8話 煙草/灰塵の残火

 ―――嫌いなんだ、煙草は。


 俺がそう言ったのが何回目のカウンセリングの時だったか、俺は覚えてない。何回かカウンセリングを受けた後、だ。


 初陣で荒れて、その後、カウンセリングで呼ばれ出して、軍務、規則上の義務として俺はカウンセリングを受けていた。俺の復讐とか出自とかは、最初に全部俺が吐いてたらしいが、何を話したのか俺は覚えてなかったし、その時まで、カウンセリングで俺が話したのは適当な内容ばかりだった。受ける意味も価値もないと思ってて、何度も呼ばれて何度も煙草の匂いをかがされるのが心底嫌だった。


 だから嫌いだと言った。

 円里は言った。……私もこれは嫌いなんだと。


 前に診た患者がヘビースモーカーだったんだ。健康に気を遣わなければならない程長生きできるとは思えなかったそうだよ。それから程なく、その患者は居なくなった。ここはそういう場所だからね。私は煙草を吸ってみた。せめて何かを理解して上げたかったんだろう、私は。彼は明るい性格でね。話をするのが楽しかったんだ、私は。してみたかった話の代わりだよ。そうしたら、いつの間にか癖になってしまった。


 カウンセラーが自分の事を話してるんだ。どっちがカウンセリングを受けてるんだって話だ。それから、講釈が始まった。


 煙草は母性への執着だなんだ、大層なお話だ。

 大層なお話を聞き、……なんかの魔法か催眠術か、俺は煙草が嫌いな理由を話した。


 離宮が燃えるその前。煙草と嬌声、毎夜別の男。そんな悪夢を思い出すから、と。とにかく嫌いなんだ、と。


 ―――なるほど、本当に効くのか。

 ―――秘密を暴露されると、人は自分の秘密もその相手に伝えようとする傾向にある。

 ―――勉強になったよ、ありがとうスイレン。


 人を実験台にしやがったって話だ。クソが、と吐き捨てると円里は笑っていた。煙草に火を点けたまま。


 ―――人は忘れることが出来る。高尚な機能だ。けれど、それは、記憶を消去するって簡単な話じゃない。薄れていくだけだ。魔法使いではないからね。少し指を振るだけで悪夢を消してあげることは出来ない。けれど、別の思い出を混ぜ込んで、薄れさせてあげることは出来るかもしれないと思うんだ。


 そして、円里は、くたびれた―――離別が多そうな寂し気な瞳で俺を見て、言った。


 ―――だから私は決めたよ。君に会う時は欠かさず煙草を吸っておこう。


 ヘビースモーカーが今更何言ってやがるんだ。口が上手いだけのクソだ。ただ向こうが呼びつけて、顔を合わせる機会が多いだけの、奴だ。老けない女。いつの間にか見下ろしていた。部隊の仲間と違う。帰ったらいる。いなくならない。悟ったような説教臭い話を、して、俺が俺の話を出来る相手。


 ふざけんな、クソが。いつもいつも鬱陶しい。毎度毎度………。

 ………絶対にいなくならないんだろうと、そう、思っていた。


 *


 ―――林を抜けた先にあったのは、奇妙な静けさだった。


 テントが燃えている――夜空に炎が瞬き、その音が蟲の羽音のように響く他、音がない。

 その静けさを、俺は知っている気がした―――見覚えがある。


 燃える離宮。倒れたサユリ―――頭がミートソースなそれが置かれた、もう、終わった後の離宮。


 兵士が歩んでいる。探しているんだろう、俺を。あるいは、俺に続く手掛かりを。

 襲撃され終えた拠点が受けるのは調査と捜索で、それはただの作業だから、銃声も悲鳴も響かず、ただ燃える炎の音だけが響く。


 ………兵士トカゲが、いた。何かの兵士トカゲ。探している……誰を?何を?わからない。ただ静かに闊歩し、ヒトの、オニの死骸を見つけては探り、あるいはテントの中を探っては物品を咥えて出てくる。倉庫代わりのトレーラを漁って、FPAの部品を――多分それが何かもわからずに咥え上げて、出てきている。


 現場の雑兵に知らされる情報なんてほとんどない。ただ言われた通り、言われたものを拾って帰るだけ。その行動をとっているのが人間なら、まだわかる。けれど、竜が……?


