第5話 兵士たちの野営




 マンハイムの街中に、ドゼ将軍の姿はなかった。

 僅か1ダースの騎馬隊では、敵の深追いはしないはずだ。とっくに、帰陣しているはずなのに。

 ドゼという将軍に、興味が湧いた。直接会って、話がしたかった。



 「ドゼ師団なら、町の前にいるよ」

教えてくれたのは、顔見知りの准将だった。


 マンハイム城門の外へ出てみると、川べりに、大勢の兵士たちが野営していた。

 辺りは既に、暗くなっていた。

 兵士たちは、火を焚き、夕食の真っ最中だった。車座になって座り込み、怪し気な液体を回し飲みしている。真っ赤な顔になり、ひどい節回しで、歌い出す者もいた。


 その中の一人の両頬に、傷があると思ったら、ドゼ将軍だった。周りの酔っ払いは、誰も、彼が師団長だと気づいていないようだ。酸っぱい匂いのする酒を勧め、げらげら笑いながら、肩を叩いたりしている。

 これがもし、将軍だとわかってやっているなら、銃殺ものだ。



 俺の不穏な表情に気づいたドゼが、唇の前に、指を一本立てた。立ち上がり、車座から、離れようとする。


「おっ、女か!」

隣の兵士が、嬉しそうに声を掛ける。

「まあな」

「エリーゼの順番が回ってきたのか?」

「いや、それは来週だ」

「別の女か。お盛んなことだ」


 冷やかしの声を背に受け、ドゼは、歩き始めた。

 慌てて俺も、後を追う。





 「ルイ=ニコラ・ダヴー。旧モーゼル軍の准将です」

 少し歩いて、周りに人がいなくなると、俺は自己紹介した。

 一応相手は将軍で、俺より身分が上だから、敬語を使った。


ヴェグーの騎士シュヴァリエ ド ヴェグーだ」

相手はそう、名乗った。


「ヴェグーの騎士?」

聞いたことのない呼び名だ。

「昔はそう名乗ってた。区別するために。だが、もうその必要はなくなった。ドゼでいい」 

 誰と区別する為か、言わなかった。多分、兄か弟だろう。その、兄か弟が死んだかどうかしたので、区別する必要がなくなったのだ。



 「君のことは知ってるよ、ダヴー。会えて嬉しい」

 温かい声だった。


 ……う、生れて初めてかもしれない、

 俺は思った。

 人から、こんな風に暖かく、迎え入れられたのは。

 大抵の人は、心に幾ばくかの恐怖と嫌悪を感じつつ、俺を出迎えるから。


「こっ、こちらこそ。助けて頂いて。俺の兵士達も。そのう、マンハイムの城壁の前で。あ、あ、あり……」

 今まで俺は、礼というものを述べたことがない。うまく言えずに、どもってしまった。

「ありが……ありがとうございました」


「自分の仕事をしたまでだ」

目を瞑り、決死の覚悟で述べた礼の言葉を、ドゼは簡単に受け流した。


「上アルザスに、ヴルムザーを引き付けておけなかった、わが師団の責任もあるし」


 ドゼ将軍は、自分の非力を反省しているようだ。

 「またなオーヴォワール」だの、「さようならアデュー」だのと言い散らかしてドゼ将軍をかばい、それだけならまだしも、返す刀で俺をおちょくりやがった兵士どもに、一矢報いた気分だ。

 俺は、おおいに気を良くした。


 にわかに、ドゼの目の色が、深みを増した。


「だが、あれはあれで、辛い仕事だった。ヴルムザーが、ストラスブール出身なのは、知っているか?」

「ええ、まあ。ええと……」


 決して知らなかったわけじゃないぞ。だが、俺の態度を煮え切らないと見たか、ドゼが説明してくれた。


「7年戦争では、ヴルムザーは、フランス軍として戦った。イギリスとフランスが講和を結ぶに及び、彼は、神聖ローマ帝国軍に移籍し、ハプスブルク家に仕え始めた」

 ドゼは言葉を切った。

「つまり、フランス軍出身の彼の元には、エミグレが多く集まっていたということだ。」

「エミグレ!」



 エミグレとは、亡命貴族のことだ。共和制に反旗を翻し、王家に忠誠を誓った貴族たち……中でも、将校であった彼らは、亡命貴族エミグレ軍を結成、諸外国に援助を頼み、母国フランスに戦いを挑んでいた。



