第11話 マンハイム陥落とドゼ師団の抵抗




 しかし、それからすぐ、ピシュグリュ軍の、完全撤退が伝えられてきた。

 最後の要衝、フランケンタールを捨て、クエシュ川まで退却したという。緯度では、ここマンハイムよりさらに南、もうすぐ、フランスとの国境の辺りだ。



 一方で、散開している各師団は、未だに、抵抗を続けていた。

 さらに、サンブル=エ=ムーズ軍のベルナドット師団が、マインツを包囲中のマルソー師団に接触しようと西へ向かったという。総司令官のジュールダン自らの前進も伝えられた。



 「撤退してるのは、ピシュグリュ軍だけだな」

 力の抜けた声を、アンベールが出した。

「ライン=モーゼル軍の、総司令官の部隊だけだ」


「ドゼ師団はじめ、麾下の諸師団は、頑張っているのに」

「サンブル=エ=ムーズの総司令官と師団もだ」

「それに引き換え……。わが軍総司令官殿のあだ名は、今日から、『撤退』だ」

「よかろう。『撤退』君だ」


 ぼそぼそと、将軍たちが憂さを晴らしている。軍の司令官がこのざまでは、ぼやきたくなるのも、無理はない。



 ……「ピシュグリュ将軍には近づくな」

 やっぱり、ドゼ将軍の言ったとおりだった。

 改めて俺は、感動した。


 しかし、彼がそこまで言うのだ。ただの「撤退」君ではなさそうだ。ピシュグリュには、まだ、何かありそうな気がする。



 無気力な雰囲気を粉砕するように、バセット将軍が立ち上がった。他に適任者がおらず、彼は、みんなのまとめ役を務めている。その反面、自分は決して……暫定的であろうがなかろうが……指揮官ではないと、主張していた。


「各自、武器の手入れをしておくように」

 諸将の目を、バセット将軍は、一人一人見つめた。

「その時が、近づいている」


 彼の言いたいことは、よくわかった。

 武器弾薬どころか、ここにはもう、食べる物さえない。医薬品も底を突き、清潔なリネンもないから、怪我をしたら、それでもう、おしまいだ。


「ライン・モーゼル軍、及び、サンブル=エ=ムーズの諸兄らの死闘に、我々も、報いなければならない」


 バセットは、指令を出すことを恐れていた。よほどの幸運がない限り、我々の敗戦は、確定だ。下手に指揮官を名乗り、後から責任を取らされるのがいやなのだ。恐怖政治は終わったという。しかし、油断はならない。敗戦は、彼の処刑を意味するかもしれない。(*1)

 現に、ドゼ将軍は、マンハイムの指揮官を断り、野戦に身を投じた。もっとも、彼には、それが、ふさわしい。


「もし万が一、力及ばぬ場合は……」

 俯き、バセットは、言葉を途切らせた。





 この頃には、マンハイムの城壁前の、ヴルムザーの塹壕が完成していた。

 オーストリア軍の爆撃が始まった。

 毎日のように、オーストリアの、激しい砲撃音が鳴り響くようになった。硝煙が広がり、太陽の顔さえ拝めない日々が続いていた。


 一際大きな爆撃音がした。

 司令部にしている建物が、グラグラ揺れた。天上から、細かな埃が落ちてくる。

 お返しをしようにも、砲弾も火薬も、すぐに尽きてしまった。

 息をひそめ、俺達は、街の頑丈な建物に立てこもるしかない。





 臨時の司令部の入り口付近で、叫び声が上がった。

 どたどたと複数の足音が、近づいてくる。


「こいつ、刃物を持って、うろついていました!」

縛り上げたひょろ長い男を、下士官が突き出した。


 まだ若い、少年だった。

 きつく縛り上げられた彼は、前髪の下から、射抜くような目を上げた。


「歩哨の隙を突き、城壁外へ出ようとしてたところを捕まえました」



 立ち上がり、バセットは、少年に近づいた。

「君は、どこへ行くつもりだったのかね?」


「父さんの所だ!」

声変わり途中の声で、少年は叫んだ。

「今日、隣のオヤジが死んだ。昨日は、子どもが3人、餓死した。もう、食べられる物は、何ひとつない。こんなところになんかいられるか!」


 俺達は顔を見合わせた。


「君のお父さんは、マンハイムの外にいるのか?」

重ねて、バセットが尋ねる。

「父さんは、オーストリアの兵隊だ! お前らなんか、やっつけてやる!」


「監獄にぶち込んどけ」

 バセットは命じた。



 住民どもの不満が、最高潮に達しているのを、その場の誰もが感じた。

 伝手さえあれば、彼らは、オーストリアと内通し、敵を城内へ導くだろう。

 その日は、そう、遠くない。





 オーストリア軍からの、激しい砲撃の中、ついに、マンハイムは力尽きた。

 1795年11月22日。

 約1ヶ月に及ぶ籠城の末、マンハイムのフランス守備隊は、降伏した。





 マンハイムの投降を知り、サンブル=エ=ムーズ軍のジュールダン司令官は、前進を諦めた。



 マンハイム陥落の5日後。

 激しい抵抗を続けていた各師団も、ライン河沿いを離れ、西側へ撤退した。



 その中で、しつこく攻撃を続けている師団があった。

 ドゼ師団だ。

 彼は、最後まで、投降しなかった。それどころか、援軍をかき集め、山岳砲兵隊を率いて、再び、フランケンタールを奪取した。完全撤退に臨んで、ピシュグリュ司令官が手放した要衝地だ。

 そのまま、彼は、占拠を続けた。オーストリアのクレルファイ元帥から、冬季休戦協定が提案されるまで。





 ドゼ将軍の快挙を、俺は、オーストリア軍の捕虜収容所で聞かされた。

 マンハイムの暫定指揮官(とみなされた)バセット将軍と共に捕らえられ、オーストリア軍の捕虜になっていたのだ。


 生涯で初めて、敵軍の捕虜になった。

 心の師と仰ぐドゼ将軍とは真逆の、なんたる屈辱。これでは、彼の副官への道は遠い。

 この先、二度と、敵の捕虜にはなるまいと、俺は固く心に誓った。(*2)



 ちなみに、総司令官ピシュグリュ将軍の名で、休戦協定に署名したのは、ドゼ将軍だという。その際、彼が話したのは、流暢なドイツ語であったそうだ。


 ううう。

 文武両道じゃねえか。


 もちろん俺も、文武両道だが、語学だけは、からきしだめだった。未だにドイツ語は(英語もそうだけど)、こんにちはもいえない。もっとも、敵に挨拶なんてする気は、毛頭ないから、これは一向、構わない。


 ドゼ将軍は、オーストリアの将校どもとドイツ語で会話し、休戦協定に署名した……素晴らしい!

 どうしてこれが、惚れずにいられよう。








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◆地図がございます。

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-147.html

下にスクロール頂き、「資料②ラトゥール元帥に押し戻されるピシュグリュ軍」ご覧ください



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*1

ロベスピエールの処刑は、前年(1794年)7月28日(テルミドールのクーデターは27日)。

今、マンハイムが包囲されている最中の、10月27日、総裁政府が成立する(マンハイム包囲は、95年10月19日~11月22日)。もちろん、ニュースはすぐには戦場に届かない。



*2

これが、未来の「鉄の元帥」ダグーの、生涯唯一の捕虜体験







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