4 ディアースハイムの戦い

第22話 大喰いの隣人




 ストラスブールにいるドゼ師団の元へ、サン=シル将軍が、陣中見舞いに訪れた。彼は、ケール明け渡しの後、ライン方面軍の左翼指揮官に任命され、ストラスブールから離れていた。


 サン=シルは、ドゼより4歳年上、開戦当時からずっと、ライン軍の僚友として戦ってきた。

 冷静沈着なサン=シルと、少数の騎兵だけを率いて先陣を切って突撃していくドゼは、息の合った、いいコンビだった。




 春の開戦のシーズンが近づいていた。ライン・モーゼル軍は、まだまだやる気だった。そして、河の下流に控える、サンブル=エ=ムーズ軍も。


 去年、カール大公に叩かれ、早々に撤退したサンブル=エ=ムーズ軍では、ジュールダンが辞任していた。

 総司令官には新たに、オッシュ将軍が着任した。王党派の蜂起の続くヴァンデ地方を平定した彼は、4年前にも、ライン方面の指揮を執ったことがある。



 ライン・モーゼル軍と、サンブル=エ=ムーズ軍。両軍の連携が、再び、調整されていた。





 「オッシュから、わがライン=モーゼル軍に指令が来た。ライン河に沿って、哨兵線(見張り)を配置するようにと」

 作戦会議の席上、サン=シル将軍が伝えた。

「ライン河沿いの、ユナング(南:スイス近く)から、ビンゲン(北:マインツの先)まで、厳しく見張れ、と」



「随分広い範囲ですね。ライン軍の全ての人員を、分散配置しなくちゃならない」

アンベール将軍俺の直属の上司がつぶやく。



「反対!」

びしりと言い放ったのは、ドゼ将軍だった。

「そんなことしたら、わがライン軍の兵を、オッシュに差し出すようなものだ」



 ……?


 その場にいた全員の頭上に、クエッションマークが灯った。オッシュは、フランスの将軍だ。しかも、長引くヴァンデ地方の王党派蜂起を、この夏、ついに平定した。オッシュは、名将だ。

 ドゼ将軍は、なぜ、彼と敵対するようなことを言うのだ?



 静まり返った諸将はまるで目に入らず、ぶつぶつと、ドゼ将軍が呟いている。彼は、自分の世界に入り込んでいるようだ。


「ただでさえ、サンブル=エ=ムーズ軍は、わがライン軍より、供給が多い。物資が豊富だ。それなのにオッシュは、わが軍まで飲み込もうとしている。なんて大喰いなんだ。サンブル=エ=ムーズ軍の新司令官オッシュは、大喰いの隣人だ」



「ドゼ、お前、何を言ってるんだ? サンブル=エ=ムーズ軍は、友軍だぞ。オッシュ将軍は、ジュールダンに代わって、立て直しに来たんじゃないか。ヴァンデから、7万も兵を連れて」


 盟友、サン=シルの声に、ドゼは、はっとしたような顔になった。


「俺が言いたいのは、敵が襲ってくるポイントに向かって、全ての力を団結させるべきだ、ということだ」

 夢から覚めたかのように、論理を展開し始める。

「哨兵線を使って、だらだらと防衛するのは、無価値だ。兵力を集約せねばならない。監視なら、遠目で見ているだけで充分だ」



 どよどよと、諸将はどよめいた。

 哨兵線にも、それなりの利点はある。師団を分散して配置すれば、敵の襲来に対して、迅速に対応できるからだ。


 ただ、哨兵線にライン軍の全兵士を配置し、さらにそれをオッシュが掌握するとなると……。



「ドゼ将軍に賛成です」

俺は立ち上がった。

「そもそもフランスは、軍を分けすぎる。一昨年、サンブル=エ=ムーズ軍とライン・モーゼル軍が同時にマインツを攻撃していたなら、早々にマインツを奪還できた。従って、マンハイム陥落はなかったはず」


 アンベールが頷く。あの苦しい籠城を、俺は決して忘れない。


「昨年のドイツ遠征でも、挟み撃ちは失敗しました。軍を分けるということは、即ち、通信の遮断の危険を犯すということです。まして細かく分散配置なんてされたら、見るも無残な結果にしかならない」



