第2話 二つの軍事行動
「よかった。ダヴー! 無事だったか!」
マンハイムの街中。
軍の司令部に入った途端、がっしりと抱きしめられ、俺は息を詰まらせた。
低い位置に、上官の、アンベール将軍の頭頂部が見える。
ここにいるということは、つまりこの将軍は、俺の部隊を置き去りに、マンハイムに逃げ帰っていたわけだな。
「デュフォールは捕虜になったし、彼の師団は壊滅したし。その上、途中から、君と連絡が取れなくなっちまって。心配したぞ、ダヴー」
「オーストリア兵になんぞ、やられません。誰が、傭兵なんかに」
吐き捨て、俺は、上官を引きはがした。
「そんなことより、アンベール将軍。マンハイムの町の城壁のところにいた、あれは、誰です? あの、」
黒衣の軍神、と言いそうになり、危うく俺は、言葉を途切らせた。
「あの、黒髪の将軍は」
軍服から、師団長であることは間違いない。
「黒髪の将軍?」
「両頬に傷のある」
「ああ!」
即座にアンベールにはわかったようだ。
にっこりと、彼は破顔した。
「ドゼ将軍だ」
「ドゼ……将軍?」
「旧ライン軍の」
アンベール率いるモーゼル軍右翼は、この春、ライン軍と合わさって、ライン・モーゼル軍になった。
その上俺は、ワケアリで、モーゼル軍に加わってから、まだ、1年経っていない。
だから、同僚の将校・兵士含め、知っている奴は、あまりいない。
元ライン軍となると、なおさらだ。
なにせ、やつらの勝利ときたら、極めて部分的、かつ、限定的だからな。あいつらは、決定的な勝利というものを、未だに、勝ち取ったことがない。
フランス革命の、自由、平等の精神を、未だ領主の下に隷属している、気の毒な周辺諸国の民に広げるべく、俺らは、長い戦いを戦ってきた。
革命戦争である。
そもそも、革命家のダントンが言ったように、フランスの国境は、海や川、山脈などの、自然国境であるべきだ。ゆえに、ライン河左岸(フランス寄り)は、全て、フランス領であるべきなのである。
この原理原則に則って、フランス北方軍は、英雄的な戦いを戦い抜いた。
そしてついに、北の低地地方(ベルギー、ネーデルランド南部:ライン河最下流の西側、フランス寄り)を、オーストリアの支配から、解放してやった。
つまり、フランスの領土にした。
ベルギーやネーデルランドの民は、フランスに感謝していると思う。宗主国オーストリアの支配を逃れ、自由を享受できるようになったからだ。
やがて、フランスの素晴らしい戦果に感銘を受けたプロイセンを始め、ドイツ諸邦、それにスペインも、次々と、フランスに講和を求めてきた。
ドイツやスペインの王や諸侯もまた、自由平等を受け容れ、これからは、自国の民の権利を認める決意をしたのだ。我が国のように、尊い血を大量に流すことなく、革命の果実を手に入れることができたことを、彼らは、フランスに、感謝すべきである。
ところが、こんなに素晴らしい革命思想が、オーストリアにはお気に召さなかったらしい。彼らは、北の領土を奪われ、お冠だった。
同盟諸国が、次々とフランスと講和を結ぶ中、オーストリアは、時代に逆行しているとしか、言いようがない。。
とはいえ、ライン河下流域は、フランスのものとなり、オーストリア(とイギリス)以外の諸国は、それを認めた。
1795年秋。
戦争に入るには遅すぎる時期であったが、ライン河中流で、フランス軍は、ふたつの軍事行動を起こした。
◆ジュールダン将軍麾下、サンブル=エ=ムーズ軍は、ライン河下流(北側)デュッセルドルフ付近で渡河し、河の右岸(東側)で、オーストリア軍を攻略する。
●ピシュグリュ将軍麾下、ライン・モーゼル軍は、ライン河中流のマンハイムを無血で確保、ライン河渡河に成功した。
これに対し、オーストリアは、
◆北寄りのサンブル=エ=ムーズ軍には、ラトゥール軍が対峙し、
●南寄りの俺らライン・モーゼル軍には、ヴルムザー軍が対峙していた
ライン河渡河に成功した俺たちライン・モーゼル軍は、まず、オーストリア軍のハイデルベルク基地を叩くべく、行動に移した。この基地は、マンハイムから、ライン河の支流、ネッカー川に沿って、西へ少しいったところにある。
「でも、ほら。わが軍は、ハイデルベルクを叩くのに、失敗したろ? 君の部隊は最後まで残ったが、結局、逃げ帰ってきた」
「ああ?」
アンベールが言い、思わず俺は凄んだ。
ハイデルベルクは、敵の補給基地だ。まずは、ここを潰す作戦だった。
ネッカー川の北岸をデュフォール師団が、南岸を俺たちアンベール師団が進軍した。
ところが、オーストリア軍にも、少しは頭の切れるやつ(クオスダノヴィッチとかいう名前だった)がいて、北岸のデュフォール師団を集中して叩いた。
デュフォール師団は壊滅、川を挟んで俺らは、なす術もなく、仲間がやられるのを見ているしかなった。ネッカー川を渡ることに成功したわずかな兵士だけが、俺の軍と合流した。
その後。
急激に、オーストリア軍の数が増大した。どうやら、敵の主力、ヴルムザー元帥の部隊が、合流したらしい。
「俺らには、大砲がなかったんですよ? その貧弱な部隊で、強敵、ヴルムザーに、どうやって勝てと?」
兵士共は、最終的には、石で、敵兵の頭蓋骨を粉砕していたのだ。
「おまけに、待てど暮らせど、援軍は来ないし、上官は逃げるし」
最後の言葉を、アンベールは無視した。彼は声を潜め、囁いた。
「それどころじゃなかったんだ。サンブル=エ=ムーズ軍が、やられた」
「なんですって? ジュールダン軍が!?」
ありえないと思った。サンブル=エ=ムーズ軍の総司令官は、ジュールダン。アメリカ独立戦争に参加し、北部低地地方の解放戦争では、素晴らしい活躍を見せた。
