第21話 ケール防衛



 戦いは、それからも続いた。


 戦いのない日は、オーストリアの攻撃で壊された砦や塀、逆茂木の修繕に当たる。


 何しろ敵さんは、朝は飯盒で飯を煮て食ってから、夜は決まった時間に戦闘を切り上げる、という、古式ゆかしい戦場の決まりに則って戦っている。その間隙を衝き、深夜早朝雨の日に、俺らは、突貫で工事を続けた。


 誰も、文句を言う奴なんかいなかった。みんな、祖国への愛に燃えていた。それに、尻に青あざを作った師団長ドゼ将軍自らが、泥だらけになって、川に浸かっているのだ。どうして不平なんて言う気になろう。





 雨の中、大柄な兵士が、丸太を抱えている。農夫か鉱山夫だった頃の馬鹿力を発揮し、太い丸太を、1人でここまで運んできたのだ。

 だが、泥で滑ったのか、泥の上に、落としてしまった。


 無言で俺は近づき、片方の端を持ち上げた。

 反対側を持てと、手まねで促す。2人で運んだ方が、効率的だからだ。


 石組みの向こうで、ドゼ将軍が、ちらりとこちらを見た。温かいまなざしだった。見守られている、と、感じた。だが、俺に勘づかれたことを察すると、彼は、ふい、と横を向いてしまった。何気なさげに、傍らの軍曹に話しかけている。



 「おう、気が利くね、あんちゃん」

丸太を落とした兵士は、何も気づいていなかった。顔を上げ、彼は、俺の顔を見た。

「やっ、あんた、若ハゲじゃねえか!」


 今、絶対に聞き捨てにしてはならない言葉を吐かれた気がしたが……。


「生きてたのか!」

 やつは俺に飛びついた。

 ばんばんばんばん、と、肩から腰にかけて、体の両側から両手で叩き始める。

「あったけえ! 生きとる! 幽霊じゃねえ!」

 なぜか、歓喜して喜んでいる。俺が生きていたことの、どこが嬉しいのだろう。俺は、そこまで、兵士どもに好かれる筋合いは……、


 泥だらけのその顔を透かし見た。

「あっ、お前! 『アデュー』だな!」



 ……アデュー、アデュー、永遠に、愛するあなた~

 マンハイムで、俺の下にいた兵士だ。ドゼ将軍の悪口を言った俺を諫め、おかしな節回しで歌い出したやつだ。

 こいつ、ストラスブールに来ていたのか。


「アデュー、お前もドイツ遠征に行ったのか!?」

「行ったともさ。レンチェンも、エトリンゲンも、戦ってやったぜ! ドゼ師団の歩兵としてな!」


アデューのやつは、得意げにまくしたてた。ガチョウのように、があがあと大声で。

「ガイゼンフェルトでの、ドゼ将軍の、見事な作戦を見せてやりたかったべ! あれにゃ、敵のカール大公でさえ、舌を巻いたって話だぁ」


「うらやましい!」

心の底から、俺は叫んだ。

「俺も、ドゼ将軍と共に、戦いたかった!」

「いままでどこにいただ、ダヴー准将」

「捕虜になってた」


 簡単に、事実だけを伝える。

 アデューは頷いた。


「オーストリア軍に連れてかれたっから、そうだと思った。てっきりなぶり殺しにされたと思ったべ。なんせあんた、捕虜向きじゃねえからな! 敵に食って掛かって、最初に処刑されるタイプだぜよ」

「人を、簡単に殺すな」

俺は笑った。


 こいつの言っていることは、とんでもなく非礼なことだ。だが、爽快な気分だった。

 すっかり息が合った俺達は、2人がかりで丸太を運んだ。


「慣れないことはすんめえよ。明日、体中、痛いべよ」

「何を言うか。俺はまだ若い」


 二本、三本と運び、積み上げ、セメントで固めた。撤収の号令がかかるまで。

 工事の健闘を讃えあい、手を振って別れた。



 ……ん?

 俺は足を止めた。

 ……あいつ、最初に俺のことを、若ハゲと言わなかったか?


