第十四話 たかがチーズ二切れ、されど

 ドーズがアルムの天幕から戻ると、村人たちの言い争う声が聞こえてきた。何やらドーズが場を外している間に、諍いが起きていたらしい。

 すでに夜の帳が下りた村の中の、一番大きな避難場所である建物からその声は響いてきており、ドーズは顔を顰めながら、足を早めてその建物の中に飛び込んだ。


 見れば、まだ乳児である幼な子を抱いたひとりの女が、村人たちに囲まれている。

「……申し訳ありません……! でも、食べ物がないと乳が出ないんです。そうしたらこの子の命に関わります。ですから、ですから、どうかお許しください……!」

「そうは言っても、救援が来たとはいえ、数少ない貴重な食べ物は、平等に分ける決まりだろうが!」

「あんただけ、特別扱いするわけにはいかないんだよ!」

 村人が女を厳しく責め立てる。どうやら女は食べ物を余分に取り、村人たちの怒りを買ったらしい。ただでさえ、神経がささくれだっている彼らにとって、この不正は見逃せない悪事として見咎められたようだ。さらに村人が大声を出すと、女の腕の中の赤子が火のついたように泣き出した。それが村人たちの苛立ちをさらに強め、遂に村人のひとりが彼女を足で蹴りつけた。


「止めないか!」

 流石にドーズは見逃せず、その輪に駆け寄り、女を助け起こす。それを見て村人たちの怒りは、ドーズに矛先を変えた。

「大尉、そうは言っても、規則違反には厳しくしないとやってられねぇんだよ」

「彼女は、何をしたんだ?」

「チーズを二切れ、余分に取りやがったんだよ」

 ドーズは溜息をついた。

「たかが二切れだろう。見逃してやれ」

「いま、チーズ二切れといえようと、たかが、じゃ済まないのは、大尉、あんたがいちばんよく分かっているだろうが!」

「それはその通りだが……」

 ドーズはしまったと、内心で舌打ちした。彼は、村人たちのやり場のない怒りを、ますます高める返答をしてしまったということに。とはいえ、目の前で村人が女に暴力を振うのを平気で見てられない、それがドーズの性格であった。


 ……お前は甘いんだよ……。

 数日前に言われたマトウの言葉が今更染みてくる。 

 だが状況はドーズをそんな回想に浸らせるほど、もはや、平穏ではなかった。


「おい、ドーズの旦那。元はといえば、お前が所属していた国境警備隊が、あっさり、やられちまわなければ、俺たちの村は襲われることなく済んだんだろ? んん?」

「それに対して責任は感じないのかよ!」

 ドーズは唸った。反論はできなかった。国境地帯に住む人々の警護、それが隊の重要な任務でもあったことは、ドーズがいちばんよく分かっている。だが、この事態に対して自分はどうすればいいのか。まったく、ひとり生き残るとは、こういうことであるのだと、ドーズは村人の罵声のなか、感じ入らずにはいられなかった。


「軍人だったら、命を持って詫びてみろ!」

 やがて、ことさら高い村人の声がドーズの耳に響いた。そして、からん、となにが床に転がる音も。

 ドーズの視線の先には、村人が投げたナイフがあった。

「命までとは言わねぇ、今この場で、自分の片耳を切り取れたらお前さんを許してやる」

 その声と共に、ドーズは、村人に背中を蹴飛ばされた。不意をつかれ、冷たい床にドーズは転がった。その周りで村人たちの冷笑が響く。


 その時だった。

 淡々とした少女の声が聞こえた。

「蔓」

 見ればザキナが建物の入り口に佇んでいた。そして彼女は、銀筆で空になんらかの文様を描いた。すると、その瞬間、村人たちの足元が緑に染まった、と思うや否や、その緑は蔓となり、村人たちの足に絡まりつく。

「うわぁっ! なんだ! この蔓は?」

「動けねぇ!」

 途端に村人たちの絶叫が響きわたった。そこに畳み掛けるように、ザキナの声が被さる。

「蔓、もっと」

 すると無数の蔓は村人たちの喉元まで、ものすごい速さで伝い、その首を締め上げた。

「うっうっわぁ!」

 ドーズは呆然としながらその様子を見ていたが、視界の隅でザキナの腕が更に銀筆を振るおうとするのを認めると、声を限りに叫んだ。


「止めろ! ザキナ!」

 だが、遅かった。ドーズの声に呼応するように、ザキナは緑色の瞳を光らせつつも銀筆を持つ腕を下ろしたが、その時にはもう、ドーズを囲んでいた村人たちは窒息死して床に転がっていた。そして、彼らの喉を締め上げた蔓は跡形もなく消えていた。


「……ひっ! 化け物!」

 沈黙を破って、そう叫びながら建物から転がり出ていったのは、乳児を抱えた女だった。

 室内には、ザキナとドーズだけが残された。足元に転がる幾人もの死体とともに。

 ザキナは、逃げ去った女の後ろ姿を目で追ってぽつり、と呟いた。

「せっかく、助けてあげたのに」

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