第六話 グャーシャ村

 それからグャーシャ村に着くまでの一昼夜半、ドーズはザキナの正体を問いただすことはしなかった。最初の夜の会話を境に、2人の間に対話はほぼ無くなり、ドーズとザキナは、淡々と馬を進めることに集中した。


 ただ、休憩となれば、ザキナはドーズから受け取った紙と銀筆を持ち、空や雲、近くに生えている草や花を模写することに一心不乱となるのは、変わらない。その度に、ドーズは休憩の間中、付近に気を配りながらも、夢中で絵を描くザキナの姿とその絵を見ては、その才能に唸らずにはいられなかった。


 ザキナの筆さばきは、それこそ神がったような速さである。その勢いを持って、銀筆をふるい目の前の自然を、まるで紙の中に再現してみるが如く描き上げるのは、見事としか言いようがない。ドーズは時に、周囲を窺うのも一瞬忘れて、少女の技に見惚れてしまいそうになる。ただ、ドーズはそれを口には出さず、心中で唸るのみに自制していた。ザキナの絵の才能に、関心を寄せれば寄せるほど、彼女の素性が気になってしまうからだ。


 そして、栗色の長い髪と、緑色の瞳、そのザキナの外観は、彼に過去の想い人を思い出させてならなかった。だが、それはもはや手の届かぬ悔恨に満ちた苦い記憶でもある。ドーズはそれを、今更思い出したくなかった。

 それゆえ、ドーズはザキナに深く関わること、そして、その正体を知ってはならない、俺は知ってはならない、と心のなかで繰り返し唱え続けた。自分の任務は、彼女を村に無事送り届けること。それだけであり、それ以上でもそれ以下でもないと、彼は念じ、自分を戒めた。


 ……その果てに、ふたりは2日の時をかけて、ようやく、草原の小高い丘に位置する、グャーシャ村にたどり着いたのだった。


 グャーシャ村に入ったときは、もう夜であったので、ドーズは、村に一軒しかない宿屋に迷わず馬を進めた。馬を降りた彼らを出迎えたのは、宿屋の女将、フナーラだった。

「あらあら、ドーズの旦那、どうしたんだい?国境での戦はもう収まったとは聞いたけど……」

 そしてドーズの傍に、緊張のあまり、背を窄めて周囲を窺っているザキナを見つけるや否や、声を張り上げた。

「ドーズ! その娘はお前さんの嫁さんかい?そうか、結婚の休暇を得て、この村にやってきたのか!」

「違う!」

 フナーラの早とちりにドーズは慌てて大声で異議を申し立てた。自分のいまの顔は、恐らく心なしか赤くなっていることであろうと思えば思うほどに、誤解を早く解かねばと気持ちが早る。ドーズは、フナーラに向き合い、些か早口で述べた。

「ちょっとこの子のことで頼みたいことがあってな、任務で来たんだ」

「ほう、その子のことでねぇ……。とりあえず中に入んな、話はそれからだ。さあ嬢ちゃんも宿に入んな!」


 フナーラのその声に促されて、ドーズとザキナは宿の中にはいる。カンテラで明るく照らされた宿屋のなかは、旅疲れた2人にとって、なんとも心地よい空間に感じられた。だが、ほっとしてもいられない。ドーズはフナーラを捕まえると、事の次第をさっそく説明すべく口を開きかける。


 それに対してフナーラは笑いながら言った。

「ドーズの旦那! 相変わらずせっかちだね。話なら空いてる部屋で聞くから、とりあえず嬢ちゃんはここで子どもらと夕飯食べてなさいな」


 見れば、宿屋の大広間の隅のテーブルでは、小さな子どもたちがまさに熱いスープに息を吹きかけているところであった。ザキナはフナーラに言われた通り、おずおずとテーブルのまえまで進み、腰掛ける。途端に子どもたちの好奇心がザキナに炸裂する。

「お姉ちゃん、綺麗な髪だね!」

「お姉ちゃん、どこからきたの?」

「名前教えて、お姉ちゃん!」

「こらあんたたち! 静かに食べなさい!」

 最後の大声はフナーラのものだ。

 だが子どもたちは、突然現れたザキナに興味津々で、スープをすする手も止まりがちである。フナーラはその様子に苦笑しつつ、ドーズと話をするべく、隣の部屋に彼を引っ張り出こんだ。

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