「……裏切り者めらが」

低い声で、俺は唸った。



 俺は、根っからの共和主義者というわけではない。むしろ、ジャコバンは嫌いだ。

 だが、母国フランスを裏切ることなど、考えたこともない。それは、とてつもない犯罪だ。



「君は、そう言うと思った」

そう言うドゼは、どこか悲しそうだった。

「だが、エミグレとの戦いは、即ち、同じフランス人同士の戦いだ。物資に乏しい彼らの攻撃は、身も蓋もないゲリラ戦だった。上アルザスでの戦いは、同国人同士の殺し合いに他ならなかった」


「……」

俺は言葉を失った。


「部下の兵士たちの攻撃が甘くなっても、それは仕方のない側面もあった。同国人を殺す辛さのあまり、覇気をなくすやつもいてな。だが俺は、部下を責める気にはなれなかった」

「……」


「まあ、そういうことだ。ヴルムザー軍を取り逃がし、ネッカー川の君の部隊に皺寄せが行ってしまったことを、許してやってほしい」



 ひどく、俺は感動した。

 こんなに深い、フランスの悩みを語り合うことができるなんて。それも、まるで、将軍自身の苦しみを話しているような、苦悩に満ちた口ぶりだった。

 ドゼ将軍の懐の深さを、俺は感じた。



 俺は、口下手で、誤解されやすい性格だ。だが、この人となら、うまく意思疎通ができる気がする。

「ひとつ、聞きたいことがあります」

それで、俺は言ってみた。


「なんだ?」

「さっき、戦場で、笑ったでしょう? 兵士どもに俺が、号令を掛けた時」

「笑った? 俺が?」


 ドゼ将軍には、心当たりがないようだった。だが、俺は、はっきりと覚えている。

 嫌な笑いではなかった。

 逆だ。

 無限の好意と優しさを、俺は感じた。


「ええ。俺があいつらに、急いで撤退するように、命じた時……」

 ……全軍撤退! 町の城壁の内へ入れ! 無駄死には許さんぞ! 逃げきれ! 生きて逃げるんだ!


「ああ!」

ドゼ将軍は合点がいったようだった。

「笑ったんじゃない。感心したんだ。君は、兵士たちを大事にしているんだな」


 別に俺は、兵士たちを大事にしているわけじゃない。あいつら、すぐ、俺のことを舐めくさりやがるし。

 ドゼ将軍の方がよほど、兵士たちに慕われている。彼の悪口を言おうものなら、すかさず、怒りの声が飛んでくるくらいだ。


 これはいったい、どうしたことだろう。


 考えた末、ドゼ将軍は、俺の甘っちょろさを指摘したのだと、気がついた。確かに、兵士どもに舐められるようでは、一人前の将校とはいえない。

 弁解を試みる必要を感じた。


「俺はまだ、ライン=モーゼル軍へ来て、日が浅いんです。だから兵士どもは、対等な口をききやがるんです。で、つい、あんな命令を……。でも、少ししたら、やつら、俺のことを恐れるようになると思います。今までずっと、そうでしたから」


「……」


 将軍は立ち止まった。

 俺の頭の先からつま先まで、じっくりと見回した。

 彼は、何も言わなかった。

 兵士どもへの、今までの俺の甘っちょろい管理が許されたのだと、俺は感じた。

 ほっとした。以後、気を引き締めて、兵士どもをびしばし、指導しよう。

 俺は、この人に嫌われたくない。








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ドゼが語っているエミグレとの戦いについて、2000字小説があります

「勝利か死か Vaincre ou Mourir」

(ドゼ自身の言葉です。副官のラップの返事が、日本でも有名です)

https://novel.daysneo.com/works/ce849fe5a968ea364fb1485a2fc68ba8.html



この掌握小説に言葉を足して、同じタイトルの短編小説に仕上げました。

https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/803492079


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