第五話 私が殺した
国境地域の荒野を抜け、ようやく地面に鮮やかな緑が揺れる草原地帯に2人の馬が入った時は、夕暮れが迫っていた。ドーズは馬を止めると、並んで馬を進めていたザキナに声を掛けた。
「今日はここで野営としよう」
2人は馬を降りた。ドーズが手早く、近くに生えていた手ごろな低木に2頭の馬を繋ぐ。そして荷物から毛布を出し地面に敷く。次にカンテラを出すと、火打ち石を使い中に火を灯した。
そのドーズの手早い一連の動きをザキナは見惚れるように眺めていたが、やがて、毛布の上に腰を下ろすと、しばしの間、暮れゆく夕陽にその緑色の瞳を投げていた。
やがて、ザキナはおもむろに、懐からドーズより貰った紙と銀筆を取り出すと、なにやらまた、絵らしきものを一心不乱に描きだした。そのザキナの手は、ドーズが干し肉とパン、乾燥した果物を毛布の上に並べ、ささやかな夕餉の支度を終えても、止まることなく動き続けていた。
「今度は何を描いているんだ?」
「夕陽が地平に落ちるところ……それと、宵の星」
ドーズがザキナの手元に視線を投げてみれば、たしかにそれらしいものの絵が描かれている。生き生きとした鮮やかな夕暮れの草原の風景であった。絵心のないドーズにも、ザキナの絵の腕が卓越しているものであることに、改めて舌を巻かざるを得なかった。
「……おい、夕食の準備ができたぞ」
ドーズが声を掛けて、やっと、ザキナの手は止まった。ふたりは星の煌めきはじめた空の下、ドーズが用意した食物に向かいあう。
「美味しい……」
干し肉に手を伸ばしたザキナがそう呟く。
「こんな、美味しいもの、暫く食べたこと無かった……気がする」
続き果物とパンを頬張り、またザキナは囁くように言った。ドーズは眉をしかめた。
「お前は、あの廃坑のなかでどう暮らしていたんだ? 食べるものはどうしていたんだ」
考えてみれば、出会った時の、ザキナは手足を鎖で拘束されていた。あれでは、外に出て食べ物を探しようもない。そうとすれば、誰か、ザキナの世話をしていた者がいたことは明白であった。
「お前を世話していた者は、どうした」
ドーズは干し肉を噛み砕きながら、出来るだけさりげなくザキナに問うた。ザキナは食事の手を止めて、ドーズの顔を見つめなおした。その緑色の瞳のなかにはカンテラの光が、静かに揺れている。ザキナはそのままの姿勢で暫くドーズと向かい合っていたが、やがて、観念したかのように、俯くと、ぼそりと呟いた。
「私が、殺したの」
ドーズはそのザキナの答えに一瞬、息が止まりそうになったが、なるべく慌てずに、口の中の干し肉をゆっくり飲み込んで、鋭くザキナに問いを投げた。
「お前が……? なぜ、どうやって?」
ザキナは暫く沈黙を貫いた。栗色の長い髪がしなだれ落ちた細い肩が、細かく震えている。カンテラの心許ない明かりの中でもはっきり見て取れるほど、ザキナはドーズの問いに、そして自分の答えに動揺していた。
「いまは、答えたくないか」
沈黙を破り、口を開いたのはドーズの方からだった。草原の生ぬるい夜風が、まとわりつくように2人を包む。促されるように、ザキナが頷く。
ドーズはそれを見ながらゆっくりと腰から短剣を抜き、静かにその刃をザキナの首に置き、尋ねる。ザキナは首に突きつけられた冷たい刃の感触に、びくりと今度は大きく肩を震わせる。
「これだけは確かめておく。お前は、隣国ハエラの者ではないな……?」
「それは……ないです」
「なら、良い」
ドーズはザキナの首から短剣を離し、腰の鞘に戻した。カンテラの光がゆらゆらと夜風にそよぎ、2人を照らす。
「……斬られるかと……」
やがてザキナが呟いた。
「俺が確かめておけばいいのは、それだけだ。お前の正体を探るのは、お前を村に届けたあと、そこの世話役どもの仕事だ」
ドーズはやや早口でザキナに向かって、噛み締めるような口調で己の立場を告げる。だが、その台詞は、ザキナへというよりは、自分に言い含める響きがあることを、ドーズ自身、自覚していた。
夜風に舞う栗色の髪、緑色の瞳。この少女からは、姿からだけでなく、その佇まいから、視線から、遠い日に見たような既視感を覚える……。いや、錯覚ではない。たしかに似ているのだ、あの女に。
だから。
……これ以上、俺は、この少女に関わってはいけない、で、ないと……俺はまた……。
ドーズの胸中に、自らの声が木霊する。その自身を戒める声に従うように、ドーズはザキナになおも言った。
「お前の正体について、俺はこれ以上興味を持たぬ。……さ、食べる物を食べたら、寝る準備をしろ。草原の夜は意外と冷えるから、気をつけるんだな」
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