 水の中に浸かっているような気分だ。冷たい水の中に居て、身じろぎできず、蓮の影に息をひそめて、悪夢が覚めるのを待っていたことがある。そうやってこれと同じものを眺めたことがある。動けなかった。ただ、ただミートソースになったサユリを見ていた。


 そこから、俺は、どうして生き延びたんだ?どうやって?今目の前にある異様な竜の行動を眺めながら、そこに過去が重なる。


 その離宮を燃やした革命軍には、ボスがいた。いや、正確に言えばその時はボスではなかったんだろう奴。軍服を着ていない、端正な顔の男。傍に同じように私服の、護衛らしき人間を従えた男。それが、燃えた離宮に後からやってきた。


 サユリ。頭のなくなったサユリ。それを、革命軍の兵士が眺めている。捜索の目が池に向く。僕の方を向く。革命軍兵士は僕を探す為に池へと近づいてきて……それを、その、ボスが呼び止めた。革命軍兵士は、言っていた。


『情報提供者』


 その、情報提供者が声を投げると、革命軍の兵士は池の、僕の捜索を止めた。それから、その、情報提供者は、そいつは…………。


 そいつは……?そいつの事を、俺は、知っていた…………?あいつは、本当に、サユリの、俺の知り合いだった?それを、俺は、忘れていた?なんで?恨んだ……助けてくれなかった。『情報提供者』。僕を、サユリを裏切って、ミートソースに………。



「………………ッ。一匹も逃がすな!」


 ふと、声が聞こえて、直後に静かな悪夢は現実の銃声に彩られた。燃え上がり灰になった離宮テント群へ、オニの軍勢が攻め入って行く。太刀を手にタガが外れたように、片っ端から竜を叩き切って行く、紅い羽織の背中。続く何人ものオニ。竜は?逃げ出す奴もいれば、立ち向かう奴もいる。動かない奴もいる。それを、それを目の前にしながら――。


 俺は、まだ過去に居た。


 情報提供者。知っている男。ボス。裏切り者。そいつは、倒れたサユリだったものを眺めていた。その男の視線が池を向く。蓮を向く。水蓮、その影の僕を見る。目が合う。


 男は言う。

『………もう、逃げたらしいな。これ以上荒らさせるな』


 そして、僕は生き残った。取り残された、一人ぼっちで。どうして?なんで?わからない。この記憶はなんだ?アレは、大和紫遠?あいつの事を俺は知っていた?裏切った?あいつは、本当に、サユリの、俺の知り合いだった?それを、俺は、忘れていた?なんで?恨んだ……助けてくれなかった。『情報提供者』。僕を、サユリを裏切って、ミートソースに………。


「………下がりなッ!」


 オニの声に部隊が動く。動きかけたその瞬間――夜に閃光が奔りぬけた。


 砲撃?さっき見た、竜の光線?それが、何処からか、このテント群を狙ったらしい。


 オニが、テントが、竜が、射線上にあった全てが蒸発している。扇奈が指示を飛ばす。僕の名前を呼んだか?けれど、僕の身体は動かない。


 あの時のように、皆底に沈み込んで縮み上がって凍りついてしまったように、身体が、動かない。なんでだろう?怖いから?違う、信じたくないからだ。そこが現実だと僕は思いたくなかったからだ。


 ずっと。最初からずっと。この場所に来て、林を抜けた直後から、ずっと、見えていた。


 ………白衣が倒れている。誰だかわからない。誰だかわからない。誰だかわからない。違うよ、違うよね?違うよ………。


 ミートソースを誰かが踏んだ。誰かが、首のなくなった白衣を見下ろしていた。


 ………誰か、じゃない。竜だ。口元が真っ赤な、竜。ほかの竜より一回り小さいかもしれない。白い、半透明で、小さくて、脈動するごとに青い輝きが身体から漏れ出ている。そんな竜。


 それの近くには別の竜が2匹居た。普通の竜と同じくらいのサイズ。けれど、色が灰色で――それこそ鎧でもまとっているみたいに、身体の節々が硬質化している。そんな竜を2匹、従えて、白衣から漏れるミートソースを踏んづけたまま、半透明な竜はその単眼を周囲の惨状に視線を奔らせ―――