「うむ」

サン=シルが頷いた。

「カール大公がイタリアへ転出し、ライン河畔に残るオーストリア軍の数は目減りしている。俺も、ライン全線を見張る必要はないと考えるな」



 諸将は頷いた。哨兵線の設置には反対の旨を、サンブル=エ=ムーズ軍のオッシュ将軍に対して申し伝えることになった。



サン=シル将軍が鼻を鳴らした。

「軍全体にそこまで目配りができるのに、ドゼ。お前、未だに中央軍の司令官を拒否してるんだってな。この俺でさえ、左翼司令官を拝命したと言うのに」


 次の戦闘で、ライン・モーゼル軍は、3つに分かれて進軍することが決まっていた。デュフォール将軍の右翼は南のユナングから、ドゼ将軍のいる中央軍はここストラスブールから、そしてサン=シル将軍麾下の左翼はライン河を離れ、北東の国境付近に駐屯していた。


「確かに、政府のライン軍司令官への扱いは過酷だったが……もうそこまで酷い目に遭わされることはないんじゃないか?」


 テルミドールのクーデターで、ロベスピエールがギロチンにかけられてから、1年半が経った。恐怖政治への反動から、さすがに、言いがかりのような理由で、将校達が処刑されることはなくなった。


「いや、でも、サンブル=エ=ムーズ軍のジュールダン将軍は、我々を置き去りにした責任を取って、辞任したぞ(*1)」

レイニエ将軍が口を出した。レイニエは、モローの参謀だ。

「バセットだって」


 バセットはマンハイムが包囲された時の、暫定指揮官だ。本人は、頑として認めようとしなかったけど。(*2)

 俺と一緒にオーストリアの捕虜となったが、去年の春、捕虜交換でフランスへ帰ってきたはずだ。


「バセットね。やつも気の毒に。マンハイムを降伏させたことで、誹謗中傷を受けてな。全く、パリの奴ら、現場を何だと思っていやがるんだ。腹が立ったから、俺は、彼の弁護をしてやった」(*3)

 憤懣やる方ない、といったふうに、サン=シルは吐き捨てた。


「サン=シル。姿を見ないと思ったら、君、そんなことをしてたのか」

呆れたようにドゼ将軍がつぶやいた。


「そんなこととは何だ、そんなこととは! 俺は、正義が切り捨てられるのが、何より嫌いなんだ!」

むきになって、サン=シルがわめきたてた。サン=シル将軍を見出し、取り立てたキュスティーヌ将軍も、敗戦の責任を負わされ、ギロチンの犠牲になっているのだ。(*4)


ドゼ将軍は、全く動じない。

「正義の弁護は重要なことだ。俺が言いたいのは、無口で人見知りな君が、よく法廷で弁論を繰り広げる気になったな、ということだ」

「見損なってくれちゃ困る。これでも俺は、役者志望だったんだ」

「人というのは、意外性の塊だな」

「お前にだけは言われたくないね」


サン=シルは肩を竦めた。


「話が逸れた。本題に戻る。俺の左翼だが、マンハイムとマインツにも、兵士を送り込んだ。彼らがこの2都市の監視を肩代わりする。だからあの辺りに駐屯している軍は、今年度の戦いでは、オーストリアとの戦闘に専念できるだろう」


 包囲こそ解いたものの、マインツもマンハイムも、渡河の重要地点であることにかわりはない。おまけに付近の要塞には、武器弾薬その他、物資が貯めこまれている。常に監視下に置いておく必要があった。


「だが、そうすると、君の左翼が人員不足になるのではないか?」

気づかわし気に、ドゼ将軍が尋ねた。大きく、サン=シルは頷いた。

「中央軍から人員を分けてくれ。俺は今、ツヴァイブリュッケンにいる。あのあたりに詳しい将校が欲しい」

その目はじっと、俺の上官アンベールを見つめていた。モーゼル軍にいたアンベールは、ルクセンブルクの国境付近に、地の利がある。


アンベールはためらわなかった。

「私がお供します。あの辺りは、知らないと危険な箇所がたくさんありますから」

名将ケレルマン(*5)でさえ、この辺りの道なき道を恐れ、攻撃を控えたといわれるくらいだ。


「いいか? ドゼ」

サン=シルが戦友に許可を求める。

ドゼ将軍は頷いた。

「承知した。ただし、ダヴーは残してほしい」


……!

