19話 心因/狂気薄れ、素顔脆く

 寒々しく葉の落ちた木々の群れが淀み踊っている。風の仕業?いや、違う。その中に潜む怪物の蠢きだ………。


『側面から回り込もうとしてる群れがいる。50匹くらいで、確認できたのは雑魚だけ。ただはぐれただけか、それとも性格悪いなんかかはわかんないけど、指揮官様曰くこっちで処理しろ、だそうだ』


 通信機から、扇奈の声。だがその姿は見えない。俺の後方、オニの部隊と行動を共にしている。


 迂回して側面を突こうとしている竜の群れ50。普通に考えれば、50は結構な脅威のはずだ。だが、この部隊にとっては、大した数ではない。

 まして、英雄様からすれば、それこそただの雑魚だろう。


 俺の横には“夜汰鴉”――スルガコウヤがいる。


『堅実に行こうか。コウヤ、スイレン。釣って連れて来な。こっちの布陣は終わってる』


 射線の通り難い林の中から、トカゲを誘導し、陣形を敷いてある開けた場所へ誘導する。それが、扇奈の作戦だ。正直、作戦などなくとも、50くらいならスルガコウヤなり扇奈なり、どっちかが一人で狩れるんだろう。あるいは、俺でも。


「……………」


 僅かに、息が荒い。俺の息だ。外の寒さが鎧を突き抜けて迫ってきているかのように、凍えているような、そんな気が、だんだんしてくる………。


『わかった。……スイレン。先行する。お前は援護だ。出来るか?』

「…………」


 妙な気分だ。高揚感が、ない。いつも、戦闘の直前にはあったはずの熱が、あるいは狂気が、薄い。ただ、ただただ、なんだか妙に、狭い場所に押し込められている、そんな気分で………。


『スイレン?……どうかしたのか?』

「あ?………いや、問題ない。あんたについて行けば良いんだろ?」


 そう、俺が言った所で、“夜汰鴉”――スルガコウヤがこちらに視線を向けた。鬼の面のような仮面のついた鎧――その向こうの表情は、わからない。


「なんだよ………」

『……そうだ。可能な限りついて来い。危険と判断したら引け。その判断は出来るな?』

「わかってるよ、」

『なら良い。扇奈、始めるぞ』

『はいよ、お好きに英雄さん。……わざわざこっちに仕事残さなくても良いからね』

『……わかった、』


 そう、応えた直後――“夜汰鴉”は動き出した。駆け出し、目の前の林――竜の群れが潜むそこへと、一切の躊躇いなく踏み込んでいく。


「…………、」

 その後を、俺も銃――20ミリを手に動き始め……けれど、その身体が、イヤに重い。


 クソ、何なんだ?それこそ泥の中でもがいてるような気分だ。身体が動かないって訳じゃない。けれど、反応が鈍すぎる。高揚感がない。狂気がない。代わりに別のモノがある。冷静さ?そう、確かに冷静だ。冷静だが……冷静過ぎる。


 銃声が響いた。林の中に突っ込んでいったスルガコウヤが、発砲したらしい。同時に、枯れた木々が、その中に潜む怪物の群れが、大きく蠢いたんだろう。


「…………ッ、」

 それを、そんな、怪物の群れが潜む林を、暗闇を、俺は外から眺めていた。


 出遅れた。援護に行くべきだ。英雄様は無茶苦茶な動きをする。けれど、模擬戦の甲斐あってその動きはある程度掴めるようになってる。援護は出来るはずだ。出来るはずだと言うのに………。


「……ハァ、……ハァ、」


 動いてもいないのに息が荒い。冷や汗が噴き出ている。心臓が早鐘のように脈打って、目の前の蠢く枯林、怪物の潜んでいるその場所が、酷く暗く、酷く大きい影のように、見えてくる………。


