第14話 マルソーの恋1




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 マルソーとは、3年前の夏、ヴァンデ地方に派遣された時に知り合った。

 マルソーは、背が高く、すらりとした体つきをしていた。大きな茶色の目、長く伸ばした髪も、茶色だった。俺よりひとつ年上だから、当時24歳だったと思うが、見かけは、はるかに若く見えた。俺は彼を、年下扱いしたものだ。彼も俺の技量を認め、それを黙認していた。



 何より俺が彼を気に入ったのは、彼が、ヴァンデにおいて、寛容だったことだ。



 既に、王党派の蜂起は鎮圧されつつあった。だが、鎮圧軍の勢いは治まらない。革命政府軍は、狂ったように虐殺を続けた。集落に火を放ち、女子供まで焼き殺す。潜んでいた王党派をあぶり出し、ギロチンにかける。

 それは、戦争の狂乱であり、常に間近にあった死への恐怖でもあったと、今では思う。自らの心に潜む弱さが、敗北しつつある敵の根絶やしを求めたのだ。



 そうした中、マルソーは、徹底して、虐殺に反対した。クレベールもそうだったと聞くが、俺は、クレベールはどうも、虫が好かない。つい最近も、やつはマインツ包囲に肩入れし、サンブル=エ=ムーズ軍を敗北においやっているし。しかも、あっさり、ラトゥール軍に負けやがったし。