 ―――その視線が、俺を捉えた。


 その竜が、………ミートソースを踏んづけたまま、俺を見て、嗤った。


「……………………、」


 その瞬間に、俺の中の何かが壊れた。地面を踏む、蹴る―――。

 瞬間に俺はその惨劇の部隊の一部になる。銃声がクリアに――


「西だッ!砲撃!避ける自信がない奴は退きなッ!」


 ―――扇奈の指示、銃声、悲鳴、怒りの咆哮、周囲でテントが燃え上がって夜を照らす中を、駆け抜ける――。


 ――目の前にただの竜が踏み殺してほしそうに立ち塞がったから踏んづけてミートソースにしてやった。その、えぐれた単眼を踏み台に、跳び上がり――。


 半透明な竜が俺を見ている。その眼球を叩き潰してやる。ぶっ殺してやる。首を晒してやろう。いや、その前に、その足を退けろ………


「クソがァァァァァァッ!」


 吠える。手には大斧が握られていたからそれを振り上げる、落ちながら、振り下ろす。ぶっ殺してやる、ぶっ殺してやる、ぶっ殺してやる―――。


 ―――ガンッ、と音が鳴った。金属同士――硬い物体がぶつかり合う音。


 目の前にいたのは、クソの分際でクソなんか纏ってやがるクソだ。半透明な奴の傍に控えてた奴。直掩、護衛……親衛隊?そんな竜が、鋭利な尾、その刃で俺の振り下ろした大斧を受け、直後―――。


 視界が飛び去る。空を見ている。吹き飛ばされた?尾で、弾かれて、力づくで?

 ―――理解すると同時に、俺は地面に着地した。


「…………ッ、」


 ―――なお一層周囲の音がクリアになる。燃える音。ぱちぱちと、――衝撃で目が覚めるように――嗚呼、どう喚いてもここが現実なんだろうと、そんなずぶ濡れな重さに沈み込むように――。


「―――クソがッ!」


 吠えて、大斧を握り、目の前を睨みつける。半透明な奴がこちらに背を向けて、どこかへと駆けていく。その後を、直掩の内の一匹がついていく。逃げる気か?逃げられると思ってるのか?逃がさない。殺してやる――。


 ――そう動きかけた俺へと。直掩の内の一匹が駆けてきた。装甲化してる方の竜。足止めか?出来ると思ってるのか?あの時とは違う。もう、ガキじゃない。訓練を積んだ。戦闘経験を積んだ。なんのために?生きる為に―――復讐の為に。


「クソがァァァァァッ!」


 吠えて、大斧を振りかぶる。

 目の前で装甲化した竜が爪、前足と一体化した翼を―――もう翼でなくただの装甲板なそれを、振り回す。


 ガシャンと、砕ける音がした。俺の手の大斧?いや、違う、目の前のクソの装甲だ。振り回された前足毎、切り裂いて叩き砕いて、真っ赤な血と欠片が周囲を舞い――。


 目の前で倒れたその装甲化したクソの頭を踏み抜いて、俺は逃げていく半透明な竜を――クソの親玉を追いかけようと――。


 ―――生きてください、殿下。

 声が聞こえた気がした。そう、呪われたような声。


「――スイレンッ!」

 警戒を促す声。俺より長生きらしい、女の声。それから――


 ――駄目だよ、スイレン。そう、くたびれたように、寂しそうに、煙草の匂いがした気がして――、


 飛びのく。………飛びのいた俺の目の前を、幻想的な破滅の光が奔り抜け、俺が、遂数秒前まで踏んでいた竜が、それに溶けて、消え去った。


 ……全部、幻想だ。幻覚だ。幻聴だ。そう、わかってる。理解できてしまえるくらいに、俺は冷静だ。わかってる。わかってるんだ…………わかってる。ちゃんと、全部……。


「………クソ、」


 *


 焼けた野営地にたむろっていた竜。それを全部殺した頃には、あの半透明の竜――あいつが多分、本物の知性体なんだろうクソは、もう、逃げきっていた。


 砲撃も、来なくなった。扇奈が確認に走らせた部下の話では、狙撃地点らしき場所は見つけたが、あの青白デブ自体は確認できなかったらしい。


 それが終わって、安全確認を済ませ、扇奈は矢継ぎ早に指示を出し、俺はその指示に従った。


 使える物資の回収。そして、ドッグタグの回収。認識票は胴にある。首にかける。戦場では、誰かわからない死体ってものはよく見るし、頭も腕もすぐ吹っ飛んでいってしまうから、胴。それを拾って、物資を拾って、扇奈の判断で野営地を離れ後方に向かい――。


