第8話 共有



 「エリーゼって、誰ですか」

野営地に戻りつつ、俺は尋ねた。


 ピシュグリュと距離を取るように言ってから、ドゼ将軍は、急に、言葉が少なくなってしまった。

 だが俺は、もう少し、この人と話がしたかった。だって、母以外で、初めて俺の真価を認めてくれた人だ。


「誰?」

ドゼが首を傾げた。

「エリーゼ。さっき、あなたの兵士が言ってた……」

「ああ! ライン軍にくっついてきた女の子だよ。兵士たちのアイドルだ」

ドゼの声が華やいだ。



 革命前には、恋人や妻を連れてくる兵士もいた。だが、風紀の乱れや、なにより、軍の貴重な食糧や物資の浪費という観点から、2年ほど前に、女性の帯同は禁止された。女性の参加が許されたのは、わずかな洗濯女や、酒保女ヴィヴァンディエールだけで、いずれも軍への登録が必要だった。


 しかし、彼女らとは別に、軍の後からついてくる、女性達の一団がいた。まるで将校や兵士らの(イケメンの!)、熱狂的なファングルーピーのように、きゃあきゃあいいながら、キャンプ地からキャンプ地へ、くっついてくる。

 エリーゼは、そうした女の子のひとりだと、ドゼは言う。


「兵士たちに、人気があるんだ。最低でも半月待ちだね、彼女のベッドに潜り込むには」


「あなたは……」

 俺は呆れた。

「あなたは、部下の兵士達と、女まで分け合ってるんですか?」

 ……元農民や工場労働者たちと、という言葉は、危ういところで飲み込んだ。

 だって、ドゼ将軍は、俺と同じ、貴族出身だ。


「そうだよ」

けろりとしてドゼは答えた。

「俺は何でも、兵士たちと分け合うことにしている」

「……」

「あ。もし君が、順番を譲ってほしいというなら、お近づきのしるしに譲ってやってもいいぞ。順番だけな。金は自分で払えよ」

「遠慮する」

敬語を忘れ、きっぱりと俺は断った。


 酒やパンだけじゃないんだ、この男が、兵士達と分け合っていたのは。

 酷寒の去年の冬を、配下の兵士達と乏しい食糧を分かち合って凌いだというピシュグリュの話に、少しでも感動した自分を、俺は呪った。

 無垢な感動を、返してほしい。


「女なんか、まっぴらだ」

俺が吐き捨てると、ドゼは驚いたような顔をした。

「かわいい女の子を嫌いな男が、いるのか?」

「います!」


 ひどく、むかむかした。

 ドゼは、きっと、女にモテるのだろう。顔に傷があるけど、そんなのは、共和国を守った勲章だ、とかなんとか、言いやがるんだ、女の前では、きっと。

 彼のような男には、生涯、わかるまい。

 若くして女に裏切られた、男の気持ちが。


「だいたいあんな風に車座になって、あなたは、いったい、何の話をしてるんです?」

八つ当たり気味に尋ねると、ドゼは笑った。

「いろんなことだよ。あの連中にはまだ、俺の顔が知られてないからね。将校達の評判。町の噂。訓練の質。彼らは、仲間内では、あらゆることを口にする。俺は、自分の悪口を聞かされたこともあるぞ」


「なんですって?」

俺は気色ばんだ。

「そいつらは、縛り首にしたんでしょうね?」

ドゼ将軍は、怪訝そうな顔をした。

「なぜ?」

「だって、上官の悪口を言ったんですよ? 処刑されて当然です」

 俺ならその場で射殺だ。それはもう、絶対。だが、ドゼ将軍は首を横に振った。

「しないよ、処刑なんか。貴重な情報源じゃないか」

 再び、俺は呆れた。

「あなたは、そんな風にして、情報を集めているんですか?」

「それだけじゃないがね」

けろりとして、ドゼは答えた。





 城壁前まで来た。別れ際、ドゼ将軍は言った。

「おおそうだ、ダヴー。ライン軍の指揮を執るなら、泳ぎを習得しておかないと駄目だぞ」

「泳げるようになったら、俺を副官にしてくれますか?」

「ふぐ」

変な声を将軍が出した。ライン河の水に、長く浸かり過ぎたせいだろう。



「あと、本を読むことだ。文意を正確に汲み取る訓練をするといい」

「本なら、大好きです!」

 何しろ俺は、文武両道、賢い将校だからな!

 ドゼ将軍は嬉しそうな顔をした。

「そうか。本を読む人間に悪い奴はいない。俺も頑張って、本を読んでいる」

「へえ。どんな本を読まれるんですか?」

興味が湧いた。

「軍務の本だよ。ギリシャやローマの行軍の本は、何度読んでも興奮するな。もちろん、学問の本も読むぞ。1年間かけて読破した本もある」


 素晴らしい! 努力の人だ、ドゼ将軍!