俺の鼓動が止まった。

いや、止まったわけじゃないけど、一瞬、打つのをやめた気がした。


「次回の戦闘は、中央軍俺の師団に一番負荷がかかる。いわば前衛突撃部隊だ。ダヴーを持っていかれたら困る」


「よかろう」

サン=シルは頷いた。

「下手を打つなよ」

「わかってる」


ドゼ将軍は、アンベール将軍に向き直った。

「というわけだ。いいか、アンベール」

「必ず返して下さいよ」

アンベールの声は未練がましかった。

「ダヴーは私の、大切な部下ですから」


「返せる状態ならな」

あっさりとドゼ将軍が言ってのけた。


「いいか、無理をするなよ、ダヴー。必ず無事に、この戦闘を生き延びるんだ」

諸将の前で頭頂を晒し、まるで母親のように、アンベールは俺を抱きしめた。







 作戦会議は短時間で終了し、将校達は、部屋から出ていった。

 ドゼ将軍は最後まで残っていた。俯き、何か考え込んでいる彼に近づき、俺は声を掛けた。どうしても一言、彼の気持ちにコメントしたかったのだ。

「ドゼ将軍。俺、頑張ります」

考えた末、口から滑り出た言葉はそれだけだった。ドゼ将軍には、俺の愛と献身が真っ直ぐに伝わったようだ。


「君に期待している、ダヴー。だが、アンベールの言った通りだ。無理はするな」

「無理じゃありませんから!」

殺戮は俺の趣味だ。


「君は、国の為に死ねるか?」

改まってドゼ将軍が問う。今更な質問だと思った。

「もちろんです」

「馬鹿が。命を無駄にするな」

低い声だった。彼の本音を見た気がした。これは、ここだけの話だ。

「安心してください。俺は戦場では死なない。絶対」

ドゼ将軍が眉を上げた。

「なぜ、そう言い切れる?」

「必ず勝利するからです。俺はそう、決めている」

ふわりとドゼ将軍が笑った。彼の心の重荷が少しでも取れたのならいい、と俺は思った。勝ち負けに関係なく、戦争が起これば、必ず人が死ぬ。敵だけではない。指揮官を信じて戦ってきた市民兵達もだ。彼らはドゼ将軍が立てた戦略に従って死んでいく。


「それより俺の方こそ、君に礼をいわねばならない」

「何です? 改まって」

こんな素直なドゼ将軍は初めてだった。いっそ、気味が悪い。


「オッシュの件だ」

「ああ」


ようやく俺は、彼の言いたいことを察した。会議で、オッシュの命令ではなく、ドゼ将軍を支持した件だ。

「自分の意見を述べたまでです。ライン軍の兵士は、癖がある。慣れないオッシュ将軍の下で、実力が発揮できるとは思えないですし」

 ドゼ将軍は、ため息を吐いた。

「公平を帰そう。過去にオッシュは、ライン、モーゼル両軍の指揮を執ったことがある」

「ごく、短期間でした」



 オッシュが指揮を執ったのは、1793年の年末、冬季休戦に近い時期だ。モーゼル軍は1ヶ月余り、ライン軍に至っては、1週間ほどの期間に過ぎない。


 それまで地味な戦争を戦いながら、ライン軍は、時に敗北しながらも、小さな勝利を営々と積み重ねてきた。地味であっても、小さくても、勝利は勝利だ。ましてや、命をかけての戦いだ。勝ち取る困難さに変わりはない。

 それなのに、この年の勝利の功績は、全て、オッシュのものとされた。


 温厚なサン=シル将軍は何とも思っていないようだけど、俺には、ドゼ将軍の気持ちがよくわかった。



「手柄の横取りは卑怯だ。俺だったら、オッシュに、脅迫状を送ったでしょうね。なんなら、暗殺しに行ったかもしれない」


「ダヴー、お前……」

上から下まで、ドゼ将軍は、俺を見回した。


 「良い将軍」と地元の人々に讃えられるドゼ将軍だが、彼と俺は、よく似ている。どうやら彼も、それを悟ったらしい。

 ここが、押し時。彼も俺を認めてくれているようだし。


「副官にしてくれますか?」



「だめだ」

にべもなく、突き放された。







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*1 ジュールダンの辞任

責任を取ったのは、前年(96年)のドイツ戦。18話「誇り高き撤退」、参照


*2 バセット将軍

1章「マンハイム籠城」参照


*3 バセットの裁判

この年(97年10月)、無罪確定


*4 キュスティーヌ

ヴォージュ軍、かつてのライン軍総司令官。詳しく↓

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-149.html


*5 ケレルマン

1792年、ヴァルミーの戦いにおいて、フランス革命戦争で初めて勝利を齎した

詳しく↓

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-148.html







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