第3話 アデュー、アデュー、愛しい人よ
「ドゼ将軍……」
俺は鸚鵡返した。例の、黒衣の軍神、もとい、顔に傷のある黒髪の男だ。
「彼は今まで、ライン河の上流、上アルザスの山岳地帯にいたんだ。そこで、陽動作戦を展開し、ヴルムザー元帥を引き付けていた」
「……」
じっくりと、俺は考えた。
「つまり、俺の部隊を攻撃していたオーストリア軍が、急に増大したのは……」
それは、敵の主力、ヴルムザー軍が、
「ドゼ将軍? 彼の陽動作戦が失敗したから! ですね!」
どこが、黒衣の軍神だ。
彼が、もう少しの間、ヴルムザーを引き付けておいてくれたら、デュフォール師団の壊滅はなかった。ハイデルベルクの敵陣は、俺が叩いてやったのに。
「彼が、山岳地帯に、ヴルムザーを引き付けておけなかったからだ!」
厳しく、俺が糾弾した時だった。
「ドゼ将軍の悪口を言うな」
怒気を含んだ声が聞こえた。アンベール将軍ではなかった。いつの間に、どこから出て来たのか、薄汚い兵士が、目をぎらつかせて立っていた。しかも、一人ではない。3~4人いる。
「将軍は、名将だ」
「悪く言うやつは、たとえ俺たちの上官であっても許さねえ」
よくよく見れば、ついさっきまで、俺の下で戦っていた兵士たちだ。なんだ、こいつら。上官に向かって。
「俺たちはな、」
一番大柄なのが、凄んだ。
いや、俺だって、体は大きい。元農民や行商人どもに凄まれたくらいでは、へっちゃらだ。第一、踏んできた、修羅場の数が違う。
腰に手を当て、俺は、配下の兵士たちを睨みつけた。
意外なことに、相手もまた、一歩も引かなかった。
「ドゼ将軍の指揮で戦場に出る時は、俺らは仲間に、『
「はあ?」
意味がわからず、思わず、間の抜けた声を漏らしてしまった。
顔を見合わせ、兵士どもが、にまりと笑った。調子に乗って、次々と言い募る。
「他の指揮官じゃ、だめだ。俺らは、仲間に、永の別れを告げなくちゃならねえ」
「
「あんたの指揮で、戦場に行く時も、
「アデュー、アデュー、永遠に、愛するあなた、ってな」
げらげら笑いながら、妙な節をつけて、歌い出した。
からかわれているに違いない、と俺は思った。上官をおちょくるとは、いい根性をしている。
「お前ら、」
前へ踏み出した俺の腕を、アンベールが掴んだ。ぐいぐいと後ろへ押し戻しつつ、兵士どもに微笑んだ。
「向こうで、食事の配給がある。諸君は、よく戦ってくれた。少し、休んでくれ給え」
下品に笑い崩れながら、それでも、食事と聞き、兵士どもは、立ち去っていった。
「ドゼ将軍の悪口を言ってはいけない」
兵士達の姿が見えなくなると、
「なんで?」
「なんででも、だ」
「だって、今回の俺らの作戦の失敗は、明らかに……、」
彼が陽動作戦に失敗したからだと糾弾しようとした時だ。
「俺も、アンベールの意見に賛成だ」
低くドスの効いた声がした。
「げっ! ピシュグリュ総司令官!」
アンベールが飛び上がった。
そこには、ライン・モーゼル軍の総司令官、ピシュグリュ将軍が立っていた。
「ライン軍兵士の前で、ドゼの悪口は、言ってはいけない」
「なぜですか」
むっとして、問い返す。それが誰であれ、たとえ総司令官であっても、理由もなく禁止されることを、俺は好まない。
「人気があるからに決まってる」
「人気?」
呆れて問い返すと、悪びれもせず、ピシュグリュは頷いた。
「ああ。しかも、配下の兵士どもだけじゃない。占領地の住民からも、ドゼは、好かれている」
「あり得ない」
敵国の民だろう、そいつらは。
「本当だ。たとえば、この冬、君らはどこにいた?」
「ルクセンブルクで、包囲戦に参加していました」
俺の脇から、
自慢じゃないが、俺は、ルクセンブルクの、敵軍だけじゃなく、住民にも憎まれていた自信がある。
町の水車小屋を焼いたからだ。
敵を、食糧不足に陥らせる目的だった。
「寒い冬だったな」
ピシュグリュが回想した。
「北海が凍り、フランス軍は、馬に乗ったまま、オランダの戦艦を占領した」
そのオランダからの凱旋将軍が、ピシュグリュ将軍だ。
アンベールが頷いた。
「ルクセンブルクも、大変な寒さでした。補給は滞り、武器も食料も不足し、水さえ氷る始末。兵士たちは、木の根を掘って、口にしていました」
ライン河中流域に残された、最後の敵の要塞を奪取すべく、俺達アンベール師団は、ルクセンブルクを包囲していた。
その年の6月、下流域では、ジュールダン将軍がフルリュスで勝利、ベルギーを掌中に収めた。冬になると、ピシュグリュ将軍の軍が、北海を制圧した。今、ピシュグリュ本人が言った、フランス騎兵が、オランダ艦隊を拿捕した戦いだ。
「略奪したろう?」
「は?」
「君らは、配下の兵士の略奪を、許したはずだ」
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