第三話 揶揄いの声
仄暗い夕闇のなか、ドーズは駐屯地の隅にある、自分の宿舎に急いで足を運んだ。建物のなかに入ると、ざわざわとした男たちの声が行先から聞こえて来て、嫌な予感が当たったことをドーズは知った。さらに足を早めて階段を息を切らして自室のある3階まで駆け上がり、廊下に視線を投げると、果たして、ドーズの部屋の前には黒山の人だかりが出来ていた。
ドーズはたまらず叫んだ。
「おい、お前ら! その子は見せもんじゃねぇぞ!」
その声に、群がっていた隊員たちがドーズに一斉に顔を向ける。そして、ニヤニヤとしながら、口笛を口々に吹いて、ドーズを迎えた。
「おおっ、ドーズ様のお帰りだぜ! 嬢ちゃんを助け出した王子さまの再登場だ」
「もっとも王子さま、って歳でもないけどなぁ」
「どっちかというと、娘と、父ちゃん?」
「やかましい!」
軽口をたたく同僚たちを睨みつけると、ドーズは開けっ放しにされた扉のなかを見やる。なかには、部屋の隅で震えるザキナがいた。ドーズが報告に行っていた間に、噂が噂を呼んで、男たちはひさびさの女を一眼見るべく、ザキナを置いておいたドーズの部屋に殺到したらしい。ザキナは、身体さえ触れられなかったとはいえ、大勢の男たちによる不遠慮な視線を身体中に浴びて、見るからに怯えていた。
「ドーズ! お前、この
「抜け駆けするんじゃねぇぞ!」
「もう手ェ付けたんじゃないだろうなあ」
「うるせえ!」
調子にのって喚き続ける男たちを、再び怒鳴りつけてドーズは部屋の中に駆け込み、乱暴に扉を閉じた。
一瞬のうちに喧騒は遠ざかったが、ザキナの顔は青ざめたままだ。
「すまん。ザキナ。何もされなかったか?」
ザキナは無言のまま、膝を抱えている。
「答えられないくらい怖かったか。ほんとうにすまない。女に飢えてる男どもってのは、お前みたいな子どもにでも面白がって食いついてくるものなんだ。まったくもう、あいつらときたら……!」
ドーズは、怒りのままに白髪まじりの黒髪を掻きむしりながら、ザキナに詫びた。同僚とはいえ、こんな子どもを怯えさせるようなことをするとは、まったく嘆かわしいことだ。そう思いながらザキナの顔を見やると、青白いながらも、ザキナは微笑もうとしていた。
「……いえ、別になにもされなったし、大丈夫」
ドーズはやや意外そうな面持ちで、ザキナを見返した。あの採掘坑のなかで名乗り、わからない、と繰り返したのみは、今に至るまで、ドーズに対しても、黙り込んでいた。
ドーズが、短剣で無理やり彼女を拘束していた鎖を叩き切ったときも、その身体をそっと抱き上げて、背中に背負い山道を下っていった際も、一言も言葉を発しなかったのだ。だが、いま、ドーズの部屋の隅に座り込みながらも、大丈夫、と答えたその声には、たしかな芯を感じさせる力強さがあった。そして、口に浮かべた微笑みも、そう不自然なものではなかった。
ドーズは安堵した。無理やり攫うようにあの廃坑からここに連れ出してしまったが、その選択は、彼女にとっても、あながち間違いではなかったようだ。
「隊長と話し合って、お前の身柄をどうするか決めてきた。ここから1番近い村に、お前を預けることになったよ。明日朝一で出発だ」
ドーズは、語りかけるようにザキナに話しかける。
「ここと違って、グャーシャ村にはお前のような女子どもも沢山いるし、きっと預かりたいって家も見つかるさ」
「……お心遣い、ありがとうございます」
ザキナはぽつりと囁くようにドーズに礼を述べた。だが、そのとき、浮かべた微笑みがふっと寂しげな表情に振れたような気がしたのは、ドーズの気の所為だったかどうか。だが、ドーズはそれについてはあまり深く考えず、語を継いだ。
「そこでゆっくり、記憶を思い出せば良い。さぁ、今日は疲れただろう。まだ夜は早いが、そこの寝台に横になるといい。俺は隣の部屋で寝かせてもらうから」
そう言うと、ドーズは部屋を出ていこうとした。そのとき、ザキナの足元に何かの模様、らしきものが描かれているのに気がつき、ふと、足が止まった。積もった砂と埃を指でなぞって、ザキナが描いたものらしい。
……よく目を凝らしてみれば、それは何かの花らしき絵だった。
「絵が上手なんだな」
「えっ」
「いや、そんな床の上に、きれいな花の絵が咲いてるものだから、びっくりしたよ」
ザキナは、にこりと笑った。それは年相応らしい、少女らしさに満ちた笑顔で、ドーズのそれまでの気苦労を霧散させるものであった。
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