第4話 ライン軍総司令官ピシュグリュ



 「君らは、配下の兵士の略奪を、許したはずだ」


 ピシュグリュの言葉に、アンベールと俺は、思わず顔を見合わせた。

 食糧不足は、敵軍だけではなかった。わが軍も、あらゆるものが不足していた。

 中央からの補給が、途絶えがちだったからだ。

 補給がなければ、兵士たちは、飢えるしかない。兵士が地元から略奪するのは、それをしなければ、生きられないからだ。



「ドゼは、君らと同じように、マインツを包囲していた」


 俺達が包囲したルクセンブルクと同じく、ライン河中流域に残された、最後の敵の要衝だ。マインツには、今現在、クレベール将軍が援軍に行っている。本体のサンブル=エ=ムーズ軍を弱体化させる危険を犯してまで、彼は、マインツ包囲の応援に向かった。結果、モーゼル=エ=ムーズ軍は、ラーン川の南まで、後退を余儀なくされた。


 不意に、ピシュグリュの目が鈍い輝きを帯びた。

「ドゼ……去年、あいつ、マインツ包囲の指揮官になれというのを、拒否しやがって」


「へ?」


 俺とアンベールの声が重なった。

 忌々し気に、ピシュグリュは、舌打ちした。


「この冬の話だ。俺はまだ、オランダにいたがね。ドゼが嫌がったから、代わりに、モーゼル軍のクレベールが暫定指揮官になった」


 ピシュグリュの目が、さらに冥い光を放った。


「なのに、クレベールめ。途中でヘソを曲げやがって。かわいそうに俺の前任者は、ドゼとクレベールの間を、行ったり来たりして、ついに落馬して、大腿部を骨折する始末さ。おかげで、俺にお鉢が回ってきちまった。ライン=モーゼル軍の総司令官などという、厄介なものがな! オランダ戦の勝者のこの俺に! こんな貧乏くさい、一度も決定的な勝利を収めたことのない、ライン方面軍の総指揮が。ここには、物資も人員も、全然足りてないじゃないか」



 再び、俺とアンベールは顔を見合わせた。

 俺達もまた、ルクセンブルクから、このライン=モーゼル軍に回された身だ。

 しかも、ルクセンブルク陥落の栄光を見届けることなく。

 はあはあと、ピシュグリュは、肩で息をしている。よほど、ライン・モーゼル軍の司令官になったことが気に入らないらしい。



「だから、君の気持はよくわかる、ダヴー。俺をこんなところへ呼び戻した(*1)のは、煎じ詰めればドゼだからな。やつの悪口なら、俺だって、いくらでも言いたい気分だよ」


「でも、ピシュグリュ総司令官は、俺が悪口言うのを、止めたじゃないですか」

 

 俺は反論した。

 確かに、ドゼ将軍には、人気がある。兵士共は、将軍の悪口を言うなと、食って掛かってくるし……。

 全く不思議だ。

 俺なんか、配下の兵士どもに嫌われまくっているというのに。


 ずばり、俺は言ってやった。


「今回のサンブル=エ=ムーズ軍の敗走も、遠因は、ドゼ将軍にあるのではないですか?」


 ……わが軍の、ハイデルベルク攻略の失敗は、上アルザスで、ドゼがヴルムザーの陽動作戦に失敗したせいだ。

 は、さすがに口にするのを慎んだ。隣から、アンベール将軍がつついてきたからだ。体を捻ってアンベールの手から逃れ、俺は、糾弾を続けた。


「去年から、ドゼ将軍が、マインツ包囲の指揮を執っていたら、今回の軍事行動で、クレベール将軍も、マインツに執着しなかったのでは?」



「いや、クレベールも……。あれはあれで、アレな男だ。クレベールよりかは、俺は、ドゼの方が好きだね。クレベールを押し付けられたジュールダンより、運が良かったと思っているよ」


 ピシュグリュが言う。

 「あれ」の中身については、説明はなかった。

 ピシュグリュは、俺達の目を交互に覗き込んでから、話を元に戻した。



「この冬、マインツもまた、酷寒だった。だがドゼは、配下の兵に、略奪を許さなかった。将校用に配布された物資を部下と共有し、他の将校もそれに倣った。ドゼはいつも、一番最後に、兵士らの食べ残しを食べていたそうだ。その上、」