「アガサは素晴らしい。まるで、野に咲く可憐な薔薇のようだ」


 ある日、俺の顔を見るなり、マルソーが話し掛けて来た。数日間戦闘がなく、俺は暇だった。彼の話に乗ってやることにした。


「どのアガサだ? つい最近、デュマ将軍から、君と、王党派の娘との恋愛譚コイバナを聞かされたばかりだが?」


「王党派の娘? ああ、確かに、ギロチン台から女の子を、救おうとしたが……その話はもう、おしまいにしてくれ、ダヴー」


 マルソーは、苦し気な顔になっていた。失敗したのだと、俺は悟った。マルソーが救おうとしたその女の子は、処刑されたのだ。


「むごいことだ」

俺はつぶやいた。

「それで、アガサとは誰だ?」


 マルソーは、ごそごそと胸の辺りを探った。紐で吊るした小さな細密画を取り出し、大切そうに掌に載せたまま、差し出した。


「アガサだ」

「ふむ、きれいな娘だな。だが、アデレイドの方が、もっと美人だ」


 当時、俺はまだ、妻の浮気を知らなかった。自分が世界一、幸福な夫だと信じていた。歯噛みするほど、おめでたい。


「アデレイド?」

「俺の妻」

「へえ! ダヴー、君、結婚してたのか!」


 ふん、と俺は鼻を鳴らした。得意だったのだ。ああ、あの頃の自分を、殴り倒してやりたい。


「結婚してたとは……君がうらやましいよ、ダヴー」

心底、マルソーは俺をうらやんでいた。そこで、俺は問うた。

「どこまでヤった?」

「へ?」

「だから、君のアガサとは、どこまでいったんだ?」


「何もしてないよ!」

真っ赤になって、マルソーは叫んだ。まるで少年のようだ。

「僕たちは、……まだその、2人とも若くて未熟で……だから……」


「いいか、マルソー」

経験者として、俺は教えてやった。なにせ俺は、ひと夏の恋を実らせた勝者だった。その時は。

「結婚は、勢いだ。誰が反対しようと、文無しだろうと、とにかく、押して押して押しまくることが肝要だ。波に乗るんだな。それには、既成事実を作るのが何よりだ」


「だって、僕は、アガサが大事だし?」

「俺だって、アデレイドを愛している」

 ううう、俺のバカ。


「愛している!」

マルソーは目を丸くした。

「そう言える君は、凄い」


「まさか君、彼女に告白もしてないとか?」

「好きだ、って言ったよ」

「愛してる、お前とシたい、ってのは?」

「言えるわけないよ!」

マルソーは真っ赤になっている。


「お前なあ」

俺は呆れた。

「いいか。君と彼女は他人だ。黙っていたら、気持ちなんて、通じっこない。ちゃんと言葉で伝えなければ。ただ、思っているだけでは、相手を不安にさせるだけだ」


「不安……」

マルソーの、大きな茶色の瞳が揺らいだ。

「アガサは不安に思っているだろうか……」


「思ってるね」

きっぱりと俺は断言した。経験者の強みだ。


「わわ、わかった。言う。愛してる、って言う!」

素直なマルソーは、わなわな震えていた。そのあまりの大仰さに、俺は呆れた。

「馬鹿だな。お前は有能な将校だ。たかだか愛を告白するのに、何をそんなに怯えてるんだ?」


 そう。

 彼の態度は、怖がっているとしかいいようがなかった。茶色の目を潤ませ、決死の覚悟をしたかのように、身を震わせている。


「だって、嫌われたら怖いから」

「嫌われる!? だって! お前を? ヴァンデの制圧者、マルソーを!?」

「僕の月桂樹ローリエは、血塗られている。僕はそのことを、忘れたことはない」

「それでも、君は、英雄だ。君のお陰で、祖国は守られていることを忘れるな!」


 俺がいつも、自分に言い聞かせている、いわばお守りのような言葉だ。もはや自分への確信となってしまっている。だが、マルソーには、あまり効き目がなかったようだ。ぶるりと、彼は身を震わせた。


「僕は、アガサが大好きなんだ。大好きな人に、嫌われるなんて、それはどんなに恐ろしいことか……」

「そんなこと、あるわけないだろ」


 マルソーのような男がフられるなんて。



「拒絶されることが怖いんだよ」

 小さな消え入りそうな声で、彼はつぶやいた。

「恋愛に限らない。人から嫌われることが、僕は、怖くてたまらない。遠くで交わされるひそひそ話とか、合わせた視線をすっと躱された時とか。自分が嫌われたんじゃないかと、震えが走るほど恐ろしい」


「普通だ」

「え?」

「むしろ、人から嫌われてからが、勝負だ」



 それが、俺のやり方だった。大概の人は、初見で俺を嫌いになるから。なぜかはわからない。そういう星の元に生まれたのだろう。

 金さえあれば、それで結構。引き籠って暮らしていればいい。だがうちは、貧乏な没落貴族だ。人と関わらなければ、生きていけない。

 嫌われても追い払われても、自分の「領土」は、守らねばならない。俺も生きさせろ! そう叫んで、この世の中を、しぶとく渡っていかねばならない。



「君は強いな、ダヴー。だが僕は、人から嫌われるのが、凄く怖い」

「君を嫌いになるやつなんかいないよ、マルソー」

 こんなに優しく、繊細な男を。


「いる!」

「いるわけがない」

「いる!」

むきになっている。


「誰だ、その、わからんちんは」

俺が成敗してくれよう。

「僕の、父さんと母さん」

「はあ?」


 思わず間の抜けた声が出てしまった。両親に嫌われている? 目の前のこの、柔らかい色合いの、姿のいい男が?



 マルソーは項垂れた。

「僕は、生れてすぐ、ワイン農家に預けられた。赤の他人に育てられ、家族は殆ど、会いに来なかった。8歳の時、寄宿学校に入れられた。そこの教育は安価で、僕は、殴られることで世の摂理を学んだ」


 ひどい話だ。マルソーの何を、両親は気に入らなかったのだろう。百歩譲って、何かが嫌だったとしても、生れたばかりの赤ん坊ではないか。赤ん坊なんて、どれも似たようなものだと思う。


「人生の最初に、実の両親からさえ疎まれた僕を、心から愛してくれるような人がいるだろうか。今、こうして息をしていても、僕は、不安で仕方がない」


「俺」

「は?」

「俺がいるじゃないか」


 マルソーには、迷惑だろうが。君には俺がいる、と言われても。

 俺は今まで、友達というものができたためしがない。なにせ、一目見て、相手から恐れられてしまうのだから、仕方がない。そのくらいの自覚は、俺にだってある。



 「……」

マルソーは、黙りこんでしまった。これは、よっぽど不快だったんだろうと、俺は反省した。仕方がないから、石のように固まった彼を置き去りにして、立ち去ろうとした。



 「ダヴー」

マルソーが呼び止めた。

「君は僕の、親友だ」


 何かの冗談だと思った。親友? 俺には、今までの生涯、打算抜きで付き合ってくれた友人がいたためしがない。

 これはどんな、質の悪い冗談なのだろうか。


「親友になってくれるか?」

 マルソーが畳みかける。


 静かに、雨が降り始めていた。細かな雫に濡れ、哀れな、捨てられた仔犬のように、彼は、俺を見ていた。


「後悔するぞ」

 俺は警告を与えた。後から苦情を言われても困るからな。

「上等だ」

 茶色の前髪から雫を滴らせ、マルソーが笑った。














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