 ――その作業を俺は無心でやった。大丈夫、冷静だ。大丈夫。わかってる。大丈夫。慣れてるんだ、色々。大丈夫だ。大丈夫。大丈夫………。


 *


 野営地だった場所を離れて、後方、林の中――視界の通りにくい、ちょっとした空き地。


 そこで、周囲で、オニが漸く、気を休めている。苛立っている者もいる。俺と同じようん冷静な奴もいる。そんな中で、俺は、鎧を脱いで、しゃがみ込んでいた。


 目の前に、“夜汰々神”がある。灰色の――白やら黒が混じったその上から真っ赤な返り血でペイントされてる、鎧。なになにの神だなんて、大層な名前の割に、大した力もなければ奇跡を起こすわけでもない、ただの兵器。


 それを目の前に、俺は手にある硬い円盤を見た。認識票、だ。エンリ、と書いてある認識票。それを持って、眺めて…………。


「指揮車が生きてたのは朗報だね。上もすぐ動くってよ、こっから北に合流地点を指定してきた。物資と増員だ。野営地の再構築。………今夜中にまた移動だ」


 冷静な声が聞こえる。視線を上げると、横にオニの女が立っていた。扇奈、だ。部隊の指揮官。その言葉に、


「………ああ、」


 それだけ、俺は応えた。軍人だ。前線に長く居る。軍人になる前から人の死は見慣れている。大切な人の、死も…………。


 カウンセリング。一週間後にまた。………もう二度と、それは、ない。アイツは、アイツに、聞きたい、………聞いて欲しいことがあったのに。


「……俺さ。倒したんだ。いや、結局、違ったのかもしんないけど、でも、殺したんだ、知性体。勲章だ。凄いだろ?」


 ドックタグを見ながら、俺はそう言っていた。横で扇奈が俺を見下ろす……それも構わず、また、言う。


「………あいつを殺した後さ、身体の力が抜けたんだ。なんでなんだろうな?知ってるか?」


 ……知ってたんだろうか?わかってくれるんだろうか?それも、もう、わからない。こうやって、聞いたところで、答えはもう来ない。


 俺は、横で腕を組んで立っている、派手な格好の――返り血まみれのオニの女に、視線を向けた。


「……出撃の前。あんたの横に、いたろ、円里。………何か、言ってたか?」

「………復讐をとがめないでやってくれ。それがあるから、あの子は生き抜いていられる。今、間違った道を進もうとしていても良い。狂ってても良いと思う。……死ぬよりはずっと良い。あの子は多分、自分でわかってるから」


 自分でわかってる、か。なんのこと言ってるんだろうな。俺には、わからない。アイツはいつも、自分だけわかって、自分だけ納得して、………。


 と、だ。そこで、扇奈が俺に何かを差し出した。受け取ったそれは………。


 煙草の箱と、ライター。エンリが吸ってた銘柄の煙草。エンリが使っていた、ライター。それを観察したことなんてなかったのに、それがエンリの持ち物だってことが分かった。


 銀色の、箱のようなライター。無地で、使い込んであって………。


「形見だ。……預かっといてやりな」

「…………ッ、」


 扇奈の言葉に歯を食いしばって、ドッグタグごと、そのライターを握りしめる。


 形見。エンリ。アイツは、言っていた。最後になったカウンセリングで。俺が漸く大人を見つけたとか。居場所とか。けど、違うだろ。あんたはわかってない。俺は……。


「俺の、さ。大和紫遠への復讐は、手伝ってくれなくて良い。俺の、……俺の呪いだ。でも、」


 そうだ。わかってる。俺は、わかってる。復讐したってしょうがないのかもしれないって。他にしがみ付くものが無いんだって。わかってる。わかって、委ねてても良いんだよな。あんたは、そう言ったんだろ?だから、


「………でも、これは………この復讐は、」

「わかってるよ、」


 そう、扇奈は呟き、俺に背を向けて去って行く。


 ………知性体。あの、半透明の野郎。エンリを殺した。アイツを恨んでるのは、俺だけじゃない。復讐だ。どこまでも、復讐だ。ああ、わかってる。だとしても――。


 煙草を一本、取り出して咥える。

 火を点ける――ライターの使い方は、よく見てたから、知ってる。


 匂いがする。味がする。この匂いは、嫌いだったんだ。最悪な頃を思い出すから。けれど今はもう、それだけじゃなくて………。


 ―――円里の匂いが、した。


 目の前を漂い、天へと昇って行く煙が、嫌に、目に染みた………。




 →サイドストーリー 7.5話 円里/願い事

https://kakuyomu.jp/works/16816452218593368305/episodes/16816452218836803417

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