第11話 マンハイム陥落とドゼ師団の抵抗
◆
しかし、それからすぐ、ピシュグリュ軍の、完全撤退が伝えられてきた。
最後の要衝、フランケンタールを捨て、クエシュ川まで退却したという。緯度では、ここマンハイムよりさらに南、もうすぐ、フランスとの国境の辺りだ。
一方で、散開している各師団は、未だに、抵抗を続けていた。
さらに、サンブル=エ=ムーズ軍のベルナドット師団が、マインツを包囲中のマルソー師団に接触しようと西へ向かったという。総司令官のジュールダン自らの前進も伝えられた。
「撤退してるのは、ピシュグリュ軍だけだな」
力の抜けた声を、アンベールが出した。
「ライン=モーゼル軍の、総司令官の部隊だけだ」
「ドゼ師団はじめ、麾下の諸師団は、頑張っているのに」
「サンブル=エ=ムーズの総司令官と師団もだ」
「それに引き換え……。わが軍総司令官殿のあだ名は、今日から、『撤退』だ」
「よかろう。『撤退』君だ」
ぼそぼそと、将軍たちが憂さを晴らしている。軍の司令官がこのざまでは、ぼやきたくなるのも、無理はない。
……「ピシュグリュ将軍には近づくな」
やっぱり、ドゼ将軍の言ったとおりだった。
改めて俺は、感動した。
しかし、彼がそこまで言うのだ。ただの「撤退」君ではなさそうだ。ピシュグリュには、まだ、何かありそうな気がする。
無気力な雰囲気を粉砕するように、バセット将軍が立ち上がった。他に適任者がおらず、彼は、みんなのまとめ役を務めている。その反面、自分は決して……暫定的であろうがなかろうが……指揮官ではないと、主張していた。
「各自、武器の手入れをしておくように」
諸将の目を、バセット将軍は、一人一人見つめた。
「その時が、近づいている」
彼の言いたいことは、よくわかった。
武器弾薬どころか、ここにはもう、食べる物さえない。医薬品も底を突き、清潔なリネンもないから、怪我をしたら、それでもう、おしまいだ。
「ライン・モーゼル軍、及び、サンブル=エ=ムーズの諸兄らの死闘に、我々も、報いなければならない」
バセットは、指令を出すことを恐れていた。よほどの幸運がない限り、我々の敗戦は、確定だ。下手に指揮官を名乗り、後から責任を取らされるのがいやなのだ。恐怖政治は終わったという。しかし、油断はならない。敗戦は、彼の処刑を意味するかもしれない。(*1)
現に、ドゼ将軍は、マンハイムの指揮官を断り、野戦に身を投じた。もっとも、彼には、それが、ふさわしい。
「もし万が一、力及ばぬ場合は……」
俯き、バセットは、言葉を途切らせた。
◆
この頃には、マンハイムの城壁前の、ヴルムザーの塹壕が完成していた。
オーストリア軍の爆撃が始まった。
毎日のように、オーストリアの、激しい砲撃音が鳴り響くようになった。硝煙が広がり、太陽の顔さえ拝めない日々が続いていた。
一際大きな爆撃音がした。
司令部にしている建物が、グラグラ揺れた。天上から、細かな埃が落ちてくる。
お返しをしようにも、砲弾も火薬も、すぐに尽きてしまった。
息をひそめ、俺達は、街の頑丈な建物に立てこもるしかない。
◆
臨時の司令部の入り口付近で、叫び声が上がった。
どたどたと複数の足音が、近づいてくる。
「こいつ、刃物を持って、うろついていました!」
縛り上げたひょろ長い男を、下士官が突き出した。
まだ若い、少年だった。
きつく縛り上げられた彼は、前髪の下から、射抜くような目を上げた。
「歩哨の隙を突き、城壁外へ出ようとしてたところを捕まえました」
立ち上がり、バセットは、少年に近づいた。
「君は、どこへ行くつもりだったのかね?」
「父さんの所だ!」
声変わり途中の声で、少年は叫んだ。
「今日、隣のオヤジが死んだ。昨日は、子どもが3人、餓死した。もう、食べられる物は、何ひとつない。こんなところになんかいられるか!」
俺達は顔を見合わせた。
「君のお父さんは、マンハイムの外にいるのか?」
重ねて、バセットが尋ねる。
「父さんは、オーストリアの兵隊だ! お前らなんか、やっつけてやる!」
「監獄にぶち込んどけ」
バセットは命じた。
住民どもの不満が、最高潮に達しているのを、その場の誰もが感じた。
伝手さえあれば、彼らは、オーストリアと内通し、敵を城内へ導くだろう。
その日は、そう、遠くない。
◆
オーストリア軍からの、激しい砲撃の中、ついに、マンハイムは力尽きた。
1795年11月22日。
約1ヶ月に及ぶ籠城の末、マンハイムのフランス守備隊は、降伏した。
◆
マンハイムの投降を知り、サンブル=エ=ムーズ軍のジュールダン司令官は、前進を諦めた。
マンハイム陥落の5日後。
激しい抵抗を続けていた各師団も、ライン河沿いを離れ、西側へ撤退した。
その中で、しつこく攻撃を続けている師団があった。
ドゼ師団だ。
彼は、最後まで、投降しなかった。それどころか、援軍をかき集め、山岳砲兵隊を率いて、再び、フランケンタールを奪取した。完全撤退に臨んで、ピシュグリュ司令官が手放した要衝地だ。
そのまま、彼は、占拠を続けた。オーストリアのクレルファイ元帥から、冬季休戦協定が提案されるまで。
◆
ドゼ将軍の快挙を、俺は、オーストリア軍の捕虜収容所で聞かされた。
マンハイムの暫定指揮官(とみなされた)バセット将軍と共に捕らえられ、オーストリア軍の捕虜になっていたのだ。
生涯で初めて、敵軍の捕虜になった。
心の師と仰ぐドゼ将軍とは真逆の、なんたる屈辱。これでは、彼の副官への道は遠い。
この先、二度と、敵の捕虜にはなるまいと、俺は固く心に誓った。(*2)
ちなみに、総司令官ピシュグリュ将軍の名で、休戦協定に署名したのは、ドゼ将軍だという。その際、彼が話したのは、流暢なドイツ語であったそうだ。
ううう。
文武両道じゃねえか。
もちろん俺も、文武両道だが、語学だけは、からきしだめだった。未だにドイツ語は(英語もそうだけど)、こんにちはもいえない。もっとも、敵に挨拶なんてする気は、毛頭ないから、これは一向、構わない。
ドゼ将軍は、オーストリアの将校どもとドイツ語で会話し、休戦協定に署名した……素晴らしい!
どうしてこれが、惚れずにいられよう。
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◆地図がございます。
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-147.html
下にスクロール頂き、「資料②ラトゥール元帥に押し戻されるピシュグリュ軍」ご覧ください
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*1
ロベスピエールの処刑は、前年(1794年)7月28日(テルミドールのクーデターは27日)。
今、マンハイムが包囲されている最中の、10月27日、総裁政府が成立する(マンハイム包囲は、95年10月19日~11月22日)。もちろん、ニュースはすぐには戦場に届かない。
*2
これが、未来の「鉄の元帥」ダグーの、生涯唯一の捕虜体験
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