21話 狂愁/追憶と決別
目の前の光景に、置かれた状況に、音に悲鳴に銃声に……。
全てに、現実感がない。
「戦える奴は銃を持て!負傷者の退避を!」
叫び声、悲鳴、銃声――突如巻き起こったその状況下で、ある者は逃げまどい、ある者は銃を手に、あるいは鎧を纏い、方々へ駆けていく。
混乱。混乱だ。
混乱の最中、俺は立ち尽くしていた。
銃を持った兵士達が向かう先を見る。逃げる者が背を向ける先を見る。確かに、右翼後方――俺がトレーラに乗せられてきた方向。そちらで、夕日に照らされた地面が、蠢いていた。
竜。単眼の怪物。その、群れ――何匹いる?わからない、鎧を纏っていない、レーダーがなければ目視だけでその全体を把握することは難しい。
「…………ッ、」
呼吸が荒くなる。心臓が早鐘のように、酷く、酷く、凍えていく…………。
俺の目の前を、包帯を巻いた男が走って行った。白い包帯に血を滲ませながら、十を手に、歯を食いしばって。
俺は…………、俺は怪我をしていない。俺は、戦える。“夜汰々神”の所へ行くべきだ。戦うべきだ。そうは、思うのに………。
「クソ……」
身体が動かない。
扇奈が。スルガコウヤが、仲間が死んだかもしれないのに。
今この瞬間だって、怪我を押して前に出ようとする奴がいるのに。俺は………。
悲鳴。銃声―――。
この後方野営地の護衛部隊だろう。“夜汰々神”が弾丸を放ち、迫って来る濁流、竜の群れが血しぶきに変わるが――その流れをせき止める事は出来ない。
『時間を稼げ、本隊にきゅうえ――』
『クソ!クソ!』
悲鳴と銃声を、俺は見ているばかりだ。“夜汰々神”の首が、トカゲに撥ね飛ばされる。その残った胴体は倒され、次から次と踏み倒され――。
……見慣れた、光景だ。いつも見ていた光景。見て、無視していた光景。狂気に飲み込まれて、気にしないようにしていた光景。
地獄だ。地獄が、迫って来る。
輸送車両軍、トレーラが呑まれる。踏まれ、えぐられ、そんなトレーラを踏んだ竜を、次の竜が踏んで――迫って来る。それを俺はただ眺めて、眺めるばかりで、現実感が、実感が遠く……。
ふと、だ。
ダダダダダダ――この混乱の中で、統制の取れた音が聞こえた。
一人が闇雲に撃っている訳ではない。隊列を組んで、火線を合わせた殲滅射撃。何体かの、“夜汰々神”――中には“夜汰鴉”も混じっている――その部隊が、竜の側面から、制圧射撃を行っていた。
この野営地の護衛か。あるいは、ここが戦略的に重要な拠点だから、指揮官――殊洛が部隊を裂いたのか。
側面から制圧射撃を行う部隊。その弾丸が竜の群れを引き裂いている。1部隊じゃない。左右から、似たような部隊が現れている。そちらは、オニの部隊。
そうやって、そうやって――目の前に現実感がないままに、俺はそれを眺めて……。
そんな俺の真横を、FPAが駆けていく。“夜汰々神”、“夜汰鴉”……増援に継ぐ増援。それが俺の横を通り抜け、陣形を敷き、竜の群れへと射撃を行っていく――。
混乱が収まり始め、どこかで歓声に近いような声も上がっている。
十分な数の増援が来た。指揮官が優秀なんだろう。必要な時に必要な場所に頭数を揃えられることが、指揮官の優秀さの証だ。
だから、だから、だから………。
だから?