「うむ。ライン河を渡河して早々にジュールダンは、クレベール師団を手放したからな。マインツへ援軍に出した」
「マインツ!」
今回の軍事行動には、去年から続く因縁がある。
マインツである。マインツは、ここマンハイムから、ライン河沿いに、少し北上したところにある。
マインツもマンハイムも、ライン河の両岸に跨る都市だ。いわば、渡河の要衝といえる。
小さな町、マンハイムと違い、マインツは、大きな都市だ。
そもそもマインツは、マインツ選帝侯の領土だった。
1792年、フランス軍はライン左岸(西側:フランス寄り)を占領し、共和国を作った。つまり、傀儡国家だ。
当然だ。ライン河は、自然国境だからな。ライン河左岸は、フランスの領土であるべきだ。
が、オーストリアやドイツ諸国はこれを快く思わず、ここを奪還しやがった。
去年(94年)春の時点で、ライン河左岸(西側)の中流域は、ほぼ、フランスの領土となっていた。しかし、軍事的な要衝として、このマインツ左岸と、ルクセンブルクの要塞が、依然として、敵の手に残っていた。94年の戦いは、この2つを奪還し、ライン左岸を完全にフランスの掌中に収めることが目的だった。
ちなみに、去年、ルクセンブルクの要塞を包囲した中に、アンベール師団もいた。さっきも言ったように、俺は、途中参加だったが、俺の活躍のお陰で、ルクセンブルクは落ちたようなものだ。残念なことに、俺らアンベール師団は、陥落を最後まで見届けることはできなかったが。
一方、ルクセンブルクと違って、マインツ左岸はしぶとかった。同じく去年、ライン軍とモーゼル軍が、マインツ左岸を包囲したが、一向に陥落せず、フランス軍の包囲は、今なお、続いている。
「しかし、マインツ包囲軍へ援軍を出すなら、我々ライン=モーゼル軍の方が、ふさわしいのでは?」
俺は尋ねた。
包囲している兵士の大部分は、ライン・モーゼル軍の兵士たちである。距離的にも、ここ、マンハイムから近い。
「うん。だが、サンブル=エ=ムーズのクレベール将軍には、因縁があるからな。去年の包囲戦で、彼は、マインツの臨時指揮官を務めていたんだ。そもそも、93年にマインツ共和国が奪還された時も、クレベールは戦闘に加わって、負けている。さぞや悔しかったろうよ」
「しかし、包囲に師団を送ると、本体軍が弱体化してしまいます」
「その通りだ。すかさず、フランクフルトから、クレルファイ元帥軍が南下してきて、サンブル=エ=ムーズを、蹴散らしてしまったんだ。
深いため息を、俺はついた。
旧ライン軍が(モーゼル軍もだが)、大した成功を収められなかったわけが、わかった気がした。
効率性以外の動機に、動かされているからだ。
もっともそれは、軍の責任ではない。ライン軍の行動指針は、中央政府からの指令による。現場を無視した指令は、どこも同じだ。
今、クレルファイ軍に叩かれ、サンブル=エ=ムーズ軍は、南寄り、ラーン川に向かって退却した。
一方、俺のいるライン・モーゼル軍も、ハイデルベルク攻略に失敗し、デュフォール師団は壊滅、アンベール師団も敗走した。敵のヴルムザー軍は、増大する一方だ。
思わず俺は叫んだ。
「両軍とも、状況は、絶望的じゃないですか!」
「少なくとも、わが軍にはまだ希望がある。ピシュグリュ総司令官が、彼を呼んだ」
アンベール将軍が鼻を蠢かせた。
「ドゼ将軍を」
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◆地図がございます
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-147.html
一番上の地図、「資料①ダヴーのハイデルベルク攻略/サンブル=エ=ムーズ軍の退避」を参照下さい
◆フランス VS オーストリア の敵対関係の図です(肖像画入り)
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-154.html
◆ダントン自然国境説について図解
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-137.html
(以下、表記に関するお断り)
*「サンブル=エ=ムーズ」、「ライン・モーゼル」
原文は、
Sambre-et-Meuse
Rhin-et-Moselle
「-」は、日本語では、並列の「=」だと思います。しかし、どちらも「=」で結ぶと見た目が紛らわしいので、ライン軍とモーゼル軍が合体した方は、「・」で結び、「ライン・モーゼル」としました。
*「général de division」は、「師団長」と訳すのが本来の訳し方だと思います。しかし、この身分のまま亡くなったドゼ(ドゼー)を、日本では「ドゼ将軍」と呼びならわしています。したがって、場合に応じ、「将軍」「師団長」の呼称を使い分けることにしました。
同じ意味で、この時点のダヴーの階級、「général de brigade」は、「旅団長」の他に「准将」も充てることにします。
一般的には、「général de brigade」になった後、「général de division」に昇進します。従って、ダヴーは、ドゼやアンベールより、下の階級となります。なお、この時代は、どちらの階級も、手柄を立てなければ昇進できません。
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