 銃声は聞こえ続けている――なんで俺はこんなところで突っ立ってるんだ。


「クソ、」


 毒づき、林の中に踏み込もうとした瞬間――。

 ―――見えた。林の隙間にいる、トカゲ。蠢く怪物。単眼の異形。ただの雑魚だ。ただの雑魚が林の中を駆け回り、木をなぎ倒し、あるいは削り取り、がりがりがりがりと……。


「…………ッ、」


 身体が、動かない。息が荒くなる。だんだんと、呼吸が、それこそ溺れたように細く荒く、心臓がうるさく、寒くて寒くて、凍えて………。


「クソ、」


 毒づいても体が上手く動かず、無意識に、俺は、後ずさっていた。

 怯えるように。怖れるように。……それこそ新兵のように。


『………スイレン?どうかしたか?』


 スルガコウヤの声が聞こえる――通信だ。銃声は届き続けているし、その通信越しに、周囲で竜が騒めく音が、俺の耳に届いてくる。がりがりと、閉所の中で、ただ近くの死の音を聞く……。


「………ッ、」


 また一歩、後ずさった。なんだ、どうなってる?なんで、俺は……なんで俺はビビってるんだ。


「クソ、」


 また毒づいて今度こそ、地獄の中に踏み込もうと――そう視線を向けた先に、目が存った。


 たった一つだけ、顔の中心についている、大きな目。巨大な目。怪物の目。死を運ぶ異形の、目。死。


「…………ゥッ、」


 それが、すぐ目の前――林の切れ目にいた。撃てば当たる。いつもならもう撃ってる。もうあの気色悪い顔面はミートソースに変わってる。はずだと言うのに、身体が、それこそ死体にでもなったかのように、重い……。


 音が聞こえた。ガリと、竜の爪が木を削る音。バリと、木が薙ぎ倒される音――。

 ――トカゲが突っ込んでくる。大口を開け、その牙をこちらに、よだれをまき散らしながら、


 それを、前に………おびえ竦み切ったかのように、身体が上手く動かず、


「……クソ、クソ、クソ!」


 毒づいて、毒づいて、毒づいて――俺は漸く、トリガーを引いた。

 フルオートだ。まき散らされるだけ。いつもならこんな醜態は犯さない。この距離なら一発で済ます。けれど、


「……来るな!」


 それこそ上ずったような叫びが俺の口から洩れ、まき散らされた弾丸の狙いは、遅く緩く、


 一発だけ。一発だけ、それは目の前の雑魚トカゲに命中した。けれど、雑な狙いのせいで、当たったのは顔面でもどうでもなく、退化した羽、前足だ。


 大口を開け、吹き飛んだ羽から鮮血をまき散らし、バランスを崩した竜が自分の勢いに呑まれて転がって行く。


「………ッ、」


 それから、そうやって片足をもいだはずの竜からすら、俺は、後ずさっていた。意図したことじゃない………意図した通りに身体が動かない。


 心臓が音が聞こえる。荒い息が聞こえる。寒い、汗が気持ち悪い、狭い、凍えるように体が動かない。


 単眼――片足をもぎ取った竜、きりもみに転がり、そこから身を起こした怪物、その単眼が、俺を捉えた。


 威嚇するようにその尾が奔る、空を切る。怒りに震えるように大口が開かれ、閉じる。

 そして、その竜が、這い寄ってくる……吹き飛んだ足から流れる血で地面を濡らしながら、尾を振り回し、牙を剥き出し、ただ、ただただ俺を殺そうと迫って来る――。


「……………、」


 いつもなら、いつもなら……いつも通りなら、そんなモノ観察しない。もう殺すか無視してよそへと動いている。けれど、俺は、その手負いの雑魚から、目を離せなかった。


 目を離したら、背中から、見えないところから貫かれて殺される気がする。死ぬ気がする。怖い、怖い、怖い………。


「クソ、」


 毒づいて、俺はトカゲへと銃口を向け――けれど、俺の身体は震えているんだろう。その銃口がまるで定まらなかった。トリガーを引いていても、這い寄ってくる死の頭上を通り過ぎて枯木を抉るだけだ。


