負けないダヴーの作り方

せりもも

1 マンハイム包囲戦

第1話 ハイデルベルク撤退



 「こらーーーっ! まだ、撃てと言っておらんだろうがーーーーっ!」


 俺は、叫んだ。

 それなのに、すぐ脇にいた兵士が、発砲しやがった。遠くで、樹の皮が吹き飛んだ。

 即座に俺は、そいつの頭をぶん殴った。

「規律を守れ、規律を! 指揮官の言うことを無視するな!」

「だって、やられるんべよー」

フランスの、どこか南の地方のなまりがある。


「せめて当てんか! 弾がもったいない!」


 叱咤し、俺は、剣を振り上げた。馬に乗ったまま、そいつの頭上に振り上げる。

 兵士は呆気にとられ、次に激しく恐怖した。


「げーーーっ、指揮官様よ、そりゃ、あんまりだぁ!」

「うるさい!」


 振り上げた剣を、彼の背後から襲い掛かってきた敵兵の肩に、斜めに切り下ろした。


「! !!!」


 恐らくドイツ語で叫び、白い軍服の敵兵は、もんどりうって後ろに倒れた。


「あんがとよ、ひひひ」


 頭から敵の返り血を浴び、歯の抜けた口で、兵士は礼を言い、笑った。

 俺は、肩を竦めた。



「銃撃止めい! 全軍、突撃!」


 このまま撃ち続けたら、味方に当たる。

 それは、絶対。


 だいたい、ここにいる兵士どもは、つい先日までは、畑を耕していた連中だ。徴兵されてここに来ているが、鋤や鍬を、銃に持ち替えたからといって、器用に操れるわけがない。

 訓練をすればまだしも、ろくに指導も受けていない。敵に命中する確率は、ほぼ、ゼロ%とみていい。


 ……ったく、なんで俺が。

 ……こんな三流部隊に。


 俺は、不満だった。

 非常に不満だった。



 向こうのオーストリア騎兵が剣を抜いた。大きく振りかざしたまま、走り寄って来る。


 ……馬鹿者めが。


 俺を誰だと思っていやがる。

 天下のダヴーDavout様だぞ。その俺に襲い掛かるとは、百年早いわ! (d'Avout という先祖から伝わる名は、いかにも貴族臭いから捨てた。まあ、発音は同じだが)


 俺の方から馬を進め、剣を斜め上に薙いだ。敵の首筋から、真っ赤な血が、盛大に吹き上がった。見る間に、白い軍服が、血に染まっていく。オーストリア兵は、大地に頽れた。


 俺は、ぺっと唾を吐いた。顔に飛んだ敵の血が、口の中に入ったのだ。目の周りにも、べっとりと付着している。生温かくぬめる赤色を透かし、周囲を窺う。

 味方の兵士が、岩の上に立ち、大きな石を振りかざしているのが見えた。


 「なにやってんだ、あいつ」


 思わずつぶやいた時、そいつは、石を抱えたまま、岩の上から飛び降りた。大きな石が、足元にいた敵兵の頭を直撃する。

 オーストリア兵の顔が歪んだ。ドイツ系の顔立ちではないようだが、どこの国からの傭兵であろうか。

 たらたらと、こめかみを、血が流れた。ゆっくりと、敵兵は前へつんのめった。

 倒れた敵兵を、味方の兵士どもが寄ってたかって、石で殴りつけている。


 ……確かにここは、戦場だが。


「これじゃ、ただの殺戮じゃないかよ」


 思わず俺は、吐き捨てた。

 まったく、品位もくそもあったもんじゃない。


 あきれ果てていると、俺の右の頬を、熱い風が過った。熱風の摩擦を感じた。荒いやすりでこすられたような、広範囲の痛みだ。

 顔を、弾丸がかすったとわかった。


 ……撃ったのは、まさか、味方じゃあるまいな。

 銃撃停止の命令を出した。それを無視したのだとしたら。


 ……命令違反は、軍規違反だ。

 ぐぞう。引っ捕まえて、処罰しなければならない。この忙しい時に!



