第10話 籠城



 マンハイムは、ライン河の右岸も左岸も、オーストリア軍に、ぐるりと包囲されてしまった。彼らは、城壁に沿って、塹壕を掘り始めている。



 あの日、ついに、ドゼ師団は、マンハイムの城門を潜らなかった。

 混乱した城内で、俺は必死で、情報を集めた。それによると、城壁の前で駐屯していた部隊は、オーストリア軍の攻撃を受け、散開したという。その中には、ドゼ師団もいたはずだ。


 ライン・モーゼル軍総司令官のピシュグリュも、姿を消していた。同じく、西へ渡河したのだ。ライン河西岸を北上して、マインツ包囲軍と合流し、再び、軍を立て直すのだろう。


 総指揮を執る者がいないまま、俺達は、マンハイムで、籠城を始めた。

 いつまでこの状況が続くのか。

 もし、疫病が流行れば、それでおしまいだ。立て籠もったまま、全員で死を待つばかりだ。

 街に居残った市民たちも、悩みの種だった。空腹に耐え兼ね、暴動を起こすかもしれない。何らかの手段で、敵の手引きをする可能性だって、ないとはいえない。


 籠城は、予定外だった。マンハイムには、軍備も食糧も、ろくに備蓄がない。

 この軍備では、ろくに戦えない。怪我をしても、医者も薬もない。

 暗く湿った雰囲気が、籠城部隊を覆っていった。





 半月後。絶望的な知らせを、伝書バトが運んできた。

 厳しい冬の寒さに耐え、ライン軍モーゼル軍が包囲を続けたマインツ。そのマインツが、ついにオーストリア軍に奪還されたのだ。


 サンブル=エ=ムーズ軍のジュールダン将軍をラーン川までおいやったクレルファイ元帥は、勢いを崩さぬまま、南下を続けた。そのまま、迂回してマインツに向かい、東岸から、奇襲をかけた。


 マインツには、クレベール将軍がいた。所属しているサンブル=エ=ムーズ軍に犠牲を払わせてまで、包囲の援軍に駆け付けたクレベール師団だが(*1)、予期せぬクレアファイの襲撃を打ち破ることはできなかった。

 10月29日。1年間の西岸包囲も虚しく、フランスの包囲軍は、マインツを明け渡した。





 これで、西側に渡河したピシュグリュ軍は、マインツ包囲軍と合流することができなくなった。


 ……だが、ピシュグリュ軍のどこかに、ドゼ師団がいる。


 彼が、黒髪のあの軍神が、撤退するとは思えなかった。

 彼がいる限り、俺は、マンハイムを守り続ける。オーストリアと戦い続ける。ヴルムザー軍を、彼に近づけたりしない。





 「くそっ!」

 数日後、追加で来た報告を見たバセット将軍が、低く呻いた。バセット将軍は、マンハイムの暫定指揮官だ。

「ピシュグリュ軍が、後退を始めた。マインツを叩いたクレルファイが、攻撃を仕掛けてきたのだ。ピシュグリュは、すでに、プリム川の辺りまで、南下してきている」


 プリム川は、緯度でいうと、マインツよりもマンハイムに近い。マインツに向かっていたとしたら、ピシュグリュは随分、南に押し戻されている。

 ピシュグリュ本体軍は撤退を始めたが、幾つかの師団が本体を離れ、抵抗を続けていた。その一つは、ドゼ師団だった。


 やっぱりだ。

 思った通りだ。



「他に、フェリノ師団も、ピシュグリュ軍とは別に、攻撃を続けている」

 バセット将軍が続けた。


「師団長のフェリノ将軍というのは?」


「ああ、君は知らなかったか、ダグー」

 俺が尋ねると、直属の上官、アンベールが説明してくれた。

「フェリノ将軍は、イタリア生まれで、かつてハプスブルク家に仕えていた。しかし、フランス革命の自由平等の精神に感化され、フランス軍へ移籍した」


 ハプスブルク家と聞いて、俺は色めき立った。だがすぐに、深い満足を覚えた。フェリノ将軍が、革命の精神に共感したからだ。革命は、偉大だ。ハプスブルク家の将校さえ、フランスに寝返らせる。