「……クソ、クソ、……」


 撃っても、撃っても、当たらない。当てられないまま、這いずる竜は俺の傍まで迫り、その尾が翻り、突き出される。


 刃のようになった尾。見慣れた狂気。内側に入り込んだ方が安全だと、そう体験して知っている、本当に本当に慣れきっているはずの光景。


 それが、酷く、

「………クソ、」

 ………怖かった。すくみ上って、震えあがって、動けなくなるほどに。


 いつもなら。普段通りなら。いつも通りに動けさえすれば――そう願っても体は、鋼鉄の鎧に、棺桶につなぎ留められたかのように――。


『スイレンッ!』


 声が聞こえ、直後、俺の目の前で鮮血が舞った。

 20ミリに撃ち抜かれたのだろう、振り回されていた尾が途中で千切れ、弾け飛び――それと同時に、杭が一本、真横から竜の顔面を貫く。


 両手で同時に撃って、両方ピンポイントで当てたのか?そういう事がわかる位に、俺は確かに冷静で……けれど、身体は弛緩して、動かず、冷や汗ばかり……。


『スイレン?どうした?』


 声が聞こえる。見ると、真横に、“夜汰鴉”――スルガコウヤが横に降り立っていた。


 英雄様が助けに戻ってきてくれたらしい。いつもなら、いつもなら、皮肉か強がり位、俺は言うだろう。けれど、


「……………、」


 何も言えず、俺はただ俯いた。


『……扇奈。スイレンがおかしい。俺は一旦このまま離脱する。20くらいはもうやったはずだ。後は、』


 ……完全に足手まといだ。そう、静かに、俺は俯いていた。


 *


 ――今回は取り乱していないんだね?ふむ、なるほど……。良かったのか、悪かったのか。とにかく乗り越えたという事だ。


 始めの方の、カウンセリング。2回目の戦闘を終えて、呼びつけられた直後、エンリが俺に言った言葉だ。その頃は、俺は多分まだエンリを全く信用してなくて、それこそ言ったとして多分クソが、だけだろう。勝手にあっちが話しかけてくるだけで、俺はほとんど聞き流していた。


 ――初陣は死亡率が高いんだ。当然の事だけどね。けれど、除隊、離隊率が高いのは、2度目の戦闘を終えた直後だ。知っている恐怖に立ち向かえる人間は少ない。怖くなかったかい?君は、かなり取り乱していた方だったし……。


 クソが。そうは、言った。けれど、それだけじゃない。そう、俺は確かに言った。

 復讐を遂げるまで、俺は死なない。


 狂っていた。ネジを飛ばしていた。恐怖も倫理も信頼も、全て。だから、俺は耐えていられたんだろう。

 けれど………。


 *


 遠くから銃声が聞こえてくる―――それを、俺は、テントの中で聞いていた。

 この戦場で俺達が配置された場所。殊洛のいる本陣後方の――最初に戦場を見物してた場所。そこに設置してある簡易テントの中。


 さっきの竜の群れは、扇奈達が倒した。スルガコウヤに護衛されながら、俺は撤退し、テントの中一人………。


「クソ………、」


 毒づく、他にない。わかってる、わかってるよ、エンリ。俺は今、自分がどういう状況か正確にわかってる。


 復讐心が薄れたんだ。まともに、戻り掛けてる。狂気に縋ってネジを飛ばして怖くないことにしていたから、そのネジがまともに戻って、結果、怖くなった。でも、多分、それだけじゃない。


 これは、心因性の運動機能障害だ。この場には持ち込んでいない。けれど、譲ってもらったエンリの本の中に、良く開いてたんだろうページがあった。寄れて、プラシーボやら名誉除隊扱いにやら、そういうエンリの走り書きが多かったページ。そこに書いてあった。


 PTSD。


 今こそ頼りたいけど、もういないから、大丈夫、わかってる。


 原因は、多分、知性体を殺した時だ。あの知性体の最後の悪あがきで、“夜汰々神”が動かなくなって、戦場で、動けない鎧の中で、ひたすら死に怯えたあの時。アレが原因で、だから、俺は……心底怖くなったんだ。動けなくなるほどに。


