第7話 上官に向けて、発砲!
ふっと息を吐き、彼は、違う話を持ち出した。
「ベルギーの人々は、フランスの一部となる(*1)ことに、賛成なのだろうか」
「革命の果実、自由と平等を手に入れることができて、彼らは喜んだはずです」
彼らの解放こそが、革命戦争の理念だ。俺が、俺だけじゃなくて、フランスの市民が、命を賭けて戦っている理由だ。
なおもドゼ将軍がつぶやく。
「デュムーリエの軍もまた、物資の供給が途絶えがちだったという。政府は、地元からの徴収を許可したというが、それは、フランス軍による略奪に他ならなかったのではないか」
「中央政府はまったくなってない! 死に物狂いで戦っている軍を、なんだと思っていやがるんだ!」
怒りに燃えて、俺は叫んだ。中央からの補給が途絶えがちだったのは、どこも同じだった。武器弾薬はおろか、医薬、食糧の補給もない。食わずに戦えるか! 俺らはもう何ヶ月も、給料をもらってないし、徴兵されて来た兵士どもも同じだ。いったい政府は、何を考えていやがるのだろう!
「だが、略奪はダメだ。地元の住民には、必ず対価を支払うべきだ」
理想だ、と俺は思った。
この冬のマインツ包囲で、ドゼ将軍は、配下の軍に、略奪を許さなかったという。それは素晴らしいことだ。素晴らしいことだけど、略奪をしなければ、生き残れない場合だってある。
「生かさぬように、殺さぬように、です」
「なんだって?」
ドゼ将軍が目を剥いた。初めて、俺の顔をまともに見てくれた気がする。
「だから、やりすぎはいけません。でも、兵士らも生き残らなくちゃならないんだ。そこは、住民の皆さんにもご理解、ご協力を頂いて」
得意になって俺は、将校としての心得を述べる。
「ダヴー、君自身も略奪に加わったのか」
厳しい声が遮った。
「まさか」
俺は即答した。
「そんなの、部下の上前をはねたのに、決まってます」
この冬の、ルクセンブルク包囲は過酷だった……。
そろり。
ドゼ将軍が後退した。
「君はその後で、戻ってきたデュムーリエの馬を、取り上げたよな」
本当によく知ってるな、と俺は思った。ドゼ将軍は、俺のことが大好きなのに違いない。いや、大好きは言い過ぎとしても、少なくとも、俺という人間に、興味を持ってくれている筈だ。さもなければ、こんな些細なことまで知りはすまい。
自信を持って俺は、将軍が後ずさった分、彼に向けて一歩、前進した。
だが、ここはひとつ、慎ましくあるべきだと、思い直す。ドゼ将軍自身が、控えめな人だとわかったからだ。
目を伏せ、俺は答えた。
「偶然です。任地への行軍中、偶然、デュムーリエ一行と出くわしたものですから」
▼――
俺の軍、第3ヨンヌ軍は、新しい任地、サンタマン=レゾー(ブリュッセルより西。現在のフランス領、国境付近)へ向かう所だった。デュムーリエが裏切りやがったので、配置換えがあったのだ。
そこへ当のデュムーリエが帰ってきた……。
「裏切り者、待てーーーーっ!」
「げ、ダヴーだ」
俺を見るなり、デュムーリエは、一目散に逃げだした。疚しい気持ちの表れだろう。
物凄い勢いで逃げ去るデュムーリエを、連れの一行が、あっけに取られて見ていた。中の数人は、白い軍服だった。オーストリア将校だ。
「逃がさんぞ! この売国奴が!」
憤怒して、俺は追いかけた。
デュムーリエの奴、本気で、オーストリア軍をフランスに差し向けるつもりなのだ。あろうことか、オーストリアの
俺の剣幕に恐れをなしたか、先頭に取り残されたフランス人の貴族が、回れ右をした。デュムーリエの後を追って、一目散に逃げだす。つられて、オーストリア将校どもが、後を追った。
「逃がさぬぞ。待てーーーーっ!」
わらわらと、俺の後から、兵士どもが続く。
なにせ俺の部隊は、義勇軍の歩兵部隊だ。使える騎兵は、指揮官の俺くらいのものだ。だが、俺はひるまなかった。歩兵どものはるか先頭を、裏切り者の一団を追って、全速力で馬を駆った。
「しめたっ!」
運命の女神は、俺に微笑んでくれたかに見えた。デュムーリエの馬が、溝を飛び越えることを怖がり、立ち止まってしまったのだ。軍人の馬にあるまじき、躾けの悪さだ。だから、デュムーリエはダメなのだ。デュムーリエは馬を下りた。徒歩で溝を渡っている。
一方で、後から続いてきたオーストリア将校の馬たちは、軽々と溝を飛び越え、走り去っていった。さすが帝国将校の馬だ。手入れが行き届いている。
「将軍!」
最初にデュムーリエを追って引き返した
「あっ、こら、くそっ! 待ちやがれ!」
俺は地団駄踏んだ。溝を渡ったら、歩兵どもがついてこれない。
「大の男が、二人乗りなんぞするなーーーっ!」
重そうに去っていく馬に、俺は罵声を浴びせかけた。
溝の手前で、途方に暮れている男がいた。デュムーリエの秘書だ。徒歩でついてきた彼は、逃げ切れなかったのだ。仕方がないから、俺はそいつをひっ捕まえて、溝の前で立ち往生していた馬と共に、司令部へと連行した。秘書なら、主の裏切りの証言くらい、できるだろう。
この功績で、俺は、大尉の地位を与えられ、同時に、3つの半旅団の指揮権を与えられた。
▲――
「さ、行こうか」
ドゼ将軍が立ち上がった。俺の副官希望に、返事を寄こさない。
デュムーリエの一件の、あまりのインパクトと、俺の活躍への称賛で、忘れてしまったのだろう。
彼は既に、服を着終えていた。繰り返すが、召使の手も借りずに。全く見事な手際だ。
しかし、俺は、本気だ。
本気でこの人についていきたい。
「ドゼ将軍。俺を副官にして頂きたい」
「できない」
短く答えた。
「なぜ!」
絶望にかられ、俺は叫んだ。俺より優秀な軍人がいるはずもないのに!