 通常なら、上官侮辱罪で、その場で射殺だ。

 だが、銃を抜こうとは思わなかった。

 だって、アデューは、俺の仲間だ。

 あんなに楽しく、一緒になって、砦造りをしたのだから。







 3ヶ月間、ドゼ師団は、ケールを守り抜いた。







 長引く戦闘に、作戦会議が開かれた。


「中央から通知が来た。勇敢な諸君が望んでいた冬の宿舎を与えることができない、だとよ」

 サン=シル将軍が吐き捨てた。


 ここ2年ほど、ライン軍兵士は、野営での越冬が続いていた。今年こそ、雨露を凌げる宿舎を、と、総裁政府に、要望を出していたのだ。

「またこの冬も、川べりで野宿だぜ」



「兵士たちの給料も、滞っている」

アンベールが愚痴をこぼした。

「中央政府はそこまで金欠なのか? 俺達に、いったいどうしろと!」


 滞っているのは、兵士たちの給料だけではなかった。

 我々将校の給料も、もう何ヶ月も支払われていない。当然、軍への補給もない。



「そんな政府の為に、これ以上、戦う義理はありませんね」

 俺が言うと、みんな、ぎょっとしたような顔をして、こちらを向いた。

「あ。俺、なんか、まずいこと言っちゃいました?」



「いや、ダヴーは正しい」

上官だけあってアンベールが庇ってくれた。



 ドゼ将軍がぼやく。

「オーストリアの爆撃は、引きも切らない。やつら、よく金があるな。あれだけの爆撃は、わがライン軍には不可能だ。火薬も砲弾も、全く足りていない」

ため息を吐く。

「壊された砦や遮蔽物を造り直そうとしても、材料が尽きた。地元から買おうにも、金がない」


 どんよりとした雰囲気が垂れこめる。思いついたように、サン=シルが、戦友ドゼに向き直った。


「あ、そうだ。中央政府が、ドゼ、お前を、ケールここの指揮官に任命するってよ」


「断る!」

即座にドゼ将軍が切って捨てた。

「サン=シル。君の方が年上だ。君がやれ」


「やだよ」


「じゃ、共同でやろう。この負け戦の責任は、2人で取るんだ」

「やだ」


 深いため息を、ドゼ将軍が吐いた。

 訳知り顔で、サン=シルが頷く。

「俺は、お前ほど、ドイツ語が流暢に話せない。またお前が行くしかないな、ドゼ」







 1797年1月9日。冬季休戦の時期を控え、一艘の船が、ラインの河面に滑り出た。

 船の上には、フランス・ライン軍のドゼ師団長と、オーストリアのラトゥール元帥が乗っていた。


 河の真ん中で、ケール砦をオーストリアに渡す書類に、ドゼはサインした。

 書類には、この夜一晩で持ち出せるものに限り、取得できるという権利が、フランス軍に認められていた。

 もちろん、ドゼの申し入れだった。勝者ラトゥールは、寛大にこれを赦した。





 その晩、俺達は、徹夜で作業した。皆、無口で、黙々と働いた。地獄の囚人もかくやという作業量だったが、文句を言うやつなんか、一人もいなかった。

 死に物狂いで、働いた。

 師団長の為に。ただ、ドゼ将軍の為に。



 俺は、しゃがんで礎石を掘り起こしていた。その脇から、小さな手が差し出された。

 薄汚れた子どもだった。泥まみれの手に握った木切れで、懸命に土を掻き分けている。

 気がつくと、俺は、小さなガキどもに囲まれていた。


「うおっ!」

 思わず声を上げてしまった。隣のガキが、きつい目で睨みつける。


 そうだった。

 騒いではダメだ。

 黙々と、俺達は、土を掘り続けた。



 すぐ脇を、ガキどもの母親達と思しき女性の一群が、通り過ぎていく。大きな釜や鍋いっぱいに詰め込んだ、食糧を抱えている。

 向こうでは、腰の曲がった老人が、慎重に、砲身を運んでいた。


 ケール周辺の住民たちだった。「良い将軍ボン・ジェネラル」、そして、自分たちを略奪から守ってくれる軍の為に、深夜も厭わず、集まってきたのだ。


 口も利かずに、人々は、働いた。

 軍と住民が、同じ目的の為に、力を合わせる。

 それは、その場の誰にとっても、稀有な体験だった。

 徹夜で、俺達は、作業を続けた。





 翌10日。

 ケールに乗り込んできたオーストリア軍は、さぞや驚いたことだろう。

 ケール要塞は空っぽだった。

 武器食糧はおろか、木っ端一つ、石ころひとつ、残ってはいなかったのだから。







 2月5日。

 ユナングの橋頭保を守っていたフランス軍が、降伏した。

 これを機に、オーストリアのカール大公が、配下の軍を連れ、イタリアへ転出した。

 イタリア戦線では、フランスのボナパルト将軍が、戦いを有利に進めているという。

 カール大公を見送り、ライン沿岸には、ラトゥール軍が、残留した。








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