 症状の分析と分類もしよう。模擬戦は大丈夫だった。“夜汰々神”を纏っても、その時点では発作は起こらなかった。だから、言ってしまえばそう、純粋に戦場が……竜が怖い。


 回復の為に必要なのは?確か………そう、徐々にならすとか。あるいは、成功体験で塗り替えるとか、とにかくまた場慣れを積み重ねる事。けれど、今やっている戦争は………。


 ……………。

 懐から煙草を取り出す。咥えて、火を点けて……その慣れた作業をする手が、震えている。

 遠くから聞こえてくる銃声、戦場の音が、怖い………クソ。


 と、だ。

 そこで、テントの入り口が開く……入ってきたのは、紅い羽織のオニ。扇奈だ。


「…………」


 特に何も言わなかった俺の元へ、扇奈は歩み寄ってくると、向かいに胡坐を掻いて座り込んだ。それから、特に何も言わず……俺を眺めていた。それを前に、俺は紫煙を遊ばせ………。


「………心因性の運動機能障害だ。多分。ビビッて動けなくなったって話だ。こないだ、鎧が死んだ時。アレが原因だと思う。トラウマになった」


 あの直後に戦闘があれば、……もしかしたらこうはならなかったかもしれない。期間を置いてしまった結果、恐怖が肥大化した。いや、どちらにしろ鎧がなかったから、無意味な仮定だ。


「……スイレン。あたしは医者じゃない」

「わかってる」

「あんたに目を掛けてる上官だ。そして、ここは後方でもまだ戦場。あたしには判断する義務がある」

「ああ」

「……戦えるかい?」

「………………」


 俺は応えなかった。戦えない兵士に居場所はない。まして、今も戦闘は続いているって状況下だ。


「………離隊か?」

「あたしは色々コネがある。現場にね。負傷兵扱いにしてやれる」

「心を大怪我しましたってか?そんなもん昔から――」

「戦場に残りたいか?手柄が欲しいか?また勲章を狙って、それで今度こそ、大和紫遠に復讐、かい?望むなら……拾っちまったからね。ここに居続けても良い。かばってやる」


 俺の言葉を遮って、扇奈はそう問いかけてきた。

 沸きかけた苛立ちを、紫煙と共に吸い込んで………俺は、息を吐く。


「勲章は……もう、必要ない。桜花と、殿下と話がついてる。大和紫遠に会う方法がある。反故にされる可能性もあるけど、………ここでわざわざ危険を犯して狙う必要があるとは思わない。復讐も……今は、したいのかどうかわからない」

「…………」


 何も言わず、ただ黙って、扇奈は俺の言葉を聞いていた。


「富士ゲートを壊せば、戦争は終わりだろ?勝てばもう終わりだ。今、戦えないのに無理して残って……俺が。……俺がいる居ないでこの戦場の勝敗が変わるか?」

「変わらないよ。あんただけじゃない。あたしやコウヤももう、関係ない。純粋な戦力の規模として、これは完全に勝ち戦だ。この戦場に英雄は必要ないよ。まず間違いなく、物量で押し切れる」

「なら………俺がここに居る理由は、もう、ないのかもしれない」


 働けるなら、勝つまでいただろう。けれど、おびえてカラダが動かない兵士では、居た所で味方の足を引っ張るだけだ。徐々に慣れていく、と言っても、……これで終わる戦争だ。慣れてどうするんだって話だろう。


「…………」


 暫く、扇奈は俺を、あるいは俺の目を、読み取るように眺め……やがて、呟いた。


「わかった。正しい判断だとあたしも思う。……手配しとくよ」


 言って、俺の肩を軽く叩き、扇奈は立ち上がった。それを、俺は見上げて。


「ああ。……世話になったな」


 そう、呟いた俺を、扇奈は暫し眺めて……。


「……先に帰るってだけだろ?内地であたしに酌しなね?今日のこれも笑い話だ。だろ?」


 そう肩を竦めて、扇奈はテントを後にしていく。


 内地で、か。

 合理的な判断のはずだ。正しい判断のはずだ。けれど、心残りがない訳じゃ、ない。


 仲間を戦場に置いて、俺だけ逃げ出すのか。クソ……。

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