第9話 マンハイムを守れ!
「オーストリアのヴルムザー元帥は、ランペルハイムで渡河を目論んでいる」
情報が齎された。
ランペルハイムは、ここから少し北、ヴォルムス要塞の対岸にある。
ヴォルムスは、マインツと
ヴルムザーの意図は、明らかだ。
ヴルムザーの意図は明らかだ。西側に渡河し、去年からマインツを包囲している、フランス軍を叩く。それには、マンハイムにいる、わが軍が目障りだ。
ハイデルベルクから帰着した俺が、マンハイムに落ち着く間もなく、ヴルムザーのオーストリア軍が攻めてきた。
「敵17,000!」
櫓の上に上った見張りが叫ぶ。
「わが軍12,000!」
ピシュグリュが唸った。
「ドゼ師団とウディノ師団を呼んだが、全然足りていない。ヴルムザー軍の方が、数が多い!」
その上、中央からの補給がないから、大砲も馬も少ない。
……負けるものか。
俺は、ぐっと、下腹に力を入れた。
俺の軍は、マンハイムの城門前の、中央に陣取った。
ここから一歩も、オーストリア軍を通しはしない。
気迫を込め、東の方角を睨む。
砂塵が上がり始めた。
ヴルムザー軍が近づいてくる。
激しい戦闘が始まった。
「ウディノ将軍、負傷!」
その知らせは、戦いが始まってすぐに齎された。
アンベール師団に加わったばかりのウディノが、敵にやられた。
「サーベルで5ヶ所斬りつけられた上、狙撃されました!」
「死んだか!?」
目の前のオーストリア兵に銃剣を振り下ろしつつ、俺は尋ねた。
「詳細は不明です」(*1)
「倒れたやつのことは、気にするな! とりあえずこっちなんだよ!」
言い終わらないうちに、横から現れた騎兵に、発砲する。
騎兵は驚いた顔をしたまま、馬から落ちた。
敵兵の数が、倍増した気がする。
ウディノがやられたので、こちらに回ってきたのだ。
「くっそーーーーっ! ウディノのやつ、はた迷惑な時にやられやがってーーーーーっ!」
叫びながら、やみくもに、サーベルを振り回した。
「橋頭保、封鎖されました!」
敵の硝煙を潜って伝令が駆け付けた。
「なんだと!」
遠くから、歓声が聞こえた。オーストリア軍の、勝利の雄叫びだ。
橋頭保がやられたのでは、ライン河の西側へは、逃げられない。渡河している軍列が、味方に援護してもらうことができないからだ。それどころか、奪われた橋頭保からは、敵が狙撃してくる。
まさに袋のネズミ、東から河際に追い詰められ、ライン河西岸へ戻るのは不可能だ。
「増援です!」
「なにっ!」
思わず振り返った。
岩の上によじ登った兵士が、双眼鏡を目に当てている。
「増援だと!」
どこからだ。マインツから?
いや、どこからだってかまいはしない。
この窮地を切り抜けられるのなら!
「敵の!」
「死ね!」
見張りの兵士を、俺は罵った。
白い軍服が、大波のように打ち寄せる。
「くそっ!」
血にまみれたサーベルを握り直し、最期のひと花、敵軍の真ん中に突っ込もうとしたとき……。
「マンハイム市内へ戻れーーーっ!」
既視感を伴う、この号令。
「城門を潜るんだ! 急げ!」
河の方から、騎兵の12個連隊が、駆けてきた。
戦闘にいるのは、もちろん、黒髪のドゼ将軍だ。
騎兵たちは整然と、フランス兵と、オーストリア軍の間に立ち塞がった。彼らの銃撃から、壊滅しかけているアンベール師団を守ろうとしている。
「……惚れる」
実はあれから、毎晩のように、ドゼ将軍に会いに、河原のキャンプ地を訪れた。
だが、ついに一度も、彼には会えなかった。
大砲のそばにも行ってみたが、添い寝をしている彼の姿はなかった。それどころか、危うく、見張りの兵士に射殺されそうになった。
……エリーゼの順番は、まだのはずだ。
兵士たちに人気の女の子のベッドに潜り込んでいるわけでもないと思う。だって順番は来週だと言ってたし。
もしや、兵士らと語らっているのかと、焚火の周りをひとつずつ、見て回りもした。彼は、いなかった。胡散臭がられて、すぐに追い払われてしまった。
ドゼ師団の奴らは、意地が悪い。今に見てろよ。彼の副官になったら……。
……。
まさか、将軍、俺のことを避けてたとか?
いや。
いやいやいや。
それはないだろう。
だって、俺のことを褒めてくれたし?
戦闘で頑張れば、副官にしてくれる、って言った。
言った。
確かに言った。
だから、会えなかったのは、ドゼ将軍が忙しかったからに違いない。なにしろ、師団長だからな、彼は。
あんなに探してもいなかったドゼ将軍が、今、まるで奇跡のように、俺の前に、立ちはだかっていた。
葦毛に跨った彼は、少数の騎兵を引き従え、一幅の絵のように美しかった。
「これは、惚れるわあ」
「何をしている、ダヴー!」
罵声が降ってきた。
「撤退だ! 早く兵を束ねろ!」
「撤退なんかするものか! 俺も、あんたと戦う!」
断固として、俺は叫び返した。
「馬鹿者!」
ドゼが馬首を回した。
「撤退しか生き残る道がないのが、わからんか!」
公平に言って、俺は馬鹿ではない。最初から、数では負けている。マインツからの援軍は、期待できない。確かに、今は、撤退しかないことはわかりきっている。
「マンハイムを守れ」
ドゼ将軍の声が、ある種の優しさを帯びたのがわかった。
マンハイムという都市は、ライン河の両岸に跨っている。重要な渡河ポイントだ。ここを、オーストリア軍に渡すわけにはいかない。
一方で、街の周囲は城壁に囲まれ、容易に敵を寄せ付けない。堅牢な要塞都市だ。
すでに、橋頭保は陥落している。せめて、城壁の内側は、死守しなければならない。
「了解!」
俺は応じた。
黒髪の騎士が頷くのが見えた。
蹄の音も高らかに、騎馬隊が駆け抜けていく。
敵の襲来には感じなかった大地の揺れを、俺は、感じた。
───・───・───・───・───・
*1
Nicolas Charles Oudinot。ナポレオン時代に元帥になる。
重傷を負ったが、この時ウディノは死んではおらず、オーストリア軍の捕虜となった。傷の回復のためにウルムに連れて行かれ、翌年(1796年)1月7日、捕虜交換の形で、フランスに戻った。4 月中旬にはライン・モーゼル軍に復帰。
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