そしてドゼ将軍には、優秀な副官こそがふさわしい。
やはり、薄々感じているように、俺の人間性が問題であると、ここは理解すべき……。
だが、彼の返事は、意外なものだった。
「ヴァンデ(*3)制圧に派遣された後、君は、師団長に任命された。俺と同じ階級だ。そんな人材を自分の補佐官になんて、できない」
「こっ、断りました!」
断ったのは、政治的な理由だ。
戦争に負ければ、司令官初め高級将校は、処罰されることが多い。処刑されることすらある。士気を下げた、あるいは、敵と密通してわざと負けたと、言いがかりをつけられるのだ。そうでなくても、身の回りでは常に政府からの派遣議員が目を光らせ、あることないこと、中央へ密告する。
そんな息の詰まるような環境は、いやだった。
実のところ、後悔がなかったわけではない。師団を与えられるからだ。それにより、作戦遂行の自由度も、大幅にアップする。
だが、今ほど、師団長拝命を断ってよかったと思ったことはない。俺はまだ、准将のままだ。ドゼ将軍より、下の身分だ。
まさに俺は、ドゼ将軍の副官になるために、師団長を断ったのだ。
「駄目だ」
だが、ドゼの拒絶は、にべもなかった。
「君は勇敢で、優秀な人間だ。人の下についているべきではない」
「……」
「そんなことはありません」と言いたかった。だが、どうしても言えなかった。嘘をついてはいけないからだ。
「アンベールの元へ戻れ。彼がいいようにしてくれるだろう」
ドゼ将軍は、俺の能力を認めてくれている……。
不意にそのことに気がついた。
「いっ、一生、ドゼ将軍。あなたについていきます!」
思わず頬が紅潮した。掠れた声で俺は、決意を述べた。だって、初めて、俺の真価を理解できた人だよ? ここで逃がすわけにはいかない。
ドゼ将軍は、怪訝な顔をした。
「君は今の話、聞いてたか?」
「もちろん!」
「ダヴー、君は、いずれ、アンベールに代わって、師団を率いるようになるだろう。それは、時間の問題だ」
褒めてる!
ドゼ将軍が、俺を褒めてる!
こんなに純粋に、下心なく、人から褒められたのは……母以外から……、生まれて初めてだ。
「だが……」
不意に彼は言葉を途切らせた。
「だが、ピシュグリュ司令官には気を付けるんだ。必要以上に、彼に近づいてはならない」
「え? それは、どういう……」
ピシュグリュ司令官は、ドイツ語ができない。俺と同じだ。
そこに、大いに共感できたというのに……。
「言葉のままだ。彼とは距離を保て。それが、君の身を守る」
「……」
曖昧に、俺は頷いた。
───・───・───・───・───・
*1 ベルギーはフランスの領土
ダントンの自然国境説(「第2話 二つの軍事行動」参照)によれば、ライン河左岸(西側)はフランスの領土になる。下流域では、ベルギーと、ネーデルランドの一部が、これに該当する。ここは当時、オーストリア領。
*2 もう一人の裏切り者
当時19歳のシャルトル公ルイ・フィリップ。間もなくオルレアン公を継ぐ。(ここに描いた事件で、息子の革命政府への叛意が疑われ、また、父エガリテをフランス王へ擁立する意図があったとも解釈され、エガリテは処刑された)
ルイ・フィリップは、1830年、7月革命の後、王位に就くも、1848年2月革命で、イギリスに亡命、その地で客死する。この後出てきたのが、ナポレオン・ボナパルトの甥、ナポレオン3世。
*3 ヴァンデの乱
フランス西部の農民と王派の蜂起。
詳しく↓
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-34.html
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