……リアリティが、ない。全てに。
銃声が響く。集中砲火、制圧射撃が竜を弾き飛ばす。それをただ見ているだけ。
ただ、突っ立って………。
「伍長!―サ――スイ―ン伍―!」
呼びかけられ、肩を叩かれた。銃声でとぎれとぎれの中、誰かに呼ばれ、そちらに視線を向ける。
あの、衛生兵だ。ミカミ、……サユリ。それが、俺を呼んでいるらしい。突っ立ってたから呼びに来たのか?退くべきだ、下がるべきだ、その通り。ここは危険だ。真横の銃声で耳がおかしくなるくらいだから。
だから俺は動こうとして、その動きはゆっくりで、ゆっくりでも動き出そうとして、
その瞬間、だ。
暮れ始めの夕陽、その色に染まった世界。
それが、稲妻のような、真っ白な輝きに、包み込まれた。
覚えのある、最悪の感覚に―――。
*
薄汚い部屋。
『ほら、てじなだよ~?』
そう、僕が、――年端の行かない少年が、誰かがあやしている。本当に本当に幼い頃の、仲間の、カウンセリングの、箱庭の、その前の記憶。煙草の匂いが染みついた、汚い……腐ったような匂いのする、部屋。
そこで、小さな小さな少年は、言う。昔、そう言ってもらったように。そうやって見せて貰ったのが、なんだか、嬉しかった気がしたから。
『てじなだよ~、』
そう言って、その四角い紙の箱が何なのか良くわかってなかったけれど、良く、お母さんが持ち上げていたそれを、なんでかこのところ動いていないお母さんの前で、掌にのせて、ほんの少し浮かして、それで、がりがりで動かないお母さんの前で、
『てじなだよ~、』
なに一つ理解していない少年は、無垢に、母親に元気がないから、喜ばせたいと――。
*
「………ッ、」
立ち眩みから覚めたように、目を開く。今のは……今のは、何だ。俺は何を思い出した。今のミイラはなんだ………クソ。なんなんだ……。
俺は……俺はどこまで呪われてるんだ。鼻から、ずっと昔から、俺は……。
「いったい………。伍長?とにかく、下がりましょう。生身で前線は――」
ミカミサユリがそう言っている。その声が、聞こえる。
「……………?」
その違和感に、ミカミサユリも気が付いたらしい。
静かだ。……静かすぎる。銃声が、聞こえない?
びちゃり。
水音と共に、何かが俺とミカミサユリの前に落ちた。
腕だ。鎧の――真っ赤に染まった“夜汰々神”の腕。20ミリを握ったままの、ひじから先。それが、跳んできた。
一気に、音が周囲で膨れ上がる。
悲鳴、銃声――オニ、あるいは生身で戦っていた奴の銃撃が、竜を射抜いて行く。けれど、FPAはどれも、固まったまま、動いていない。
くぐもった悲鳴が聞こえる、ガリと、装甲を抉る音が聞こえる。
知っている。それは、その状況に俺は前置かれた、俺のトラウマの元凶。
鎧を殺す光―――この間の知性体?あいつは、殺したはずだ。同じ能力の知性体がいた?それとも……いや、そもそもこの戦術。この間の戦域で俺達がされて、エンリが殺された――あれとそっくりだ。
餌を置いて、そっちに本隊を裂かせた上で、こうやって手薄な拠点を潰しに来る。
扇奈は、懸念してた。そもそもなぜ、あの戦域に知性体がいたのかと。
そして、こうも言っていた。我らが皇帝陛下と同じ、……新兵器の試用。
あの半透明な奴は知性体じゃなくて、もっと別の奴があそこにいたのか?それとも……能力と戦術が継承されてる?人間が、そうやってるように、トカゲが……。
あの、知性体がいるのか。そう、探ろうと視線を周囲に走らせた途端、
「……………、」
そんな余裕のある状況じゃないことが、わかった。
目の前で、動きを止めたFPAが……解体されている。抉られ、削られ、噛み切られ、破片が周囲にまき散らされて、赤い雨が……。
無力化されたFPAが、竜の濁流に呑まれている。銃を持って戦うオニやヒト、生身のそれが懸命に守ろうとするが、守り切れず、やがて解体され終わったFPAが倒れ、その死体を踏み越えて。
……目が合った。
単眼。ただの、雑魚。ただのトカゲ。その巨大な目が俺を捉え、俺の姿を映し、怯え切って固まった青い目の男がそこに影を見せる。
竜は、俺へと、歩み寄ってくる――舌なめずりでもするかのように。
