第12話 名誉をかけた約束



 「*****」

歩いていた俺は、見張りの兵士に、首根っこを掴まれた。

「*****」

真っ赤になって何かまくしたてているのだが、俺にドイツ語は通じない。

 わけのわからない言葉を喚きつつ、この俺に手を掛けるとは!

 立腹し、首筋から俺は兵士の手を引きはがした。


 俺の握力に、兵士は、悲鳴を上げた。


「捕虜には、運動が許されているんだろ?」

フランス語で言ってやった。



「……」

「……」



 しばらく、俺達は、無言でにらみ合った。

 再び、俺は歩き始めた。


 「そっちは駄目だ! 川だ!」

 感心なことに、見張りの兵士は、フランス語に切り替えた。

 フランス語ができるのなら、最初から、フランス語で話しかければいいのに。


「お前、ドイツ人じゃないな」

俺は言ってやった。すると、兵士は驚いた顔になった。


「俺は、イタリア人だ。お前、イタリア語もわからないくせに、なぜわかった?」

 イタリア語だったのか。てっきりドイツ語だと思った。


「陸での運動は良くても、水泳はダメ。だが、ドイツ人なら、二面性はない。やつら、石頭だからな。ひとつのモノサシしか、持っていないんだ。ドイツ人なら、どっちも許可か、どっちも禁止だ」


 素晴らしい推理を披露してやると、兵士は、鼻白んだ顔をした。

「水泳って、まさかお前、川で泳ぐつもりか?」


 そこ!

 もっと俺の推理を褒めんか。


「その通りだ」

「馬鹿か。もう、12月だぞ」

「馬鹿とはなんだ、馬鹿とは!」


 俺の剣幕に、兵士はうろたえ、あとじさった。

 その隙に、俺は、さっさと進んでいく。

 ドゼ将軍が、水泳を習えと言ったのだ。次に彼に会う時までに、泳ぎをマスターしなければならない。

 副官への第一歩である。


 「おい、待てよ!」

しつこくイタリア兵が追いかけてくる。

「捕虜に死なれたら、困るんだよ」


 嘘だ。

 収容施設のあまりの劣悪な環境に、捕虜たちは、ばたばたと死んでいる。

 食事は貧しく、マンハイムで籠城してた頃の、カビの生えたビスケットが懐かしいくらいだ。

 さすがに冬なので、ノミはいなかったが、不潔で、換気の悪い場所に、ぎっしりと人間が詰め込まれている。冷たい川に浸かっていた方が、まだ、長生きできるというものだ。


 オーストリア軍の欺瞞に、俺は心底、怒りを覚えた。


 「お前、誇りを持て!」

振り返り、兵士を叱りつけた。

「お前の祖国はどこだ? イタリアだろう? 祖国の為に戦うのなら、話はわかる。それがなぜ、オーストリアの為に働いているんだ? オーストリアは、イタリアを虐げているんだぞ?」


「何言ってんだ、お前」

イタリア兵は、きょとんとしている。



 自分の権利を理解しない彼を、俺はつくづく、哀れだと思った。

 よし。

 俺が、教え導いてやる。

 それが、フランス人の聖なる務めというものだ。なにせその為に、俺らは命を賭して、戦争をしているのだから。

 自由と平等を教えてやるのだ。未だ諸侯に虐げられているかわいそうなヨーロッパの庶民どもに!



「いいか。よく聞け。全ての人間は、自由で平等なのだ。それなのにイタリアは、オーストリアに、たくさんの税を取られている」

「……」


 これは、心当たりがあるようだ。


「おまけに、お前たちイタリア兵は、オーストリアの為に戦い、血を流し、中には死んでいくやつもいる」

「うむ」

「つまりそれを、搾取……、」


「そこまでだ」


 冷たい声が制した。

 白い軍服に赤いズボンの将校が立っていた。厳しい目でこちらを睨んでいる。

 ブーツの踵を鳴らし、イタリア兵が、敬礼した。

 急にしゃちほこばった彼に見向きもせず、オーストリア将校は俺に向き直った。


「ルイ=ニコラ・ダヴー准将。ヴルムザー元帥がお呼びだ。至急、出頭せよ」







 机に向かっていた敵国の司令官、ヴルムザーは、俺が入室すると、ゆっくりと振り返った。

「君が、ジャックの甥か。ジャック=エドム・ダヴー少佐の」

「伯父をご存じなんですか?」

俺は驚いた。



 まさか、こんなところで、伯父の知己に会うなんて。捕虜になった敵陣営のど真ん中で。(伯父の姓は、未だにd’Avoutのままだ。伯父は貴族であることを誇りに思っていやがるから)(*1)

 貧乏貴族の退役軍人と、神聖ローマ帝国陸軍元帥、胸にいくつも勲章をぶら下げたヴルムザーの、いったいどこに、接点があるというんだ?