 読解力は、俺の方が上だが。


「ライン軍での君の活躍に期待する」

とうとう、ドゼ将軍は言った。

「戦闘で手柄をあげたら、副官にしてくれるんですね!」

すかさず俺は、言質を取ろうとする。

「まあ、俺の師団に入れてやるくらいは……」

 後半は、彼の口から出る前に、夜風にさらわれて消えた。仕方がない、とか、短期間なら、とか聞こえた気がしたが、気のせいだろう。



 俺に背を向けて手を振り、彼は、広場へ向かって去って行った。



「おい。ドゼ将軍は、どこで寝るんだ?」

 通りかかったドゼ師団の大尉に、俺は尋ねた。彼の向かった先には、テントのひとつも貼ってなかったからだ。


「ああ」

訳知り顔に、大尉は頷いた。

「将軍は、大砲に添い寝なさるんです。それが一番、落ち着くんですと」



 深く深く、俺は感動した。

 まさに、兵士のあるべき姿ではないか!

 絶対、彼の副官になってやる! そして彼と二人で、両側から大砲に添い寝するんだ!









 翌朝、マンハイムの司令部。

 ライン・モーゼル軍総司令官、ピシュグリュが、怒り狂っていた。


「ドゼの奴! あいつ、指揮官の任命を、断りやがって」


 ライン・モーゼル軍の総司令官ピシュグリュは、マンハイムでの戦闘の指揮権を、ドゼに渡そうとしたらしい。


「えっ、彼、断ったんですか!」

驚愕した声を、アンベールが上げた。

「じゃ、いったい誰が……」


「君じゃないことは確かだ、アンベール」

冷たい声で、ピシュグリュは吐き捨てた。

「なにしろ、君の師団は、ハイデルベルクのオーストリア軍駐屯地を叩くのに失敗したからな」


 アンベールが俯いた。ちらりと俺を見る。まあ、彼としても、指揮官などと言う任を押し付けられたら、迷惑だったろう。戦争に負ければ、責任を取らされるのだから。裁判にかけられ、有罪を宣告されるかもしれない。

 俺が、ハイデルベルクで負けてやって、よかったのだ。



 憤懣やるかたないという風に、ピシュグリュが嘆く。

 「リヴォー派遣委員は、ドゼを激賞していたのに!」


 リヴォーは、パリから派遣されてきた、公安委員だ。平たく言えば、ライン・モーゼル軍の監視役である。

 腹黒い密告魔の監視人ケルベロスさえ、ドゼ将軍の魅力には、抗えなかったのだ。

 さすがは俺の見込んだ人だけある。



 ピシュグリュの愚痴は続く。

「去年のマインツ包囲の指揮官拒絶に続いて、マンハイムここまでも!」



 やるじゃないか、ドゼ将軍。

 素知らぬ顔で、ピシュグリュの愚痴を聞きつつ、俺は思った。

 どうみたって、このマンハイム戦は、負け戦だ。北のサンブル=エ=ムーズ軍は、すでに撤退に入っている。

 みすみす負けるとわかっている戦いの指揮を引き受けるなど、愚の骨頂だ。

 いやなものは、嫌という。

 ドゼ将軍の潔さに、改めて惚れ直した。

 俺は、絶対絶対、彼についていく!



「ドゼの他に、誰がいるっていうんだ? 全く、ライン軍は、物資だけじゃなくて、人材まで不足していて……。俺は、マンハイムに長くとどまることはできないんだ。誰かに指揮を委ねなくてはならないのだが……。はてさて、誰にしたものか」


 ぐちぐちと、ピシュグリュは愚痴り続いた。

 彼は、ライン・モーゼル軍の指揮を執ることが、最初から、よほど嫌だったようだ。

 ライン軍は、勝利といえば、限定的で部分的なものしかなく、決定的な勝利を勝ち取ったことがない。貧乏くさく、人も物資も行き渡っていない。

 というのが、その理由のようだ。

 彼は、現状に不満を抱いている。それも、大きな不満だ。


 ……デュムーリエと同じだ。

 俺は思い出した。


 中央から派遣された委員と戦争大臣を手土産に、オーストリア陣営に駆け込もうとしたデュムーリエは、革命が行き過ぎたことを、嘆いていた。王や王妃の処刑は、やり過ぎだったというのだ。

 それに比べれば、ピシュグリュの不満は、個人的で、些末なものだが……。


 ……ピシュグリュ将軍には近づくな。

 ドゼ将軍の忠告を思い出し、俺は、にわかに緊張した。







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