それを前に、俺は………俺はまた、動けなかった。
エンリも、こうだったんだろうか?それとも、抵抗したのか?出来たのか?オニだから、出来たのかもしれない。扇奈はいつもこうやって、生身で立ち向かってるのか。
歩み寄る竜、その大きな口が、深い洞穴が、目の前で開かれ――。
もう、食われても良いような気がした。呪われてるから。周りに死が多すぎるから。復讐も、多分もう、望んでなくて、心の底で、やったところで成し遂げた所でなんの意味もないんだと、帰ってくる訳でもないんだと、そう、わかっているから。
だから…………
「伍長!逃げてください!」
銃声と声が聞こえる。ミカミサユリ――俺の横にいた彼女が拳銃を手に、それを俺の目の前の竜へと放っていた。
けれど、拳銃じゃ、意味がない。20ミリなんてバカげた口径が用意されるくらいだ。護身用の拳銃なんて、竜の外皮に弾かれるだけ。ただ、竜の注意を引く、だけ。
嗚呼、クソみたいな偶然だ。
竜の単眼が、サユリを向いた。
「……………ッ、」
サユリは気丈だ。唇を引き締め、拳銃を竜へと放ち続けている。この後、何が起こるか、知ってる。わかってる。何度も見た。夢でも現実でも、同じような、ミートソースを。
皆、そうやって―――。
「――逃げてッ!」
逃げて。逃げて逃げて逃げて。逃げて………。
―――生きてください、殿下。
その言葉に背を向けて、恨んで、呪って。
―――君に会う時は、欠かさず煙草を吸っておくことにしよう
その言葉に、甘えて。
―――スイレン?ほら、手品だよ~。
その思い出を全て、イヤなことだからって、なかった事にして。
俺が望んでいたのは復讐か?復讐すら、逃げ道だったんじゃないのか?楽な落としどころだっただけじゃないのか?
おかあさんが死んだ。それがなんでか、わからなかった。今、今の俺なら、わかる。栄養失調でも、流行病でも、多分、俺を抱えて困窮に落ちて、無理をした結果だ。あの時、もう少し俺が賢ければ。
サユリが死んだ。目の前で殺された。理由はわかる。俺がいたからだ。俺を逃がそうとしたからだ。あの時俺が強ければ、力があったら、判断力があったら、勇敢だったら、覚悟があったら、わかっていたら、……助けられたかもしれない。復讐じゃなくて、俺は…………失いたくなくて、嘆いてももう戻ってこないから、
エンリが死んだ。俺はもう強かった。俺がいたら守れたはずだ。俺がその場にいれば、それだけで、俺は…………。
「クソが、」
今の俺はなんだ?賢くない訳じゃない。力がない訳じゃない。その場にいないって訳でもない。ただビビッて動けないってだけで、それだけの理由でまた見送るのか?目の前でミートソースになるサユリを?
「クソがァァッ!」
吠える―――体が動く、今動かないようなクソみたいな体ならもうこのまま死ねば良い。死ぬ可能性を念頭に置いてその上でそれを無視すれば良い。いつもやっていた、そうだ……いつもの事だ。
駆け出す――怪物を目の前に、拳銃を、弾切れになったそのトリガーを引き続ける少女へ。
横から、引きずり倒すように――真横に、トカゲの大口があって、そこからサユリを逃がすように、押し倒す。頭上で、竜の大口が閉じ、サユリがわずかに悲鳴を上げる。
その身体が震えている、おびえている。当たり前だ。怖くない訳がない。見ず知らずの他人の為に勇気を振り絞ったんだろう。勇気を持って、恐怖に打ち勝った。それを、俺は………。
「クソが、」
誰よりも、何よりも、自分自身に対してそう吐き捨てて、俺は立ち上がる。
――目の前にトカゲがいる。俺を眺め、その尾が、揺らめいている。たとえ生身ではなくとも、それは何回も見てる。そう、そうだよ。俺はお前に詳しいんだ。何度も何度も、これを目の前にした。これを目の前に、生き延びてきた。
………だから、
「俺はもう無力なガキじゃない、」
呟いた瞬間、目の前のトカゲの尾が、舞った。横薙ぎだ、それが、見える――確かに、鎧は纏っていない。身体能力は低いかもしれない。けれど、反射神経は同じだ。
屈む――屈む頭上を鋭利な尾が、食らえば吹っ飛んでミートソースみたいになるんだろうそれが通過したが、それだっていつもの事だろう?
いつもと違うのは、攻撃手段がない事。いつもなら殴ってでも殺せるけど、生身じゃそれは出来ない。けど、それもいつも通りだ。そう、いつも地獄にいるから、見慣れてる。ほら、そこに腕が落ちてる。20ミリを掴んだままの、誰かの腕が。
20ミリなんて、バカげた、FPA用の武器だ。生身じゃ、持ち上げるだけで精いっぱいだし、反動で撃った方が吹っ飛びかねない。
けれど、
『ほら、てじなだよ~』
ミイラをあやそうとしていたのが、俺なら。
『ほら、手品だよ~』
そうあやしてくれた人の血は、確かに俺の中に混じってるから――。
すぐ目の前の単眼。そこに、青い目の男が写っている。そいつは、嗤って。
「……手品だよ、」
呟いた直後―――俺の目の前にある竜の頭が、吹き飛んだ。
どさりと、竜の身体が倒れる――頭がミートソースになったオブジェが、崩れ落ちる。
その返り血を浴びながら、視線を向ける。落ちていた20ミリ。落ちていた、誰かの腕。それが宙に浮いて、その引き金が確かに引かれていた。
一気に、周囲にリアリティが増す―――音の洪水が押し寄せ、周囲の情景が目に付く。
動きを止めた鎧。それを守ろうと、戦い続けているオニ、生身の人間。勇敢だ。
近場にも、そんな光景がある。そちらに、青い視線を向ける――視界の隅で、宙に浮いた誰かの腕がそこを向く。トリガーを引けば―――竜の頭がミートソースに変わる。
……使える。確かに俺は、半分エルフだったらしい。そう、試してから知って、それから俺は、腰を抜かしたままの少女を見た。
「……歩けるか?」
「…………は、はい、」
ミカミサユリはそう、立ち上がった。無事、らしい。ならそれで良い。
「助かった。けど、俺はもう、……大丈夫だ。お前が逃げろよ、」
その俺の言葉に、ミカミサユリはどこか呆然と固まり……それからゆっくり頷くと、退いて行った。退く先には、負傷兵や非戦闘員がいる。
と、だ。ボトリと音がした。見ると、さっきの誰かの腕と20ミリが、地面に落ちている。持ち上げようとすれば、また浮き上がったが――完全に思い通りとは、いかなそうだ。
だから――暮れかけの夕陽の最中、俺は、駆け出した。
銃声は響いている。まだ、味方は居る。動きを止めた鎧を守ろうとしている。そんな銃口を聞きながら、俺はハンガーへと向かった。
予備機として運び込まれてきた、“夜汰々神”。その中に、俺の鎧もある――一目見ればわかる。なんせ、新品だ。まだほとんど使っていない。
そこへと駆け寄りながら――思いついて、異能を使ってみる。見えない手を伸ばすように。
すると勝手に、その鎧――“夜汰々神”が開いた。内側に煙草が張り付けてある、鎧。棺桶のような、その中。
また、身体の動きがおかしくなるかもしれない。けれど、だからって逃げるよりは良い。今すぐ近くに、竜がいる。まだ、戦っている奴がいる。
復讐の為じゃない。可能な限り、味方を守る為に。
狂気に任せて、無理やり乗り越えるんじゃなく、勇敢に、向き合って、冷静に。
俺は、鎧の中へと、身を滑り込ませた。
心臓の位置に、煙草の箱がテープで張り付けてある……お守りは、ある。
鎧を立ち上げる―――暗がりの中、息を整え――やがて、目の前に景色が映る。
HUDは機能している。身体も、動く。あの、鎧を殺す光に耐えてるらしい。そういう風に改良されたんだったか?
とにかく、動く。身体も、鎧も……。
「……
自分に向けて、そう呟いて………俺は、
→サイドストーリー
21.5話 東乃守殊洛/俯瞰する指揮官
https://kakuyomu.jp/works/16816452218593368305/episodes/16816452220035870190
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