第四話 当たり前なだけ

 次の朝、地平線から太陽が昇るよりも早く、ドーズとザキナは駐屯地を旅立ち、馬上の人となった。昨日とは打って変わった、晴天の空。その下に広がる駐屯地のある国境地域は、茶色い大地が見渡す限り広がる荒地である。


 敵襲があれば、すぐにでも分かることに、ドーズは武人としての安心感を得ていたが、その代わりに照りつける陽の光は朝から激しく暑いものであり、ドーズはザキナの体調がいささか気がかりであった。

「ザキナ。疲れたらすぐ言うんだぞ。そうしたら休憩にするからな」

「ええ」

 黒いローブを頭から被ったザキナは、こともなさげに答えた。それはだいぶん旅慣れた印象をドーズに与えるもので、そういえば、馬を操る手管をだいぶん鮮やかだ。とても昨日の昼まで、あの独牢のような、廃坑のなかに幽閉されていた少女とは思えない。

 ザキナの失った記憶にあるかつての生活は、だいぶ活動的な暮らしだったのではとドーズは思い、そのことを言葉にして問うてみる。

「ザキナ、お前、馬にも乗り慣れているようだし、あの炭鉱に来る前は、だいぶん旅慣れた生活をしていたんじゃないか?」

 するとザキナは黒いローブの裾を揺らしながら、いささか弱々しい声音で首を横に振った。

「……まだ、思い出せないの」

「そうか」

 ドーズは、少し急かしてしまったかな、と思いながらその答えを受け取った。まぁいい。すべてはこの子を安全な場所に送り届けてからだ。急ぐことはなにもない。そして、村に落ち着き全てを思い出した頃には、俺のことも忘れているだろう。俺も、その頃には、ザキナのことなど思い出せないような、激しい戦の中にいるかもしれぬ。


 ……そこまで考えて、ドーズは思った。いま、胸の内に虚しさを醸し出す影が差したのは何故だろうか。と。

 そして、ドーズは漸く気がついたのだ。マトウの言う通り、ザキナはどこか面影が似ているのだと。遠い遠い昔となった記憶の中に潜む、かつて恋焦がれた、あの女に。


 そうか。

 ……はじめて見た時、見知ったような気がしてならなかったのはそのせいか……。

 ドーズは低く声を立てずに笑った。そして、その笑いに、自嘲の色が滲み出ていることに気づいて、もう一度口を歪め、そんな自分を、笑った。


 ……陽が高く昇りつつあった。遮るもののない強い光が、馬に揺られるふたりを包みこんだ。


 昼前に、荒野の真ん中なら転がった、大きな岩の影で休憩を取ることにした。馬に水を飲ませ、そして2人は自らの喉へも潤いを満たした。ローブを被っていても、照りつける日差しにザキナの頬は既に紅く焼けている。それだけに、喉を潤す水は甘露であったらしく、ザキナは、一気に革袋を傾け、ほぅ、と満足の吐息を漏らした。


 それを見つめていたドーズの顔には、自然と微笑みが浮かんでいた。それに気づいたザキナが、ドーズに思わず尋ねる。

「どうして、私に優しくしてくださるのですか?」

「優しく?」

「ええ、だって。私をあの炭鉱から救い出してくれただけでなく、こうして私を親切に送り届けてくれるなど……」

 ドーズの答えはそっけないの一言に尽きた。

「あんなところに、お前みたいな子どもが囚われていたら、誰だって助けずにはおれないだろう。それに、この旅は、隊長に命じられた任務だからな」

 そう言うとドーズはなんとはなしに、ザキナから視線を外した。その目は、どこか遠くを見つめるような面持ちであった。だが、その瞳に今映るのは、ただ延々と続く褐色の大地のみである。


 どのくらいそうしていただろうか。

 ドーズが我に帰ると、ザキナは一心不乱に足元の土塊に、何かを指で描いていた。

「おい、何を描いているんだ……?」

 ザキナは視線を足元に向けたまま、答える。 

「……雲と空……あんまりにも綺麗だから」

 そう言われてみると、ザキナの指が導き出す線は、雲のようであり、それが浮かぶ空のようでもあった。絵心は全くないドーズには、それが上手なのかどうかはさっぱりわからなかったが、なんとなく感じいるものがあり、思わずぼそっ、と呟いた。

「お前は、本当に絵が好きなんだな」

「好き?」

 ザキナは指を動かしながら答える。

「好きなんじゃないわ、あたりまえなだけよ」

「あたりまえ?」

 ドーズにはその答えが何を意味するのか分からず、つい、復唱してしまう。そして、この娘について深く考えることはもうよそうと思いつつも、その正体を探りたくなる気持ちが、胸のどこかで疼いているのを自覚する。

 

 だが、それは口には出さず、代わりにドーズは荷物の中から皮の表紙で綴じられた帳面を取り出し、何枚かの頁をびりり、と破ると、いっしょに出した銀筆ぎんぴつとともにザキナに差し出した。

「使え。村に着くまでは、これに絵を描くといい」

 ザキナは驚いたように、ドーズからの突然の贈り物を手にした。そして、数瞬ののち、年相応の、喜びが弾けるような声音で礼を述べた。

「ありがとう……!」

 ドーズはその笑顔に、心を満たすものを感じながらも、ふと、思った。

 そういえば、採鉱窟の壁面にあった、あの文様は何であったのだろうか……?

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