 特徴的などんぐり眼を、ピシュグリュは、ぎろりと見開いた。

「その上やつは、広場の大理石の上に陣取って、困窮した地元の住民に、なけなしの食料を、分け与えたという」


「信じられない……」

思わず声が漏れ、アンベールが慌てて口を塞いだ。


 無理もない。

 ルクセンブルク包囲戦の司令官モロ(*2)は、酷寒の中、熱病に罹った。栄養も医薬も不足し、彼はそのまま、帰らぬ人となった。

 後を継いで、モーゼル軍右翼の司令官となったのが、アンベールである。

 1794年から95年にかけてのこの冬は、誰にとっても、生きるか死ぬかの、地獄だった。



「ドゼは、敵の兵士にも寛大だ。捕虜を人間として扱い、無駄な殺戮は許さない」

「それはまた……」

 稀有な将軍だ。俺なんか、捕まえた敵兵は、滅茶苦茶、いじめてやる。将校にだって、気晴らしは必要だからな。



 「良い将軍bon Général

ピシュグリュは言った。

「地元の奴らは、ドゼのことを、そう呼ぶ」


「フランス語ですね、それ」


 思わず俺は口を出した。だって、地元の人間が言ったのなら、ドイツ語のはずだ。

 ピシュグリュが笑い出した。


「俺は、ドイツ語がからっきしなのでな」

「自分もです!」


 思いもかけず、このギョロ目の司令官に親しみがわいた。ついさきほどまで、ネッカー川沿いで放置されていたにもかかわらず。


「だが、ドゼは、ドイツ語が堪能だ。彼は、元貴族だ。きちんとした教育を受けている。君もそうだろう、ダヴー准将」


 しぶしぶ、俺は頷いた。認めたくない血筋だ。


「貴族だったドゼは、投獄されたこともある。君にも、逮捕監禁された過去がある」


 断定だった。

 再び、俺は頷いた。アンベール将軍の下に付いてから日が浅いのは、オセールの監獄に収監されていたからだ。



 本格的に恐怖政治が始まる前から、貴族出身者は、様々な難癖をつけられ、密告され、投獄された。たとえ軍籍にあっても、いや、軍人であれば、諸外国との密通容疑が加わり、一層、危険は増した。

 裁判など、無いに等しかった。それでも、俺や母のように、テルミドールのクーデター(*3)まで処刑が遅れれば、生きてシャバに帰ることができた。もちろん、クーデターが間に合わず、ギロチンにかけられた者は、大勢いる。


「だが、ドゼは、貴族だから捕らえられたわけじゃないんだよ。職を解かれた貴族の上官についていこうとしたからだ」

含みのある言い方だった。


「なんですって?」


「軍人として彼は、上官に忠実だったから、どこまでも上官についていこうとした。だが、共和国を裏切る意志は、毛頭なかった。彼は、誰よりもこの国フランスを愛している。逮捕され、憤激したドゼは、工兵出身のカルノー議員に手紙を書いた。ところでカルノーは、優秀な軍人を探していた。志願兵を束ねる将校が必要だったのだ。そういうわけで、ドゼの手紙はカルノーの心を射抜き、彼は、自らの力で、牢獄から出てきた」


 ピシュグリュは、にやりと笑った。

「ドゼは、そういう男だ」



 胸が、ざわざわした。

 自分の力で、自分を助ける……、

 それは、人として、あるべき姿である。

 特に、俺のように、他人から嫌われる人間にとっては。



「カルノーの介入で、ドゼは釈放されたが……翌年、もう一度、逮捕されそうになった。故郷から訴状が出てな。理由は、何だと思う?」

「……さあ」



 俺の母の場合は、エミグレ(亡命貴族)との通信容疑だった。証拠となる手紙を、俺は焼き捨てた。証拠不十分で母は釈放されたが、数ヶ月後、母と俺は、揃って、逮捕(母は再逮捕)された。



 不意に、ピシュグリュは笑い出した。


「ドゼが、貧乏だというのが、その理由さ。貧乏ゆえに、ピットやコーフブルク(*4)の誘惑に乗りやすいというだった」



 あまりのことに、俺もアンベールも、呆気にとられた。

 ライン軍の司令官達が、次々と逮捕、処刑されたことは、俺も知っている。

 貴族であれば、最初から目をつけられる。戦争で負ければ、軍の士気を下げたと、即、逮捕命令が出る。

 だが、貧乏だからという理由で、ギロチンにかけられた将校の話は、聞いたことがない。



「それで、彼はどうなったんです?」


 いつまでも笑い止まないピシュグリュに、痺れを切らし、俺は尋ねた。

 ドゼ……黒衣の軍神の危機が、猛烈に気になった。


「ドゼは優秀だから、捕まえないでやってくれと、俺からも政府に、手紙を書いた。だが、全く相手にされなかった」

ピシュグリュは、右眉を上げてみせた。

「すぐに、ジャコバンの委員どもが、ライン軍の駐屯地まで押しかけてきた。ドゼを、捕えにきたのだ」


 軍人であったにもかかわらず、文民に逮捕された日のことを思い出し、思わず俺は、息を詰めた。


「だが、ドゼは捕まらなかった。部下の兵士どもが、楯となったのさ。彼らは、自分たちの大切な将軍を囲み、ジャコバンの公安委員を、一歩も、彼に近づけなかった」


「……」



 それは、何だったろう。

 その時俺の心を満たした感情は。

 温かく、感動的で、若干、涙腺が緩みさえした……。

 俺の隣では、同じくアンベールが、神妙な顔をしている。



「まあ、そういうことだ。俺なら、ライン軍の兵士の前で、ドゼの悪口を言ったりしない。君もそうすることだな、ダヴー」


 わが意を得たりとばかり、ピシュグリュ司令官が言い渡した。







───・───・───・───・───・


*1

ピシュグリュは、オランダへ赴く前の93年、短い間、ライン軍の司令官だった。


*2

Jean René Moreaux。後から出てくるモロー将軍とは別人


*3

1794年7月、ロベスピエールが処刑された。これにより、恐怖政治下で収監された多くの囚人たちが、処刑を免れた。ナポレオンの最初の妻、ジョゼフィーヌもその一人。


*4

「ピット」は、小ピット。当時のイギリスの首相。「コーフブルク」は、ドイツ諸侯。オランダ戦における、フランスの強敵。「ピットやコーフブルク」というのは、当時、フランスの敵を表す時、常套句のように用いられた







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