 「サン=シル将軍!」

俺が呼び掛けると、手綱を手にしたまま、サン=シルは振り返った。

「なんだ、ダヴー。アンベールについて、左翼に来る気になったか?」

「まさか! 俺は、ドゼ将軍と一緒にいたいです。できることなら、彼の副官になりたいくらいだ」

「ドゼの副官なんかになっても、何の得もないぞ。怪我が増えるだけだ。ラップを見てみろ。傷だらけじゃないか」


 ラップは、ドゼ将軍がスカウトしてきた副官だ。俺より1つ、年下だ。まだ本決まりではないらしいが、まるで仔犬のように、ドゼ将軍の後について回っている。

 俺を差し置き、憎たらしい男である。


「それでも、副官になりたいんです。この戦闘が終わった後も、ドゼ将軍の身近で、戦いたい」

「やめとけ」

ばっさりと、サン=シルは切って捨てた。

「アンベールの下にいた方が、長生きできる」


「長生きなんて!」

鼻息荒く、俺は叫んだ。

「平穏無事で長生きしたって、何の意味があるっていうんです!? 俺は、自分の信じる人の下で思い切り戦って、悔いなく生きたい!」

「……」


サン=シルは、じっと俺の顔を見つめた。


「君は変人だな、ダヴー」

「よく言われます」

「ドゼも変人だ。君とは違ったタイプの」

「彼と同じ評価を頂けて嬉しいです」


深いため息を、サン=シルはついた。


「ラップは元からドゼの下にいたからいいとして、サヴァリ、あいつはフェリノ将軍が可愛がってるだろ。そして、お前だ、ダヴー」

「はい?」

何の話か、さっぱり分からなかった。

「ドゼの奴、こいつは有能だと思ったら、ぐいぐい来るタイプだったんだな。よその師団だっておかまいなしだ」

「有能?」

そこを、俺は耳に止めた。

もっと褒めて! サン=シル将軍。ラップとサヴァリはどうでもいいから、俺のことだけを、もっともっと賞賛してほしい。

「意外と強引な男だな、ドゼは。長年一緒にいるが、今まで気づかなかったぜ。なのになぜ、女の一人も落とせないのかな?」

サン=シルはサン=シルで、別の方向へ思考が逸れていったらしい。

「この間のケール出撃は、中央でも高く評価されているんだ。信じられるか? 今、ドゼは、パリで、大変な人気なんでぜ?」


「女性にですか?」

思わず聞いてしまった。

「女性にもだ」

重々しく、サン=シルは頷いた。

「なにせ、今まで全く無名だったからな。パリは今頃、ドゼを『発見』したのだよ」

 うらやましそうでは、全くなかった。逆だ。むしろ気の毒そうに、サン=シルは言った。

「無責任な人気だ。まだ若いあいつが、火傷しないことを祈る」


 サン=シル将軍は、ドゼ将軍より、4歳年上だ。軍歴開始は、士官学校を出たドゼ将軍の方が早いが、92年にフランスがオーストリアに宣戦布告するまで、戦争らしい戦争はなかったのだから、軍歴は、似たようなものだといえる。


