第15話 マルソーの恋2
そのマルソーが、マインツの包囲陣の中にいた。去年(1795年)、マンハイムへ向かう途中で、アンベール師団は、マインツ付近で、暫く待機した。旧交を温める必要を感じ、俺は、マルソーに手紙を書いた。
「随分続いているんだな、マインツの包囲は」
陣営を訪れ、俺は、マルソーに言った。手紙のお陰で、再び、交流が復活したのだ。
マルソーは眉を顰めた。
「ああ。悲惨な冬だったよ」
「ルクセンブルクも悲惨だった。今年の冬は、とりわけ寒かったと違うか? 来年もこの寒さが続くとしたら、辛いな」
俺は、この後に控えるライン河畔での軍務が、憂鬱だった。ルクセンブルクでは、モロ将軍が熱病で死んだ。あの寒さでは、治る病気も治らない。
もし次の戦闘もまた、冬まで決着がつかなかったら? あんな辛い冬は、もう、懲り懲りだった。
「けれど、酷寒の冬だったからこそ、北軍は勝利したんだろう? 騎兵が、戦艦を拿捕したんだよ。オランダの! 前代未聞のことだと思わないかい? それもこれも、寒さのお陰だ。北海が凍ったからだよ」
「そうだな」
素直なマルソーと話しているうちに、ルクセンブルクで凍てついてしまった俺の心も、次第に溶け始めていった。
話は、お互いの近況へと移っていった。
「俺の結婚については、聞かないでくれ」
最初にびしりと、言い置いた。俺を裏切りやがった妻の名は、口にすることさえ、いやだった。
即座にマルソーは、俺の不幸を察したようだった。やつには、そういう繊細さがある。彼は、自分のことに話を移した。
「僕のことをかわいがってくれている
深いため息を吐いた。
マルソーの父は、再婚だった。最初の結婚で6人の子どもが生まれ、その妻の死後、マルソーの母と結婚した。
この結婚では7人が生まれ、マルソーは、その最初の子だった。
マルソーの父は、それでも、自分の名をマルソーに与えた。しかし、母親の方は、全く、彼に無関心だった。
なぜかはわからない。マルソーの赤毛を嫌ったとも言われている。
両親の愛に拒まれた彼を親身になって思いやり、大人になってからも何くれとなく世話をしてくれているのが、異母姉のカミラだった。
「
「貴族にだって、共和派はいるだろう?」
現にこの俺がそうだ。もっとも、俺は、貴族臭い名を捨てたが。そしてうちは、貴族というのも憚られるほど、貧乏だが。
「とにかく、その印刷屋が、いやがるんだ。シャトーギロン家の娘はダメだって」
俺は、マルソーが大好きだ。お世辞だと思うが、俺のことを親友とまで言ってくれた。こんな豪儀なやつは、この先、二度と再び、現れないかもしれない。
あれから、俺は、じっくり考えた。
マルソーは、俺を友と認めてくれた。しかしそれは、一時の気の迷いで、そのうち、俺から離れて行ってしまうかもしれない。今までの経験から、その可能性は、大いにある。というか、離れていくとしか思えない。
でも、俺は、マルソーを気に入っている。友人、と言ったら彼に嫌がられるだろうが、できたら、一生、付き合っていきたい。
どうしたらいいか。
考え続けた。そして、天啓のように、その考えが降ってきた。
親族にすればいいのだ!
親戚というのは、やっかいだ。母さんだって、再婚に反対したやつらと、縁を切ろうとしたが、どうしても切れなかった。今に至るまで、お互い悪口を言いながら、つきあっている。
親族との付き合いは、だらだらと際限もなく続く。
そうだ。マルソーが俺の親族になればいいんだ。そしたら俺は、彼と、一生、付き合っていける。
「なあ、マルソー。まだその娘とは、ヤってないんだろ?」
そろり。俺は問うた。果たしてマルソーは、真っ赤になって頷いた。
「お前とヤりたいって思わなんて、その娘、ヘンなのと違うか? それともケチなのか。だってお前は、こんないい男なのに」
「……アガサの悪口は言わないでもらいたい」
小さな声でマルソーは抗議した。
俺は、肩を竦めた。
「なあ。この際だから、他の娘に目を向ける、ってのはどうだ? 結婚というのは、
大切な異母姉を引き合いに出され、マルソーは、しぶしぶ頷いた。しめしめ。俺は最後の一押しに出た。
「たとえば、俺の妹なんかどうだ? 俺に似て、大層愛らしく、可憐だぞ」
マルソーは、まじまじと俺の顔を見つめた。
「年齢だって、俺より1つ下だから、君より2つも下だ。年下はいいぞ。経験値が低いから、素直に言うことを聞く」
俺の結婚の失敗は、アデレイドが年上だったせいではないか。というのが、母の持論だった。
さすが、母さん。俺のせいではないと、ちゃんとわかってる。
つまりこれは、母の意見だ。この際だから、借用させてもらった。
「なあ、マルソー。今度、俺と同じ時期に、休暇を取ろうぜ。
「ええと……」
なぜか、うすら寒そうな顔をしている。
「俺は本気だぜ。マルソー、君は俺の、義弟になるんだ」
年上だけど。
「……」
「なっ!」
「考えておくよ……」
とうとう、マルソーは頷いた。
かわいいジュリーとの結婚に、臆しているのだな。心配することなどない。よもやいないと思うが、反対なんかするやつがいたら、拉致監禁の上、縛り上げて、2人の結婚を祝福するまで拷問してやる。
「母にも紹介するよ。きっと、君のことを、気に入るに違いない」
「それは、光栄だ」
初めて彼は、破顔した。
「とりあえず、君、ジュリーに手紙を書けよ。善は急げだ。今すぐ書け。俺が添削してやるから」
「俺の文字は、句読点がなくて読みにくいんだ。添削は遠慮するよ」
内気なマルソーは、恋文を読まれたくないのだろう。彼の意を察し、俺は早々に、マインツ包囲陣を後にした。
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