 ちらりと俺を見て、アンベールは続けた。

「長らく神聖ローマ帝国軍にいたせいか、フェリノ将軍は、たいへん厳しく、規律にうるさい。あまりの口うるささに耐え兼ね、軍を辞めてしまう将校もいる」


「そういう軍人は、嫌いじゃありません」

 俺の言葉に、アンベールは目を丸くした。

「だが、君は気を付けた方がいいぞ、ダヴー」

「気を付けるも何も。厳格なのは自分だけで充分です。部下を辞めさせてしまうなんて、厄介な将軍ですね。敬して遠ざけるに限る。フェリノ将軍には、近づかないようにします」

「……」

なぜか一座を、沈黙が支配した。



「こほん」

指揮官代理のバセットが咳払いをした。

「これらライン・モーゼル軍の2つの師団の他に、旧ライン軍のサン=シル師団も、攻撃を開始した」


サン=シルとは、どういう人物かと訪ねようようとした俺を、バセットは、ぎろりと睨んで黙らせた。


 旧ライン軍ということは、彼と同じだ。

「サン=シル将軍と、ドゼ将軍との関係は!?」


「サン=シル将軍は、2月に結婚したばかりだぞ」

 小声でアンベールが囁く。

「ん? マインツ包囲中じゃないですか。そんな時に結婚ですか?」

同じライン軍のドゼ師団が、マインツを包囲していた時期だ。サン=シル師団も、包囲軍の中にいたはずだ。それなのに、師団長が結婚?


「サン=シルというのは、そういう男だ。個人主義者なんだよ」

「ドゼ将軍は?」

「彼は独身だ」

 え? そうなの? 密かに調べたところ、彼は俺より2つ上のはずだから、27歳だ。ドゼ将軍は、貴族出身だ。それなのに、実家から、相手を押し付けられなかったのか。


「サン=シル将軍とドゼ将軍は、盟友同士だ。落ち着いて思慮深いサン=シル将軍と、僅かな手勢を率いて突撃をかけるドゼ将軍は、いいコンビだといえる」

 苛立たし気に、バセット将軍が口を出した。

「話をそらすな、ダクー」

「すみません」

素直に俺は謝った。


 ドゼ将軍がなかなか副官にしてくれないから、友人関係等の絡め手で責めようと考えていたのだ。

 若干上の空だったが、俺が下手に出たので、バセットは情報の続きを読み上げた。


「ドゼ師団、フェリノ師団、サン=シル師団。ライン方面軍のこれら師団は、ピシュグリュ軍のプリム川撤退に際し、手ひどい反撃を敵に食らわせた。特にサン=シル師団は、マインツ去り際の駄賃とばかり、西寄りの2つの要所を奪取した」


 集まった一同の顔に、明るい光が差した。声を張り上げ、バセットは続ける。


「さらに、ルノー師団、ボーピュイ師団もゲリラ戦を展開しているという」


「武器がないのは、西岸戻った連中も同じだ。いや、散開し、渡河した分、マンハイムの基地ここより、武器が不足している」

 アンベールが憂えた。

 実際、広範な範囲に散らばる、各師団に対し、大砲は、たった3基しかないという。

「それでも彼らは、戦っている」


「ここで、俺達が、屈服するわけにはいかない」

 俺は拳を握った。体中に、力が漲っていくのがわかる。


 すでに食糧は尽き、ネズミやモグラを捕まえて食べていた。だが、俺の檄に、異を唱える奴は、ひとりもいなかった。

 ぎらつく目を見合わせ、頷き合う。








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◆地図がございます。

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-147.html

下にスクロール頂き、「資料②ラトゥール元帥に押し戻されるピシュグリュ軍」ご覧ください



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*1

「第2話 二つの軍事行動」参照



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