「ま、ドゼが女に入れ揚げるなんて、ちょっと考えられないが」

「俺もそう思います」

 俺達は、頷きあった。


「彼には、決まった人はいないんですか?」

 ドゼ将軍は、俺より2つ年上だから、今年で29歳になる。それなのに、彼はまだ、結婚していない。

 彼は貴族出身だそうだが、実家が、よく黙っているものだ。


 仔細あり気に、サン=シルが首を傾げた。

「従姉妹だろう」

「へ?」

「2年前、俺が、従姉妹と結婚するって言ったら、ひどくうらやましそうな顔をしていた。きっと、故郷に残してきた従姉妹に片想いをしているに違いない」


 昔役者を志していたというサン=シル将軍は、ロマンティックな推測を展開した。

 だが俺は、全く、賛成できない。


「従姉妹はダメ、危険です。自分と同じ血を引く女性なんて、考えただけでも恐ろしい」


 極めて不快そうな顔を、サン=シルはした。

「君の従姉妹なら、そうかもしれないな、ダヴー。だが、俺のアンヌは違う。彼女は素直で優しい。俺より11歳も若いし」

 さりげなくのろけつつ、何かを思い出す表情に、サン=シルはなった。

「ドゼの奴は、報われない恋をしていると、俺は見たね。従姉妹にフられたんだ、きっと」

「はあ」

 まだ、俺は納得できない。


「だが、だからって、あれは、やり過ぎだ」

 サン=シルが言うことには、心当たりがあった。

「兵士達と女を分け合ってることですね」

「病気になるからと、俺が止めた。ああいう女の子たちは、相手かまわずだからな。金もかかるし。結婚しないなら、愛人を囲うよう、勧めておいた」

「へえ」

それはまた。荒療治を。


「なにしろやつは、休暇というものを全く取らないからな。開戦から4年半、戦場を離れたことがない」


 俺は、深い感銘を受けた。

「ドゼ将軍は、戦争が、本当にお好きなんですね」

俺も大好きだ。特に、人を殺すのが。


「好きとも違うと思う」

 サン・シルは首を傾げた。結局、うまい言葉が見つからなかったらしい。ためらいながら口にした。


「戦場に出ると、あいつは、違う人間になる。普段の慎重さや穏やかさが嘘のように、果敢で無鉄砲になる。あれじゃ、命がいくつあっても、足りやしない。俺は、あいつが、何か楽しみを知ればいいと思うよ。一時的で不安定な気晴らしの他に」


「ご実家は?」


 ついでに聞いてみた。考えたら俺は、ドゼ将軍のプライベートを、殆ど知らない。知っているのは、彼が貴族出身で、フランス中南部の出身であることくらいだ。

 あと、俺と同じ「ルイ」というファーストネームを持つこと。これは、俺が大切に心に秘めて、時々取り出しては眺めている、貴重な共通点だ。(*1)



「彼の故郷は、オーヴェルニュだ。お父上は早くに亡くなられたが、母上はまだ、健在なはずだ」

 オーヴェルニュ。大変な山奥だ。父親が早くに亡くなったのは、俺も同じだ。ドゼ将軍に、ますます、親近感が湧いた。


「御兄弟は?」

「フランソワーズという名の、お姉さんがいたはずだ。あれ、妹かな? 小さな姉妹プティ・スール、とか言ってたから」

「男の兄弟は?」

「知らないよ。ダヴー、お前、いやにしつこいな」

「ドゼ将軍が教えてくれないからですよ」

「だからって、俺に聞くなよ。俺が教えたってわかったら、ドゼに恨まれるだろ?」


「うーむ」

俺はうなった。

「以前、彼がヴェグーの騎士シュヴァリエ・ド・ヴェグーと名乗ったものですから、気になって」


 マンハイムの城壁の外へ、初めて彼を訪ねた時だ。あの時、彼は、区別するために、そう名乗っていた、と言った。今はもう、その必要はなくなった、とも。


「彼には多分、兄か弟が、いたんでしょう?」


 その兄弟がいなくなったから、彼と区別するために『ヴェグーの騎士』を、名乗る必要もなくなったのだ。

 その辺りの事情を知りたいと思っていたから、なおも食い下がった。


 途端に、サン=シル将軍の目が、用心深そうな光を帯びた。

「君は、何を知ってる?」

「え?」

「君は、ドゼの何を知ってるんだ」

「何って……男前なところとか? やることが。顔は俺の方が上です。髪の量では負けますが」


「……。いや、忘れてくれ」

「は?」

「今、俺が言ったことは、忘れるんだ」

「はあ……」

わけがわからなかった。



 「じゃあな、ダヴー」

話は終わりとばかり、サン=シルは、馬の首に手を掛けた。

「あ、そうだ。ドゼの奴に、早く金返せと、伝えといてくれ。なにせ今や俺も、家庭持ちだからな。いろいろ、物入りなんだ」

「え? いや、あの、サン=シル将軍。ドゼ将軍も俺の愛と献身を認めてくれました。俺を中央軍に残してくれたのが何よりの証拠です」

「何を気持ち悪いことを言ってる!」

サン=シル将軍が一歩退いた気がする。構うことはない。俺は続けた。ここが押し時だと思ったからだ。

「ついでだから彼に俺を、副官として推薦して下さいよ。親友のよしみで」


「誰が誰の親友だって? 俺はそこまで悪趣味じゃないぞ」

 サン=シルが凄んだ。

 なんだか俺の存在を、全力で否定されたような気がする。気のせいか?


「あなたとドゼ将軍ですよ」

「なんだ」

見るからに、サン=シル将軍が脱力した。

「だから、言ったろう。ドゼに何かを強要することはできない。あいつは、自分のめがねに叶った奴しか、副官にしないよ」



 言うだけ言うと、サン=シル将軍は、馬に飛び乗った。











───・───・───・───・───・



*1 ドゼ将軍の全名

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ

(ダヴーの全名:ルイ=ニコラ・ダヴー)








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