 向こうで、白い軍服がちらりと動いた。フランス兵じゃない。オーストリア兵だ。ほっとした。少なくとも俺の命令は守られているわけだ。

 それにしても、さすが傭兵、オーストリア軍の射撃の腕は確かだった。もっとも、頬をかすっただけだが。


 射撃してきた敵兵との距離は、ほんのわずかだった。向こうは、騎兵ではない。

 剣を振り上げ、俺は、馬を走らせた。

 顔色を変えて逃げていくオーストリア兵の後ろから、袈裟がけに切り下ろす。

 走りながら、オーストリア兵は倒れた。


 しかし、こう、次々と攻撃されたのでは、きりがない。すでに何人も切り倒した剣は、刃こぼれし、柄が血でぬめっている。もはや使い物にならない。

 砲弾も火薬も、残りわずかだ。


「なぜ、援軍が来なかった!」


 怒りの叫びが口から飛び出す。

 ピシュグリュは、ライン・モーゼル軍の総司令官は、何をしているのか! 安全な司令部で、昼寝をしているのではあるまいな。



 マンハイムの司令部から、同時に出撃した二つの師団のうち、ひとつは、とっくに壊滅した。残った師団も、俺の部隊以外、姿を消している。敵にやられたか、逃亡したか、どちらかだ。


 もちろん、俺は、逃亡なんてしない。部下にもさせない。

 つまり。

 ……次は、俺の番、ってことか?


 黙って殺られるつもりは、毛頭ない。一人でも多く、ヴァルハラ(北欧神話の、戦死者の館)とやらへ、連行してやる。

 俺はかっと目を見開いた。剣を握り直し、最後の突撃をかけようとする。



 「橋を渡れ!」

 その時、声が聞こえた。母国語フランス語だ。

「我々が援護する。橋を渡って、城壁の内側へ入るんだ!」

 温かみのある、柔らかな声だった。そのくせ、殺伐とした戦場に、ひどく鋭利に響き渡った。


 俺は、辺りを見回した。マンハイムの城壁が見えた。敵と、揉みあうように戦ううちに、いつの間にか、出発地点まで押し戻されてきたようだ。


 川に架かった橋の袂に、男がいた。

 黒っぽい色の目、後ろで無造作に束ねた黒い髪、浅黒い肌。

 葦毛の馬に跨ったその姿は、ひどく巨大に見えた。


 ……城壁を背負った、黒衣の、軍神。


 咄嗟に、そう、思った。

 実際には、彼が来ているのは、フランス軍の蒼い外套だったが。


 味方が援護に来たのだと、俺は悟った。

 ……呑気な司令部にも、さすがに、この窮状が伝わったか。


「全軍撤退! 町の城壁の内へ入れ! 無駄死には許さんぞ! 逃げきれ! 生きて逃げるんだ!」


 黒髪の男がこちらを向いた。俺の号令を聞いて、顔を綻ばせた。どうやら、笑ったようだ。その両頬には、ひどい傷があった。


 もたもたと、兵士どもが走り始めた。連日の戦闘で、疲れ果てているこいつらには、目いっぱいのスピードらしい。

 だが、命がかかっているんだ。それも、自分のだぞ。


「とっとと逃げんか!」


 叱咤し、歩兵どもの後方に回った。

 しつこく追いかけてくる敵兵目掛け、残してあった最後の弾薬を使った。

 連発する弾丸に怯む敵兵の前を、馬で真横に駆け抜ける。



 マンハイムの橋頭保から、わらわらと一ダースほどの騎馬隊が出てきた。

 先頭を走るのは、あの黒髪の軍神だった。


「君も行け、早く」


すれ違った時、耳元で囁くようにして、男は、敵軍に突っ込んでいった。







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