 答えは、ヴルムザーがくれた。

「君の伯父上とは、7年戦争で一緒だった。ストラスブール生まれの儂は、最初、フランス軍に入隊した」



 そういえば、マンハイム前のキャンプ地で、ドゼ将軍が、そんなようなことを言っていたと、思い出した。ヴルムザー元帥は、フランス王の部隊で軍歴を開始し、7年戦争は、フランス軍として戦った、と。


 あの時は、ふふん、そんなもんかと思っただけだった。まさか自分に関係してくるとは思ってもいなかった。



「ジャックと儂は、ルイ15世の騎馬隊にいた。お互い切磋琢磨しあって、戦ったものだ」



 確かに、王の将校であったことが、伯父の誇りだったが……。

 そこに、この爺様もいたのか。

 未来の帝国元帥が。



「ルイ=ニコラ・ダヴー。君は、ジャックと同じ連隊に入ったのではなかったか。フランス王の軍隊に」

「ええ、まあ」



 革命思想を信奉する身には、触れられたくない過去だ。俺が、伯父のいた連隊に入ったのは、革命の前の年だった。あの頃は、軍人と言ったら、王の将校だった。特に俺は、貴族だったし。

 ヴルムザーは、さらに切り込んできた。



「なぜ、今、ここにいるのだ?」

「自分は、国を裏切らなかったからだ」

ずばり、答えた。



 革命前は、貴族しか、高級将校になれなかった。しかし、彼らの多くは、王に忠誠を誓い、国を捨て、亡命した。革命戦争勃発当時は、集まってきた義勇兵の指揮を執る将校がいなくなってしまったくらいだ。



 ヴルムザーは、ため息を吐いた。

「私としても、決して、亡命貴族エミグレを推奨するものではない。列強諸国は、いつまでも彼らの援助をすることはできない。亡命してきたフランス人貴族たちは、日に日に困窮し、自暴自棄になっている」



 多くのエミグレが、ヴルムザーの下に入り、ゲリラ戦を仕掛けてきたと、ドゼ将軍は言っていた。

 ライン河上流の山岳地帯上アルザスでの、フランス人同士の戦いは、それは悲惨なものだった、とも。



 「国に残った君の判断を責めることはしない。革命政府の為に戦っていることも、処世だと判断する」

ヴルムザーは言った。

「だから、もし君が、以後戦争に参加しないと、名誉にかけて誓うのなら、君をフランスへ帰らせてあげよう」


「え?」

 耳を疑った。

 ヴルムザーは、俺を捕虜から、解放しようと言っているのだ。


「若き日の、君の伯父上との友情に鑑みて。どうだ。約束できるか?」



 戦争に参加できないなんて、考えられない。

 戦争が好きだと言ったら語弊があるが、俺は、人殺しだって、嫌いじゃない。だが、平時に人を殺したら、犯罪者だ。俺にとって戦争は、合法的に人殺しができる、大変ありがたい場なのだ。俺には、戦争が必要だ。それは、今現在、故郷で平和に暮らしている隣人たちも、同じ意見だと思う。


 いやいやいや。

 俺を冷血動物サイコパスのように見ないでほしい。戦場に出るのには、もっと大きな理由がある。

 今の俺には、ドゼ将軍の副官になるという、神聖で犯すべからざる大切な夢があるのだ。それには、是が非でも、戦場に出て、手柄を立てねばならない。



 しかし。

 俺はじっくり考えた。



 フランス軍暫定指揮官(だと思われている)バセット将軍と違い、俺の身分は、准将だ。バセットは、いずれ、捕虜交換などで、フランスへ返されるだろう。(*2)


 だが俺は、いつになったら、ここから出られるか、わかったものではない。監獄は不潔で、食事は粗末だ。解放される前に、疫病に罹って死んでしまう確率は、かなり高い。


 ヴルムザーとの約束なんて、破っちまえばいいんだ。だって、フランスに帰りさえすれば、ヴルムザーの力は及ばない。俺は戦場に戻り、再び人殺しに専念、もとい、戦うことができる。


 その場合の不利益は……伯父のメンツが潰れることくらいだ。

 かまうもんか、そんなもん。



「はい。伯父と私の名誉にかけて、これ以降、戦場には出ません」

 手を上げ、俺は誓約した。



 にっこりとヴルムザーが微笑んだ。

 鼻の下の髭を真横にピンと伸ばし、横髪をカールさせた鬘をかぶったりしているが、笑うと、普通の爺さんだった。


「良かった。これでジャックとの友情に報いることができる。……元気かね、彼は」

「カクシャクとしております」

「そうか。どうしてる? もう、引退したのだろうね」

「はい」


 少佐まで昇進した伯父は、ダヴーd’Avout家の出世頭だった


「彼には弟がいた。君のお父さんは?」

「亡くなりました。狩猟中の事故でした」


 優秀だった伯父とは違い、俺が9歳の時に亡くなった父は、中尉(lientenant)のままだった。


「そうか」

しんみりと、ヴルムザーは頷いた。

「学業を終えたばかりの君を自分の連隊に迎えるとは、伯父上は君のことを、わが子同然にかわいがっていたのだな。君を解放することができてよかったよ、ニコラ」

「……」



 かくして俺は、情に厚いヴルムザーの好意で、フランスへ帰ることができた。








───・───・───・───・───・


*1

「d'Avout」は「de Avout」、「de」は、「〜の」の意味で、名前に用いられる場合は、「〜」の部分に領地名などがくることが多い。つまり、貴族であることの証。ダグーはこれをいやがり、革命が始まってすぐ、自分の名を、「Davout」に変えた。但し、両者とも発音は同じ(1話参照)


*ダグーと共に捕虜になったバセットは、翌96年4月、捕虜交換で帰国した








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