第二十二話 真夜中の刺客

「うっ、痛え……」

 ドーズは寝台から半身を起こして呻いた。

 ……彼が熱波のなかから生還しつつも、意識を手放し、そして再度目が覚ましたのは、一昼夜の後であった。幸いにも火傷は命に関わるものではなく、それから数日の間、軍医による手厚い治療によって、順調に傷は治りつつあった。

 だが、身体を動かすたびに各所に巻かれた包帯が軋み、その下に塗られた軟膏が激しく染みるのには閉口せざるを得ない。それでも彼がを身を起こそうと試みたのは、隣の寝台に横たわっているザキナの容態が始終気になって仕方ないからに他ならない。

「……まだ意識が戻らないか……」


 ザキナの火傷は深刻だった。運び込まれてきた彼女を見て、軍医はこれは助からぬ、と一度は匙を投げ掛け、とりあえず治療してみたというのが本当のところである。

 ところがザキナの生命力は旺盛であり、意識こそ戻らないものの、息を絶やすことはなかった。薬を塗られた火傷も日を追うごとに治癒の気配を見せており、ドーズを安堵させた。あとは意識が戻れば、と軍医もその日の診察の終わり、満足げに頷いたところである。


「あっ、あっ……うぅ」

 ザキナの口からちいさな呻き声が漏れる。ドーズは身を捩ると、寝台のそばに置かれた桶の水に布を浸し、ザキナの顔をそっと拭い、眠ったままの彼女に囁いた。

「ゆっくり休めよ、ザキナ」

 意識のないザキナには、聞こえるはずもない言葉である。だが、聞こえないからこそ、こんなことを言えるのかもしれない。ドーズはそう思う。


 元はといえば、彼女が承諾したとはいえ、アルムの求めに応じてザキナを敵の前に送り込まなければ、こんなことにはならなかった。仕方がなかったこととはいえ、ドーズは罪悪感をその胸に抱えざるを得ない。

 ザキナの顔を拭きつつ、彼女の処遇は、この後どうなるのだろうか、とドーズはぼんやりと考える。このまま従軍を続け、また、先日のように、戦場に駆り出されることもあるのだろうか。

 そして、アルムの命じたとおり、用済みとなれば、自分に殺されることを避け得ない運命なのだろうか。

「……あんまりだ」

 ドーズの口からぽつり、と自虐の念が漏れる。

「こんな幼い子に、酷なことを、俺たちはしている……」

 ドーズはザキナを助けたかった。いかに恐るべき力を有した少女とはいえ。そして、傷だらけのザキナの身体を見るたびに記憶に蘇るのは、かつて愛したビエナの最期であった。

 あいつも傷だらけのまま、死んでいった。救えなかった……。

 あぁそうだ、俺はもう同じことをやりたくないのだ。おそらく命絶える時まで、後悔するようなことを、俺はもうやりたくないのだ……。


 そこまで思考を巡らせたとき、天幕の入り口の布が大きく揺れる気配がした。

 夜風だろうか。ドーズは振り向く。が、振り向いたと同時に天幕のなかに躍り込んできたのは、武装した兵士である。ドーズの五感は明確な殺意を察知した。瞬時に不自由な手をできる限りの早さで伸ばして、気がつけば、寝台の横に立てかけておいた剣を手にしていた。

 そんなドーズを見て、兵士が冷たい声を発した。

「ドーズ大尉。見なかったことにしてくれ」

 そう言うやいなや、兵士は剣を鞘から抜き、寝台に横たわっているザキナの喉元に突き立てた。

「やめろ!」

 ドーズは剣を払い、間一髪のところで兵士の刃を跳ね除けた。キーン、と刀同士がぶつかる金属音が天幕のなかに響き渡る。ドーズは痛む身体を寝台に寄りかからせて、なんとか姿勢を保つ。兵士の声が再びドーズの耳を震わせる。

「大尉、邪魔しないで頂きたい。これはアルム大佐からの命である」

「やはりそうか……!」

 ドーズは唇を噛んだ。いつかこの日が来るとは思っていたが、旧友の判断は殊更に早かった。

「本来なら、彼女を殺すのは大尉、あなたの役目だ。だが大佐はそれは避けるように命じた。貴殿はその手を汚さないで済むだけ、恩義を感じるべきだ」

「恩義だと……ふざけんな!」

 猛烈な怒りがドーズの胸に湧きつつあった。しかし兵士はどこまでも冷静だ。

「大尉、指令はあなたの命まで取りたくはないのだ。だから、どうか、邪魔をしないでもらえないか」

「……断る」

「ならば、いっしょに死んでもらうしかないな」

 そう言うと兵士は、刃の先をドーズに向け直し、一気にけりをつけようと、ドーズの胸に向かって剣を繰り出した。ドーズは体を転がしてそれを避ける。ドーズの身体は限界に達していたが、傷の痛みを上回る怒りが、彼をなんとか動かしていた。


「往生際が悪い。それでも軍人か」

「お前こそ、こんな子どもひとりを手にかけるとは、それでも軍人か!」

「国を想えばこそである」

 そう兵士がそう言い放ったそのとき、ザキナがまた呻き声を上げた。

「うっう……」

 一瞬、兵士の視線がザキナに逸れる。

 ドーズはその瞬間を見逃さず、兵士の喉元の、鎧の隙間を狙って力の限り剣を振るい、突き立てた。

 手応えがあった。

「ぐっ!」

 兵士が短い叫び声を上げて、よろめく。致命傷にこそならなかったものの、兵士は思わず喉元を押さえた。その手から剣が転がり落ちるのを見て、ドーズは気力を振り絞り、ザキナを抱き起すと、天幕の外に走り出た。


 全身の火傷が燃えるように痛む。だが、ドーズは歯を食いしばりながら、近くに繋がれていた馬の枷を剣で叩き割ると、ザキナを抱えたまま馬に飛び乗り、真夜中の陣地を駆け抜ける。


「ドーズ!」

 背後から声が飛ぶ。名乗りこそしなかったが、それは他でもない旧友の声だとドーズには分かった。

「……お前はまた同じことを繰り返すのか!」

 夜風に紛れて耳を掠めたアルムの怒号に背を打たれながら、ドーズは星明かりのみを頼りに、夜の草原を馬をひたすら走らせる。躊躇いはもはやなかった。


 その目は、なにかを振り切ったかのように、激情渦巻く厳しい光に満ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る