小瓶
芋鳴 柏
小瓶
コロナ禍が始まってからだろうか、妙に最近は胡散臭い広告が多い。
ようつべの広告動画に、ネットをうろついていると流れてくるタブ。無数に張り付けられているのはそっち系のものだったり、どうみてもグレーのお金云々などなど。
ネット社会を生きる以上はスルースキルを嗜んでおかないと、結構面倒くさいものばかりである。
特に、ようつべ。
どう見てもアウトの詐欺系広告が多いことこの上ない。
いつもは無視しているそれらに、今日という日に偶然と、一つの広告に出会ってしまった。
何処の馬の骨かも分からない小説の広告である。
私は、吐き気がした。
気になったというか、読むべきでもないというか、どう見ても凡骨で、自費出版でもしたのかという程のシンプル過ぎる表紙と、その貧乏くささに私は、少しばかり気になってしまった。
調べてみると、自称小説家の誰かが書いて出版したもの。
どうせ調べたのも何かの縁と考えて、お試しの冒頭だけ適当に読み流すと、またもや吐き気を催した。
ふーん、としか言いようのない、「まあ、ありそう」な小説である。
おそらくカクヨムを漁れば、これレベルの凡作、ちょっとモノクロ感のある前衛的な文章もちらほらあることには、あるだろう。ただで読めるのに、こんなものに二千円は払えない。
一般人の感覚として、普通、そんな名も知らない小説は読まない。
まずもって、調べたりもしないだろう。
私は、吐き気がした。
自称小説家という職業の人間が、広い世間にどれだけいるかは知らないが、自分の書くものに才能を見出して、タダで書き並べる凡骨は、一定数いる。
カクヨム然り、そういった駄文の山はどこにでもある。
そういった連中の凡作が、胡散臭い広告の一つとして誰かの目に留まる事もある。
同じように、自称小説家になりたがっているような凡骨の目に。
私は、自分の頭の中では名作であるものを、外に出して稚拙な語彙で彩る事で形にしようとしている。書き上げてしまったものを、せめても誰かの目に留まるように、自費出版やネットの海に垂れ流すことも厭わない。
そうやって流れた小説が、この広告であると言うのなら、まるで自分の未来を見ているような気がしてならない。
そういったモノが流れ去っていくのを半ば同情で手に取ってもしまった。
特段、面白くもない物にわざわざこんな文章を書いているだけ時間の無駄かもしれない。
だが、気づかせるものがあった。
現実に、文章を書くことが好きだからと言って、真っ当な評価を受けて大成する人間は、ほんの僅かしかない。本当は、いないかもしれない。出版にこぎつけたとしても、ようつべなんかに広告を出そうとする執念の人さえいる。
文章を書くことは、知性がいる。
碌な学歴を持っていない自分が、教養の無い自分が一体何を書けようか。
書けたとしても、私にはSNSを使って読者を収集したり、広告を出したりするほどの執念はない。書いた物だけで勝負をしようという、夢を持っていたい。
ただ、そんな中でも、どうしようもない現実が垣間見えたという話である。
人間生きていれば、勝手にやる事が増えて、下らない筆を動かす間もなく、人生を終えられる。
今日も無数のアカウントが作られてはエタっていく。
そんな中に、察することだってあっていいかもしれなかった。
誰も読まないのに、流す価値も、書く価値もあるだろうか。
まるで漂流島から、小瓶に文を書いて広大な海に流すような真似だ。
それをどれだけの人間が好きでやっているのか、分からない。誰に届く宛も無い。
凡作が、自分の手に留まったのは同情とはいえども、小瓶を掴んだようなものかもしれない。
この小瓶が、誰かに届くことを、そんな奇跡を祈るばかりである。
小瓶 芋鳴 柏 @ru-imo-sii-cha-96
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます