20話 停滞/困惑と安定と成長と……

「あんたは、怖くないのか?竜が」


 遠く銃声は響き続けている――俺の離隊に関する手配は、すぐに済んだらしい。扇奈のコネってのは強力なんだろう、言われるままに荷物をまとめ、輸送車が来るのを待つまでの短い間。


 俺は、“夜汰々神”を。そしてその横に並ぶ“夜汰鴉”を見ながら、そう尋ねてみた。

 “夜汰鴉”の武装を確認している隻眼の男――スルガコウヤは、手を止めないまま、言う。


「イヤ。……俺は昔からずっと怖い」

「冗談だろ?」

「本気だ。……ただ、竜より、竜に味方が殺される方が怖いってだけだ」


 ……まさに英雄の回答だ。俺は、そんな事を思ったことはなかった。いや、今は……この部隊に来てからは違うのか?同じ部隊に長生きな奴はいなかったし、俺だけ先に逃げるなんてことも……。


「……俺はそこから抜け出せずに、ここまで来た。早く抜けられるのは悪い事じゃないはずだ。女より戦場を取った奴は、そう思う」

「……ソレ、俺じゃなくてあの皇女様に言えよ。話に行くんだろ?」

「ああ。……そっちの方が戦場の数倍怖いな」


 本気で言ってそうな辺り、このおっさんはいまいち尊敬しきれねぇな。

 けど、スルガコウヤは戦場に残って、俺が逃げ出すのは、確かだ。働けないんじゃ、居た所で、それこそ周りの生存率を下げるだけ……。

 …………クソ。


 *


 お見送りなんてもんはなかった。そんな事されたらたまったもんじゃないって、部隊にいるどいつもこいつも、わかってるのかもしれない。


 特に声を掛けられる事もなく、俺と俺の荷物――“夜汰々神”は運ばれて行った。本陣の後方野営地――補給用、あるいは負傷者用の、この戦場の最後尾の野営地へ、だ。

 そこから俺は東部拠点に運ばれて、“夜汰々神”は予備機扱いで戦場に残る。


 はぐれた竜と遭遇する、なんてこともなく、遠くの銃声、爆撃の音に、トレーラのエンジン音を聞きながら、俺は、後方野営地へと辿り着いた。


 *


「こっちだ!もたもたするな!」

「物資だ……違う、弾薬だ!弾切れで死なす気か!」


 後方野営地。降り立った途端、そこら中から怒声が響いてきた。外縁に護衛だろうFPAやオニ、それ以外の人間は皆武装せず、だが、忙しそうに走り回っている。


 コンテナが幾つもある。食料の入ったモノ、弾薬、武器類の入ったモノ、それらの間をここに配属された部隊の人間が、走り回っている。


 補給がなければ、戦争なんて出来ない。間違いなくこの戦場の最重要拠点の一つであり、同時に、補給以外の役目もこの場所にはある。


「――があああああああああああああああッ!」

 雑に包帯を巻かれた兵士が、担架の上で呻き、それを医者が診ている。壊れた鎧も幾つか運ばれてきて、その中から使えるパーツを探り、あるいは武装を回収し………引きずり出された赤い肉に、布がかぶされ運ばれて行く。


 医療施設でもあるのだ。まだ兵士として使えるか、もうだめか。本国まで間に合うか、間に合わないか。そういう判断をし、可能な限りの治療を施す場所。


 本陣から離されているのは、……けが人を見せるのは兵士の士気に関わるから。大規模作戦では後方に作られるのが常だ。


 別に、俺はこういう場所に来たのが初めてって訳ではない。……エンリと初めて会ったのも、こういう後方拠点だ。こういう場所で、カウンセリングを受けて……。

 ……………。


「あの、」

 と、だ。そうやってトレーラの横に突っ立っていると、そう声が投げられた。


 視線を向けた先にいたのは、ヒトの女だ。女と言うより、まだ少女。俺より若いだろう。ショートカットで、軍服には白い腕章をつけている。医者、後方衛生兵、もしくはその補佐役――まあ看護師みたいなモノだろう。


 彼女は、手に持ったカルテ、あるいは辞令か?そんな書類を、見ながら、問いかけてくる。


「負傷者がいると聞きましたが、どなたですか?大怪我で緊急搬送と……」

「そいつの名前は?」

「クサカベスイレン伍長です」

「……じゃあ、俺だ」


 言った途端、その衛生兵は怪訝そうに俺を眺め、手元の書類を眺める……。


「コネがあって、ビビッて逃げて来たんだ。居ないものだと思ってくれて良い」

「そうですか………」


 言って、衛生兵はまた書類を見て、立ち去ろうとして、やっぱり辞めた。そんな風にこっちに視線を向け、声を潜め、聞いてきた。


「……何か特殊な任務ですか?」

「ハァ?」

「クサカベスイレン。青い目の勲章授与者で、あのスルガコウヤの部下、ですよね?噂が色々……ああいえ。言えないなら良いんです。何か要望があれば、言って頂ければ」


 そう、その衛生兵は頭を下げて、駆けて行った。忙しいんだろう。後方だから暇、なんてはずもない。


 ………青い目の勲章授与者?おっさんの部下?あのぼうっとしたおっさんの御威光で俺もなんか言われてるのか?……東部拠点で模擬戦してたせいか?確かに、おっさん目当てで野次馬もいたにはいたが………。


 何か、特別な任務を受けた、特別な奴に見える?まあ、確かにコネで特別待遇、を好意的に見るとそうなるのか。

 けど、今、その言葉は、皮肉にしか聞こえない。


「ビビッて、逃げ出しただけだ……」


 小さくそう呟いて、俺は懐から煙草を取り出した。


 *


 遠く、戦場の響きを聞いて、忙しく走り回る兵士たちを眺めながら、煙草の匂い。

 …………どうしても、思い出す。


 正しい判断だ。そのはずだ、そうだよな、エンリ。合理的だし、それに、どうしようもない。怖くて戦えないんだ。多分、まともになって来たんだろ。緩めてたネジが元に戻って来たから、こうなってる。


 復讐。復讐。復讐。そればかり考えて、それ以外を無視していれば、怖くなかった。けれど………。


 もう、俺は自分が復讐をしたいと思っているのかも、わからない。いや、わからないなんて曖昧な心境じゃない。


 復讐なんてしてどうするんだ。そう、思ってしまっている。

 大和紫遠に会いたいってのも、今となってはもう、ただ、と話してみたいってだけだ。


 サユリの話を聞きたいだけ。あの離宮にいたころの話を聞きたいだけ。

 あるいは、母親の話も、どうして俺が引き取られたのかも、聞きたい、か。


 地面にしゃがみ込み、煙草の箱を手に、それを眺め、手遊びのように、念じてみる。

 アイリス……だったか?あのエルフがやっていたように、あるいは、遠い昔見たような、そんな気のするあの記憶のように………。


 浮き上がったり、する訳もない。

 …………。


 これで良い。これで良いんだ。桜花から出された条件は、“スルガコウヤの前で死なない”だ。それは、満たしている。扇奈にしろ、スルガコウヤにしろ、あるいは部隊の他のオニ達も、死ぬわけがない。あいつら、俺より強いだろ。


 だから…………これで、良い。良いんだよな?


 *


 数日。何をするでもなく、後方拠点にいた。東部拠点、内地への移送はそれ用の輸送車両群がある。空輸だとここからの回収は出来ないから、定時にやって来るそれに乗って、内地へ向かう。


 俺の席は、あった。けれど、辞退した。を優先してくれ、と。


 そうやって辞退し続けて、何をするでもなく数日、だ。ぼうっと……これじゃあのおっさんとみたいだな。ぼうっと、何をするでもなく、合理的だなんだ言いながら、未練たらたらで……。


「……伍長。今回は、どうされますか?」


 ぼうっとしてるとたまにその確認の言葉を投げられる。あの、最初に俺に話しかけてきた衛生兵だ。俺が毎度医局の負傷者に席を譲ってたら、その確認をしに来るようになった。ただこの事務手続きをするのがコイツってだけの話だ。


「負傷兵を優先してくれ」

「今日は……席が余るそうです。前線の戦況が安定してるらしいです。竜の絶対数が減って来ているとか……詳しく知っている訳ではないんですが」


 戦場が安定している……勝ち戦で、俺が席を譲るような怪我人もいない。

 ……いよいよ、俺が、こんなところに居続ける言い訳がなくなった訳か。


「わかった。手続きはこっちでやるよ。……暇だからな」


 そう言った俺を、その衛生兵は怪訝そうに眺めている。

 ……俺が何か密命を受けた特殊部隊だ、と思ってるんだったか?正直、鬱陶しい視線だ。


「俺は英雄じゃない。ただビビッて戦場から逃げ出しただけのクソ野郎だ。これで満足か?」

「あ、ああ、いえ。すいません。少し、その………」


 そう言い淀み、それから、その衛生兵は、どこか伺うように視線を俺に向ける。


「……一つだけ、お聞きしたいんですが。ミカミヨウヘイ、と言う人を知りませんか?」

「ハァ?何の話だよ」

「私の兄でして、軍属だったんですが、その……最後の手紙で、あの、部隊に青い目の奴がいるって、それで……何か、知りませんか?」


 ………………。

 俺がいた部隊に、こいつの兄がいた、かもしれないって事か。その話が聞けたら、か。


 けど……扇奈の部隊に入る前は、仲間の事なんて見てなかった。見た所でどうせ皆死ぬし、事実皆死んでた。


「……悪いけど、覚えてない。思い出したら手紙でも出すよ。あんたの名前は?」


 後半は気休めだ。仲間だったかどうかもわからないし、仲間だったとしても、覚えてない。……この位しかかけてやれそうな言葉が思いつかなかった。


 そう言った俺を前にその衛生兵は残念そうに、だが頷き、名乗った。


「はい。ミカミサユリ2等兵です」

「………冗談だろ?」

「はい?」

「いや、こっちの話だ。………なんでもない。思い出して……思い出したら……軍を通じて連絡する」


 それだけ言って、俺はどこか逃げるように、その場に背を向けた。

 サユリ?……まあ、確かに、珍しい名前じゃない。スイレンやら扇奈、と比べたらそれはいるだろう。ただの偶然だし……どっちにしろ、もう会う事もないだろう。


 *


 さっさと立ち去ろう。そう思って、手続きをした。

 輸送車両群の責任者には、それこそあらゆる意味で怪訝な目で見られたが、関係ない。さっさと立ち去ろう。それで、桜花と話を付けて、大和紫遠と話して………。

 それで終わりだ。全部終わり。終わりにしよう。

 どこか無気力で投げ槍で、クソみたいな気分だ。

 そんな気分のまま、俺は仲間を置いてさっさと一人だけ戦場を逃げ出す。


 ……その、はずだった。


 手続きが終わった直後。輸送車に乗り込む、前。

 悲鳴に近い声が、聞こえてくる。

 叫び声が状況を知らせる。


「竜だ!回り込んでやがったッ!右翼後方を抜かれた!ここに来るぞ!」


 右翼、後方。

 ……扇奈が、スルガコウヤが………俺の部隊仲間が居た場所だ。

 そこが抜かれた?やられた?そんなはずがない。そんなはずがないと、そう思考停止に近い状態で、俺は立ち尽くし……。


 銃声と、断末魔が、すぐ傍から聞こえた。その聞きたくもない音へ、向けた視線の先。


 …………単眼の群れが、こちらを見つめていた。

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